「初めて!!」に関われることの喜び
我が家から西へ4Kmほどの距離に「岩宿遺跡」(群馬県みどり市)があります。この遺跡の「歴史」は、昭和21(1946)年に、群馬県桐生市(私の地元)に在住していた考古学研究者、故・相澤忠洋氏によって、関東ローム層の中から一片の石器が発見されたことに始まります。昭和24(1949)年には、明治大学考古学研究室のメンバーと、相澤氏を含む発掘調査団により、日本で初めて、関東ローム層の中から石器が出土することが確認されました。これは、日本文化の始まりが、当時の定説よりも1万年以上遡ることを意味し、日本列島にも旧石器時代の文化があったことを証明した大きな発見でした。
石器の発見者である、相澤忠洋氏のことは、私が小学6年生のときに、ある学習雑誌の記事で初めて知りました。地元に、こんなにすごいひとがいたことに感動したのを覚えています。その後、著書「『岩宿』の発見ー幻の旧石器を求めて」(講談社、1971年)を読み、氏の半生と、発見に至るまでの経緯を詳しく知りました。そして、桐生市内にある群馬大学(工学部)の学園祭で、講演を聞く機会にも恵まれました。相澤忠洋氏は、大学で考古学を学んだのではない、いわゆる在野の研究者です。私は、〈対話法〉の考案者(もしかしたら発見者?)として、相澤忠洋氏の生き方に、いつも励まされています。
写真は、岩宿遺跡に立つ、相澤忠洋氏を顕彰した胸像です