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鎌倉殿13-4 くじはお任せ!心配御無用!

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」についてアレコレ語ります。これからご視聴される方はお気をつけください。

似たようないでたちの武士ばっかり登場するドラマ。
そうはいっても4回目ともなればだいぶ目が慣れてきますね。
役者さんの顔と配役名がようやく一致してきました。

ところで小四郎・北条義時の兄・宗時ですが、だいぶお調子者ですね。
そのわりに「なんだかいい人」感がすごい!
役者さん(片岡愛之助)の実力…ってことでしょうか…。

特に今回は「理由をきちんと述べられないけど、なんだかいい人な気がする」感がすごかったです。
フラグ…という言葉が、「鎌倉殿の13人」を見ていて初めて浮かびました。
うぉぉぉぉ。

さてさて。
今回のストーリー中でもっとも輝いていたで賞を差し上げたいのは義時の父の後妻である、りく。
「くじ」を用意して、場を取り仕切ることの出来る京出身の女性です。

義時の父・北条時政は、「くじ」が終わった後、りくのことを「さすが京の人だ!」と褒めてます。
北条の家ではりくしかそういうことが出来なかったってことですね。
もし政子に可能だったら、あんな大事な役目をりくに任せたりしないでしょうし。

「くじ」というイベントはまだ東国では一般化されていなかったんでしょうか…。
それともなんだかんだ言っては、りくのことを褒めたいだけのスケベおやじ?

それはともかくりくは「すべてのくじに同じ結末を用意しておいた」と時政に告白します。
実に普通に。しれっと。

りくは牧の方とも呼ばれており、悪女だのトラブルメーカーだのさんざんな評価をされる女性です。
ここらでちょいとその片鱗を…っていう。

さて「北条方にとっていろいろと考えた末に都合がいい日」というものが存在するのは分かります。
ではなぜそれが8月17日だったのでしょうか。

ドラマの中で、8月17日は三嶋大社の例祭の日だと言ってますね。
そしておまつりの日だから警備もゆるいという可能性はありそうです。

ところで三嶋大社ですが(当たり前ですが)実在の神社です。
三嶋大社のサイトによると、現代の例祭は8月の15~17日の3日間となっています。

ここでふと疑問がわきました。
例祭は、各神社にとってとても大事なおまつりのはず。
実際、福島県神社庁のサイトにも以下のように書いてあります。

【おまつりされている御祭神に関係のある日や、神社が創祀(そうし)された日など、御祭神や神社に特別にゆかりの深い日が選ばれています】

そこまで大事なおまつりなら、平安時代末期であろうが令和四年であろうが、例祭の日にちは同じなのでは?

8月17日は例祭の最終日。
最終日ですよ、最終日。(←しつこい!)

最終日というのは夜までおまつりが続いたりはしないでしょう!
…ということが気になったのです。

三嶋大社のサイトで葉月(8月)の祭事を確認しました。
やっぱり!
17日は午後四時からの後鎮祭で終わっています。

でもドラマの中では宵闇の中を出発してましたね。
八重さんと江間次郎(伊藤祐親の家人で、今は八重の夫)も、「婦唱夫随」でそぞろ歩いてました。

もう、おまつり終わってるじゃん!

吾妻鏡(鎌倉幕府公式の史書)の記述によれば頼朝は17日の午後八時頃に挙兵を決意したようです。
実はこの頃、毎晩、山木兼隆の雑色(雑務担当・見習い)が頼朝方の下女のところに通って来ていたのだとか。
挙兵に備えて普段と違う様子である頼朝方を見られたからには黙って帰すわけにはいかない!ということで、その者を生け捕りにしたのです。

なるほど。
生け捕りにしちゃったらもう挙兵するしかないよね。

この「生け捕り劇」も、りくの作戦だったりしたらすごいですけど!
まぁ…それはないかな。

くじで決まった8月17日挙兵だけど、なにしてたんでしょうかねぇ。
当日の午後八時まで。

ドラマの中では「人が足りない!」ということで佐殿が駄々をこねてました。
確実に勝てるようでなければ勝負には出ない。
なぜなら俺様は唯一無二の源氏の頭領だからだ。
…てなもんでしょうかね。

吾妻鏡によれば、17日の午後二時頃に佐々木の四兄弟が到着して「(昨日のうちに来いって言ったのに)おまえたちの到着が遅いから、今朝挙兵できなかった!」と言ったそうです。

ほほ~ぅ。17日の朝に挙兵するつもりだったんだ…。

17日の朝であればまだ例祭の最中ですよね。
朝にまつりに行く人はいないと思うけど。

とにもかくにも頼朝は山木兼隆を夜討ちすることにしました。
そしてまつりで浮かれるカップルたちを尻目に出発します。

まつり…。

古代からまつりの類は、神に捧げる大切な神事であると共に、合コンの場でもありました。
夜の闇に紛れて、想い人とカップル成立!する目的があったんです。
なんなら想い人じゃなくても、とりあえずカップル成立!とかも…。

古くは歌垣(うたがき、かがい)、そして現代にも残っている盆踊りなどもそうした場でした。

歌垣の記述は古事記や万葉集にも見られます。
そこまで歴史のある合コン会場。

違った!おまつり。

そりゃ山木の手下たちも出かけますよね。
独身者はもちろんお相手を探しに。

そして既婚者も雑魚寝をしに。
…そういう風習が全国各地にあったそうです…。

そういう場であればこそ、夕刻になってから夫に「これからまつりに行きませんか」と誘われた八重さんが「おまえと?」と言ってたわけですね。
でも結局ふたりで出かけたんだから、八重も「いつまでもツンケンしてないで多少は妥協しないと…」という気持ちがあったのかもしれません。

で、ずいぶん回り道になったけど、最初の疑問に戻ります。

例祭最終日は夜までおまつりは続かない。

ドラマでは夜でしたね。挙兵のとき。
そして道端にはカップルがうじゃうじゃいましたね。
江間次郎を従えた八重さんも。

吾妻鏡によると「源氏が平家を倒す最初の一矢」は午前零時頃に放たれたようです。

道端のカップルたち…八重&江間次郎…。
君たち、遅くまで道端でまつりの余韻にひたりすぎじゃないの?
武士たちがあのあたりを通過した時、どう考えても午後十時以降だよね?

滅多にない大合コン大会だから特別にみんな夜更かししてたんでしょうか。
夏だから、蚊に刺されるのを我慢するだけだし。

それともドラマの中で、八重さんを道端に立たせたかったからの設定でしょうか。

今回の疑問は疑問のままで終わります。
結論が出せずに申し訳ない…。


今回の「鎌倉殿の13人」では「心配ご無用!」って叫んでた人がいましたね。
竹中直人の顔が浮かんで、笑ってしまいました。
こういうの、大好きです。




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