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サンローランのピンクの口紅

私は祖母を「ばあちゃん」と呼ぶ。

字面だと普通だが、発音は「フワちゃん」のそれである。

なぜかはわからないが、我が家ではずっとそうだ。そしてそれによって「ばあちゃん」は単なる関係性を離れて愛称と化していた。

ばあちゃんは私のシェルターだった。

親に叱られたとき、あるいは家でもの寂しくなったとき、それから単に暇なときも、「ちょっと裏行ってくる」と言って会いに行っていた。

自他ともに認めるババアっ子である。

ばあちゃんの家は実家のすぐ裏にあったので、「裏に行く」は「祖父母の家に行く」を意味する。

私が幼稚園くらいから、たぶん小3くらいまで、週末は祖父母の家に兄姉と泊まりに行くことになっていた。

小上がりの和室のこたつで、常に山盛りのみかんを食べながらベストテンを観る。祖父の高級カシミア毛布をチクチクするからイヤ…と贅沢な文句を言いながらかぶり、暗くした部屋で海岸を白馬でかける松平健を観る。起きたら、ばあちゃんが作ってくれた塩むすびとスクランブルエッグと塩もみきゅうりの朝ごはんを食べながらビックリマンを観る。

テレビ観てばっかな。
けどまぁ、そんな生活だった。

同居している叔父の結婚を機に泊まりはなくなったが、前述の通りその後もふらふら遊びに行っていた。

ピアノを置かせてもらっていたので、習い事としてやめてしまったあとも気まぐれで弾きに行き、ついでにばあちゃんとダラダラしゃべることも多かった。

上京してからは特に、帰省するとお土産のおやつを持参して、その場でお茶するのが恒例になった。夕飯前に行くことが多いので、なかなか戻らない私を母が呆れ顔でよく呼びにきた。

子ども時代は、とにかく甘やかしてくれた。許してくれる存在と言った方が正しいかもしれない。ばあちゃんとの思い出は、いつもぽかぽかと温かい空気を纏う。

大人になると、良くも悪くも身内を個人として見られるようになる。大人になってから知るばあちゃんは、注目されるのは嫌だけど構ってもらえないといじけてしまう、思春期の少女みたいなひとだった。

あと、意外とミーハーで、イケメン好きだ。
実はタッキーが好きだったことは姉も知らなかったらしい。大河の影響はすごい。

若い頃のじいちゃんの、ちょっと日本人離れした濃い顔もめちゃくちゃ好みらしかった。じいちゃんの遺品整理をしている時に出てきた写真を見ながら、突然頬を染めて早口で語り始めたときはびっくりした。

そして、じいちゃんの家の血が濃く出ている顔立ちの私の顔もどうも好きだったらしい。化粧したての仕上がった顔で会いに行くと、わかりやすくガン見してきて全然会話が成り立たないことが何度かあった。ばあちゃんどんだけよ。笑うわ。

2021年4月9日、ばあちゃんは病院で独り旅立った。

同居している叔父夫婦も、隣家に住んでいる両親も、お見舞いすら満足に出来なかった中での別れだったそうだ。

家族でいろいろ検討したが、このご時世だし商売屋なので帰省は泣く泣く諦めた。代わりに、義姉に頼んでビデオ通話で会わせてもらった。

覚悟していたより変わらない綺麗な顔で、ホッとした。優しいツヤのあるローズピンクの口紅がよく似合っていた。

以前、もうばあさんだからお化粧もあんまりね、と言うので、デパートで口紅を見繕って贈ったことがある。色白で、白髪を淡いブラウンに染めたばあちゃんには優しい色が似合う。あちこち見て回った結果、サンローランの落ち着いたローズピンクを選んだ。

照れまくるのを説得して渡したら、結局気に入ってよくつけてくれたようで、後日「お友達に褒められたよ」と嬉しそうに報告してくれた。

ビデオ通話は、両親たちを含めて至極和やかにすすんだが、義姉が、入院前にデイサービスで撮ったと言う自然な笑顔のスナップにフォーカスすると、私と姉は「ばあちゃんだ〜!」とハモり、同時に涙腺を決壊させた。

最後、思わずまたねと言ってしまった私に家族から総ツッコミが入った。言い直そうにも、あとはありがとうしか出てこなかった。

貴女はたしかに私の支えでした。
大好きです。
とてもとても淋しい。
「ばあちゃん」ありがとう。





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