見出し画像

小学生が2人いるということ

この春、次女が小学生になった。

新天地ではあるが小学生ママ1年生ではないし、と油断していたら、これが結構、予想以上に負担だ。

我が家の現状

我が家は、現在以下のような状況。

①次女が小学生になった
②長女が学童に入れていない
③母自身がフルリモートワーク@自宅である
④期間限定の滞在である

地味に効いてくるのが④で、知り合いがほぼ居ないために「友達と遊ぶ」「ママ友とちょっとお茶」みたいなイベントが限りなく少ない。

引っ越しから半年超、長女がぽつりぽつりと放課後の約束をしてくるようになったばかり。

ママ友との互助会って貴重なんだなとしみじみ思う。

朝の余裕

さて、そんな現状を踏まえての1日。

朝はむしろ余裕だ。

送迎不要!

なんせ幼稚園保育園と違って送っていく手間がない。

こちらは登校班が決まっているので、集合場所まで2人で向かう様子を玄関と窓から見送るだけで済む。

春先は、敷地を出たあとどちらからともなく手を繋いでいる時があり、ひそかに悶えながら見ていたのは内緒。

最近はとんと見なくなってしまってさみしい限りだが、姉妹仲どうこうよりも、ちびっ子次女は重いランドセルを背負ってバランスを取るので精一杯だからな気はしている。

給食万歳!!

さらに、弁当作りもない。
長期休暇除く。

無駄に早起きな娘たち、ここ数ヶ月は勝手に起きて勝手に朝食を食べている。
子どもだけで火を使うことはまだ禁止しているので、グリルでトーストを作りたい時だけ起こしに来る形だ。

最近は水筒も自分たちで用意するようになった。
正直、めっちゃ助かる。

ただし、野菜ジュースとブロッコリーは(茹でたものがあっても)シレっと無視しがちなので、親が起き次第出すようにしている。

盛りすぎな夕方

問題は夕方。

仕事を終える頃に帰宅する長女を迎え、キリの良いところまで仕事をしたら次女のお迎え。

帰宅後即夕飯作りに取りかかり、煮込み中などで手が空いたら学校から持ち帰ったアレコレをチェック。

するのだが。

連絡帳やプリント・宿題チェックは単純に2倍。
これは学年が下なら少ないというわけではない。
1年生は音読が多いのでむしろ負担が大きいくらいだ。

4年生の音読は長い

この音読も、小学生ママにとっては意外と曲者。
次女は基本的に宿題を学童で済ませてくるけれど、音読だけは無理だ。必然的に、帰宅後にやることになる。

長女の国語の長~いお話(ex.「ごんぎつね」フル)の音読を聞いたあと、次女の短い国語の音読を繰り返し聞くのは地味にしんどい。

ママ友の中には「やったことにしておく」「ほとんど聞いていない」と笑う人たちもいて、それくらいの軽さならば負担にならないのかなと思うものの、元来の真面目さとせっかくやるなら無駄にさせたくないという貧乏根性が己の首を絞めている。

「算数」の「音読」

さらに、1年生の次女には「算数の音読」なるものが存在する。

東京の学校でも計算カードの読み上げはあったが、音読とは??と思っていたら、少し毛色の異なる計算カードだった。

めくるタイプではなく、ペラ1枚の紙。

最初の頃はある意味単純な音読で、「2は1と1、3は1と2、4は1と3・2と2、5は~」と、足し算の基本となる部分を延々読み上げて叩き込む方式だった。

足し算引き算を覚えた今は、問題と答えの表がA4各1枚に分かれていて、暗記してしまわないよう縦から横から下からと何コースかあり、その日指定されたコースを読んでいく。
式は読み上げず、答えだけをとにかく早く正確に答えていく方式だ。

これは、基礎にはめっちゃいいなぁ!と感心する一方で、答えを見ながら聞かなければならず、国語のように料理しながら聞くのが難しいのでちょっとめんどくさい。

たまに長女が引き受けてくれるのがとてもありがたい。

方言問題

そして、音読につきまとうもう1つの問題が、方言。
自分自身も地方出身だし、方言はむしろ可愛いしいいじゃないかと思ってはいるのだが、

「葉を食べるあおむし」がどう聞いても「歯を食べるあおむし」なのである。

「政治」がどう聞いても「(千原)せいじ」なのである。

覚え間違えなのか方言なのかが微妙なライン。

ここで、標準語イントネーション(と母が思っている方)に矯正したところでこっちでは浮いてしまうし、かといって戻った時にどう反応されるか…というか、反応されたときに笑い飛ばせるかが心配だ。

とりあえずは「先生がどう発音しているか」を確認して、それに倣うことにしている。

月初の予定チェック&調整

月初は、特に大変だ。
それぞれの学年だよりと学童の月予定と仕事のシフトを見比べての調整作業がある。

密を避けるためにイベントも分散化している昨今、中止になるよりは良いけれど、2日続けて「昼前に1時間だけ」などの参観はパートタイマーにはちとしんどい。

おたよりの分別も地味に大変だ。
家庭数配布がある一方で、家庭数配布でも十分なチラシがいちいち2枚配られるとゴミを捨てるというストレスがかかる。

ちなみに、世の中こんなにイベントがあるのかと驚くほどイベントのチラシが配布されるのだが、「母的に全く興味はないが子どもの教育的には良いかも」というイベントを切り捨てるのもまた地味にストレスである。

これは性格的なものなんだろうなぁ。
書きながら、何を勝手にストレスを抱えているんだ、という気になってきた。

学校のおたよりはトラップだらけ

分別後のおたよりも、サラッと読めばいいというものではない。

というのも、学校だより・学年だより・クラスだよりは基本的にあまり連携が取れていないからだ。

確かに必要な情報が書いてある。書いてはある。
しかし、あっちこっちにあるのだ。

同じイベントの持ち物くらい一ヶ所にまとめて書いてくれよ!!と空を仰いだことは一度や二度ではない。
加えて、重要度と優先度とフォントと装飾のバランスの悪さときたら、敢えてのミスリードを疑うレベルである。

つい先日も、おたより裏の月間カレンダーにさりげなく書かれた「就学時検診 11:30下校」を前日に知った母である。
これ、表に4行使って書かれたカイロの使用可否より大事じゃね??

次月からは、学年だよりは契約書並みの慎重さで読もう、と決意した出来事だった。

夜はまた余裕

風呂は勝手に入る。
ロングヘアを洗うのもうまくなってきた。
乾かすのはまだ下手で、仕上げが必要だけれど。
というより、風呂後から寝るまでの読書タイムが惜しくて雑になっているだけな気もする。

去年ぐらいからか、寝かしつけも要らなくなった。
おやすみの儀式(頬にキスし合ってハグしておやすみを言い合う)は、今でもしている。あとで行くね~と言ったまま忘れていると、頑張って待っているときがあってかわいい。寝ろ。

成長したら成長したなりの大変さ

幼児期までのような手のかかり方は脱した。
ずいぶん楽になったなとは感じる。
今でも、トイレのカギを掛けられることにしみじみしてしまうくらいだ。

とはいえ、先人たちが口を揃えて言っていたように、成長したなりの大変さは確かにある。
対子どもにしても、対学校にしても。
最近は、長女に思春期の片鱗を感じ始めたのも気になるところだ。

ここから先は、さらにお金に羽が生えると聞く。
それも高速で飛び立つと言う。

子育ても仕事もまだまだ頑張らねばいかんなぁ。
アラフォーかーさん、停滞しているようでまだまだ進化中である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?