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c6 "Forgotten children "

壊れかけのネオンが目立つ古い街の夜の路地を、3人の兄弟は必死に駆けた。
ドローンの追跡から逃れなくてはいけない。
見つかってしまったのは失敗だったが、うまく撒くことができたようだ。後ろにドローンの気配はなくなった。
しかし、油断はできない。最近はこんな見捨てられた街にも超小型のドローンが配備され、犯罪防止監視システムは新しい物に徐々に入れ替えられていると聞いた。

破壊し略奪した各種の部品を、一番上の兄が軍払い下げ品のリュックいっぱいに背負い、それが時折夕闇に放電するので、後を追う弟たちの目印になった。
兄はすっかり青年の体つきをしていたが、弟たちはまだ幼さの残る年代で、兄が持ち切れなかった獲物と、収穫のための工具をなんとか背負って兄の後を追った。

ここからは闇市だ。
安い電灯を備えた仮設の店舗が立ち並んでいる。
闇市の存在は都市伝説として噂だけが広まっているが、この市場がそれであるとは一般的には知られていない。
全ての店は表に野菜や花、安っぽい生活用品、骨董品などを陳列しているため、一見してただの小さな市場だ。だが本当は、表に置いた商品は棚の下に隠された品の暗喩でしかない。すべての店の主たる売り上げは禁制品の取引である。

もちろん一見の者は相手にされず、購入するためには常連の紹介を必要とする。
生産流通を禁じられた品。薬物や部品、秘匿されるべきデータ、閲覧を禁止されている古い本、密輸された素材など、あらゆる禁制品がここで取引され、表に置かれた商品より裏の商品の方がバラエティに富んでいるほどだ。

闇市場の者は常に警戒を怠らず、監視用ドローンの侵入を嫌う。
ここの人々は、兄弟の属す年若いグループの存在を知っており友好的な関係であるため、協力を得ることを期待できる。もし追跡されていたとしても、うまいこと穏便に追い払ってくれることだろう。

「マウオ兄!待って!」
兄のすぐ後ろについて走る弟が声を上げた。
「トニが転んだ!」
兄が振り向くと、一番下の弟ははるか後ろで脛をかかえて座り込んでいた。おそらく転んだ拍子に打ち付けてしまったのだろう。
兄は舌打ちした。
「おいトニ!」
迎えに戻らず、怒鳴りつける。その怒気の声に、上の弟のシナンは体をびくつかせた。
「てめぇ!生きてぇんじゃねーのか!!」
下の弟のトニは涙の目をぬぐい、慌てて立ち上がった。

市場のちょうど中ほどを曲がり細い路地裏へ入る。
その路地はこの一帯で最下級の風俗街だ。
狭い範囲に小さな店が立ち並び、看板はだいたいひび割れて明りがないか点滅している。質は悪いがめっぽう安い酒を飲ませる店と、性の売り方の最終地点を陳列する店がここにある。
不本意な境遇にさらされた女が皆一様にどんよりとくたびれ痩せこけ、だいたいは変色した皮膚を晒し、錆びた椅子に腰をかけ客を待つ。不潔に固まった髪と治療などされることがない溶けた歯を持つ男は適当に目についた女を小銭で買い、細い肩を遠慮なく掴み、ひび割れた看板の下の入口に大威張りで放り込む。
下水とアルコールと腐った果物の匂いと、くぐもった悲鳴に馬鹿笑い。
そんな場所だ。
目立つ荷物を背負った兄弟が駆け抜ける様に、誰ひとり注意を向けない。

もう少しで”ぼくたちのところ”に辿りつく。
闇市も過ぎて、この路地では少しは安心できる。
ここは犯罪監視システムの穴だ。それどころか、普通にネットワークを利用しようとしても安定して通信を拾えない。
だからこんな有様なのだが、この穴を埋めようと基地局を設置しても数日で壊れるらしい。
巨大な中継基地のある月まで安定した通信が届く超長距離無線通信の時代に、おかしな話だが、ここには通信の妨害になるような何かがあるはずだと、たびたび国からの調査団が入る。しかし、表向きは何も見つけられないままになっている。
ここの総元締めが調査団に上玉を抱かせ、珍しい高級酒を振る舞い、金品を握らせている、という話の信ぴょう性は高い。

兄のマウオは立ち止まって周囲を見渡しながら、壁を背にして弟たちを呼んだ。
「けがはしなかったか?」
転んで脛を打ったトニは、大丈夫、とうなずいた。
「荷物を一度おろしてここに。」
マウオは自分の荷物を降ろしながら、弟たちにもそう指示した。
弟たちはホッと緩んだ表情を見せたが、マウオにはそれが気に入らなかった。
「お前たち…」
そう言いかけた時、短い悲鳴が聞こえた。明らかに子どもの。
「…さわらないでっ…」
明らかに弟たちよりも幼い女の子と、もっと小さな男の子が、2人の男に怯えていた。

「静かに。気づかれるな。荷物守ってろ。」
マウオは弟たちに指示し、少し近づいて身を隠し様子を伺った。

「迷子だろ?こんないい身なりの子どもがこんな所にまでなんで迷い込んだ?」
「なんにせよ美味しいぜこれは。…こいつら使い道山ほどあるじゃねーか。ひひ。」
聞いた瞬間マウオはホルダーから護身用の銃を抜き、隙だらけの2人の男の間を撃ち抜いた。サイレンサー付きの発射音に驚いた男たちが振り向いた。
「わざと外してやったんだが。後頭部丸出しだったぞ。」
「……お前には関係ないだろ…子供がそんな危ないもん持ちやがって…」
「ああ?!そいつらをどうするつもりだったんだよ!!」
「…それはな…迷子ちゃんを家に届けてやろうと…」
「くっっせえ大人だなあ!!美味しいとか聞こえたぜ!」
「……いや…」
そう言った2人の男の視線が、2人同時に一瞬自分の右の背後に逸れたのを、マウオは見逃さなかった。

三人目の男がマウオの背後に忍び寄り銃を構える腕を捉えようと、動いた。
「兄ちゃん後ろっ…」
上の弟のシナンがマウオに叫んだ。
その叫びの前にマウオは上体を左下へ沈ませ、一歩前へ回避する。もう一歩踏み出しながら低い位置から体をひねらせ右斜め上へ跳び、ちょうどそこにある男の側頭部に拳と銃のグリップの底を叩き付けた。
「…がっ…………」
男は一瞬で行われた予期せぬ攻撃に、意味がわからないといいたげな顔のままバランスを失って倒れた。
2人のうちの一人の男は、マウオが後ろを向いたことで本能的に拳を構え、叫びながら敵に向かって走った。
「あぁぁぁぁぁぁ!」
打ち込もうとした拳は宙を切り、よろけたところで左わき腹に速く鋭い蹴りを食らい、汚れた路地に頭を打ち付けながら頬ずりをした。
「…おっせーんだよ。動きが。」
最後の一人の男は唖然として棒立ちで見ているしかなかった。
「カネ…持ってるよね?」
男は茫然としたままだったが、一瞬の後、手垢にまみれたジャケットの内ポケットに震える手を突っ込み、じゃらじゃらと札や小銭を路地にこぼした。
「…おっさん意外と持ってんな。」
マウオは、癖のある片頬だけの笑顔を一瞬見せた。
「この子ども、俺が預かる。おっさん、それこいつらの、ヨーイクヒに貰っておくぜ。」
マウオが銃を持った手で”どっか行け”と合図すると、男は振り向かずにマウオを見たまま後退し、すぐそこにいた生気のない痩せこけた女を立たせ、それを盾にしながら遠ざかっていった。

「…お前ら…見たことねえな。どっから来た?」
マウオは銃をホルダーに突っ込みながら、小さな2人の子どもに尋ねた。
戦っている様が怖かったのか、2人は強く目をつむってぴったりと身を寄せていた。
「おい…なぁんにもしやしねーよ。」
よく見るとこの2人は、自分たちの周りにいる子供とだいぶ様子が違う。
喧嘩の傷跡どころか日に焼けたことさえないような白くすべらかな頬。ほこりをかぶっていない艶のある髪。豊かな食事を想像させるような程よくふっくらとした体つき。その上見たことがない服装をしている。
弟のシナンとトニが駆け寄ってきた。
「…兄ちゃん…すっげえ…」
キラキラした目でマウオを見上げ、シナンがつぶやいた。
トニはホルダーに今にも触りそうになりながら
「兄ちゃん!その銃!すっげぇ!本物?!」
“貸して!”と言いたげな目でマウオを見た。
「おい…これ本物のわけがないだろ。おもちゃだぜ?」
「え!本物だろ?おれ、本物だと思ったぜ?」
「だろ?」
持つ奴の殺気次第でそう見えんだよ。と教えてやりたくなったが、これはトニが大きくなってから伝えることにした。
いつの間にか小さな2人の子どもは、じっと兄弟を見つめていた。
「名前はなんていうの?おれはシナンだよ。」
シナンはしゃがみこんで優しく2人に尋ねた。
女の子の方が口を開いたが「……あ……」と言ったまま後が続かなかった。
「おれはトニだよ!兄ちゃんはマウオだよ!」
一番年の近そうなトニは、友達になれるかもしれないと笑顔で話しかけた。

「…お前ら、オヤは?」
2人同時にマウオに向かって首を横に振る。
「…居ない…?いや、帰りたくない?…じゃ、俺たちの所に来いよ。お前らここにいたら玩具にされて殺されるだけだぜ?」
小さな女の子の目からぼろぼろ涙がこぼれ、釣られたのか男の子の方の目からも涙がこぼれ出す。
「…え…おい…なんでだよ。」
「行こ!」
トニが2人を立たせるとウキウキした様子で「こっちだよ!」と先導するつもりだ。
「大人の居ない、住処があってな…。みんな、オヤが居ないか、オヤを捨てたか…そういう子供ばかりだ。」
マウオがそう言うと、2人は安心したのか涙を拭いてうなずいた。
「ね。行こうよ。」
シナンが心からの優しさでそう言うと、2人はシナンの後について歩き出した。

楽しそうに歩く小さな者たちの後姿を見ながら、マウオは路地にこぼれた金を拾い、掠奪した品の荷物を、日に日に強く成長する背中に背負う。
“俺もあと何年かで大人になる。…そうしたら…このキレイな奴らをおびえさせるようなオトナに、だんだん変わっていってしまうんだろうか…?”

生きること。それが彼の不安であった。


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