ハイパーカジュアルゲームと都市の効率化/名古屋大学隣のシェアハウスで
この文章は名古屋大学の近くにある学生向けシェアハウス「東山人間舎」に1泊した御礼として書かれたものです。
名古屋に江坂大樹という男がいる。僕とは2015年にデイリーポータルZの1日インターンで知り合い、その後もなんとなく年に1度くらいのペースで名古屋と東京で会い、街をブラブラしながら話すような仲だった。
僕が職場を離れたことをきっかけに、また会いたくなって連絡をとった。彼が東山人間舎というふざけた名前のシェアハウスを運営していることを知っていたので、純粋な好奇心と旅費を浮かせたい下心で「泊まれますか?」と尋ねたところ、快く受け入れてくれた。ここではお金を取らない代わりに、泊まった人がその感想をWebサイトに寄稿するシステムらしい。
まずもって僕は独立したてでお金がない。新幹線で行けば良いものの、ちんたらバスでやってきた。夜の名古屋駅に着いて集合場所を尋ねると、金時計のあたりで落ち合おうという。名古屋駅の有名な待ち合わせスポットだ。
そこでふと思い出す。そういえば彼は昔、金時計のコスプレをしていた。たしかこの格好で Maker Faire Tokyo にも参加していたはず。僕にとっては彼のコスプレが実物より先にあったわけだ。なんだかこの人は、名古屋への変わった愛情を持っているんじゃないだろうかと思い出す。
本物の金時計で合流した彼は大きな紙袋を下げており、そこには新品のリュックサックが入っていた。機能や触感の異なる4種の素材で作られているらしく、店員の説明を受けるうちに思わず買ってしまったのだという。曰く「僕は素材が好きなので。店員さんもラッキーだったと思います」。久々の再会で、開口一番フェティシズムを語る。江坂大樹はそういう男なのだ。
駅近くのワンコインでピザが食べられる「ソロピッツァ」で小腹を満たしてから、コロナ禍でもほぼ自粛せずに急成長を遂げた(少なくとも僕の目にはそう映っている)ラディカルな居酒屋「新時代」に入る。東京での増殖を目の当たりにしていたが、名古屋でもその勢いは変わらない。
茹でたじゃがいもを自分で潰してポテトサラダを作りながら、お互いの近況について語り合う。少し気恥ずかしい将来の夢についても話した気がするが、なにより僕がアルバイトで関わっていた「ハイパーカジュアルゲーム(ハイカジ)」の話が大いに盛り上がった。
ハイカジをざっくばらんに説明すると、その名の通り"超気軽"に遊べるスマホ向けゲームだと思ってもらえば良い。誰もが広告で見たことがある、塔の中でピンを抜くような、ただひたすら奥に向かって玉を転がすような、単発のアイデアを突き詰めたシンプルなゲーム群だ。
なかでも僕が大好きな「Icing on the Cake」は、クリームが塗られたケーキをスワイプして綺麗に均すと、ただそれだけでクリアになり、紙吹雪で盛大に祝ってくれるイカれたゲームだ。いや、もはやゲームというよりは、指を動かすだけで褒めてくれる快楽製造装置と言ったほうが良いかもしれない。
この衝撃を味わってもらうべく、スマホを渡して遊んでもらった瞬間、江坂大樹は爆笑しながら椅子から転げ落ちた。ラディカルな新時代の店内でも、そんな奴は他に一切いなかった。真にラディカルな男なので、周囲の店員も声をかけてはくれない。息も絶え絶えになりながら椅子に座り直し、またケーキを回して爆笑する。かつて自分が愛したはずの"テレビゲーム"がインスタントな快楽をもたらす装置に成り果てたのを目撃し、そのあっけらかんとした開き直り具合に笑い、困惑しながら向き合っていたのかもしれない。
新時代を出航してシェアハウスに向かう道すがら、夜の名古屋大学を通り抜ける。写真は次の朝に撮ったものだが、地下鉄の駅から出てすぐにキャンパスに入れる造りが分かるだろうか。常に眠気や単位と戦う学生にとって、これほど嬉しいことはない。僕の大学はどれだけ頑張っても最寄駅からバスや自転車で20分かかる距離にあったので、シンプルに羨ましく感じられた。
しかしながら。江坂大樹にとってそれは、必ずしも嬉しいことではなかったらしい。この男は名古屋大学を7年かけて卒業している(お察しの通り、大学院には進んでいない)のだが、大学で過ごした「思い出」の少なさを悔しく感じているのだという。
朝起きて家を出て電車に乗り、駅に着いたらすぐキャンパス。授業が終わっても同様に、校内から駅までシームレスに移動できる。なるほど確かにこれでは「用事で遅れた友人を待って駅に向かう」「混雑したバスの中でヒソヒソ話す」といった登下校中の風景は生まれにくい。
さらに問題は深いようで、学生がすぐに実家や名古屋駅周辺に流れてしまうため、いわゆる"学生街"的な空間が発生しない。たまたま居合わせた居酒屋で、別のサークルで過ごす友人のいつもと違う顔を見たり。ゼミで絞られた直後のはずなのに、一緒に夕食を食べる教授から優しく諭されて妙な気持ちになったり。そんな風景もなかなか起こり得ない。
こうした地理的な条件に限らず、名古屋大学なりのカルチャーの薄さを感じていた彼は、7年にもわたる学生生活の中で自分がその風景になろうと奔走した。勝手にミスター名大を名乗って立て看板を立てたり、大学生の自由研究やらめんこクラブやらといった珍妙な団体を作ったり。
遠くに暮らす僕がその活動を知るくらいなので、名古屋大学界隈でも少なからぬ存在感を放っていたはずだ。事実、東山人間舎には「ミスター名大の看板で江坂大樹の存在を知った」と語る入居者もおり、大学のひとつの顔なり風景なりにはなっていたようだ。
長い学生生活を終え、今はフリーランスとして名古屋で活動する彼は、学内から学外に活動の場所を変えた。その中心となるのが、東山人間舎の運営である。目的なんてなくても、同居人と他愛のない話をして過ごす。授業が終わってすぐ帰るのではなく、ふらっと友達のところに寄ってみる。こうしたシェアハウスを中心に生まれる日々の風景が、東山人間舎に住む/訪れる学生たちの「思い出」になっていくのだろう(上の写真は入居者がスマホで撮影して印刷し、人間舎の Instagram にアップロードしたもの)。
移動の合理性を追求して大学直結の駅が生まれたように、誰もが気軽に遊んでお金を回す経済性を重視した結果、ハイパーカジュアルゲームが生まれている。しかし、こうした効率化の果てにあるのは、果たして本当にハッピーな風景なのだろうか。
江坂大樹は今、そうした効率の外にある「余白」のような場所を作っているのだと思う。誰の目にも明らかな問題を解決したり、しっかりお金が稼げたり。そうした共感しやすいことにも価値と難しさがあるのは百も承知で、曖昧でふわっとしている「思い出」を生み出そうとしている彼の取り組みを、今後も遠巻きながら応援したい。
人間舎のベランダからの写真。遠方に見える名古屋駅周辺の煌びやかさと、大学周辺の静けさのコントラストが、少しだけ物悲しい。
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