ドレープが美しい茶色の服を捨てられないアラフォーが赤毛のアンについて大いに語る、その1
何度クローゼットの整理をしても捨てられない服がある。流行遅れのシルエットで、着る機会もずいぶん減ったのに処分できないそれは、ツヤのあるやわらかな茶色の生地をたっぷり使ったトップス。
たっぷりとした…つやつやの…茶色…
赤毛のアンの影響か!!
10代で触れたあのドレスへの憧れをいまだに引きずっていることに衝撃を受けた。そして、せっかくなので、それほどの影響力を持つあの魅力的な物語について大いに語ることにした。
折りよくNHKでドラマ「アンという名の少女」も放送中だしね。
研究的にではなく単なるミーハーが熱く語っているだけで、ネタばれも多分に含みます。ご了承下さい。
『赤毛のアン』 Anne of Green Gables
まずは「にんじん」「石盤」で有名な第1作『赤毛のアン』。原作は『Anne of Green Gables』、直訳するなら『緑の切妻屋根のアン』。
アンのフルネームはアン・シャーリー。AnnではなくAnneである。高橋さんのタカとか渡辺さんのナベとか斉藤さんのサイくらい重要なので、是非覚えていただきたい。
アヴォンリーの片隅、緑の切妻屋根の家に住むマシュウとマリラ兄妹のもとに孤児院から引き取られた、eのつくアンの物語。
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孤児院から引き取られたとは言っても、アンが孤児院に居たのはほんの4か月程度。生後3か月で両親を亡くしたので孤児ではある。
が、その後8年は実家に手伝いに来ていた「トマスのおばさん」に引き取られ、その後2年以上近所の双子が3組もいる「ハモンドのおばさん」の元で暮らした。いずれも血縁ではない。
どちらのおばさんも、夫を亡くしたのをきっかけにアンを放り出している。孤児院生活を経てグリーン・ゲイブルスにやってきたとき、アンは11歳だった。
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第1作は、アンの癇癪持ちで誇り高く夢見がち…もとい夢見すぎな性質、少女たちの「ドラマチックな」日常がこれでもかと描かれる。殊に、腹心の友ダイアナ・バーリーとのやり取りは、大人になってから読むには座りが悪いほど「ドラマチック」である。
すべての愛すべき登場人物の中でも、やはり好きなのはマシュウ。
「そうさな。」
「そうさな。」!!!!
訳者の村岡花子さんは天才だと思う。
マシュウの朴訥さ、温かさをこれほど端的に表せるセリフはない。
喜んでも悲しんでもしゃべりまくるアン(文庫本の2ページ近くしゃべることはザラ)を静かに見守り、主たる保護者…というよりは教育者である妹マリラを尊重しつつも、譲らない点は貫き通す。
それを物語るエピソードこそが、先の茶色のドレスである。
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良くも悪くも堅実なマリラは清潔で無駄がないのが一番だと思っていて、必然、そのマリラの用意するアンの服は、流行からは程遠く何の遊びもなかった。Wミーニング。
そこに、マシュウは自ら気づくのである。愛しいアン、ほかの美しい少女たちの中にあっても輝くアン、でも何かが違うと。そしてその違和感を、マシュウは不愉快だと感じる。
それがアンと少女たちの身なりの違いのせいだと、2時間かけて答えを導き出す。朴念仁のマシュウが。これだけで泣ける。
時はクリスマス直前、一念発起してアンに素敵な服をプレゼントしようと思い立ったマシュウ。でも慣れない用事に慣れない女性店員相手、緊張してたいして必要のないものを買ってしまい、マリラに怒られる。不器用か。超かわいい。
そして訪れたクリスマス。
アンは感激のあまり言葉も出ないようすで新調の服をながめていた。ああ!なんと美しいのだろうーーつやつやとした、すばらしい茶色のグロリア絹地!優美なひだやふちどめのあるスカート、最新流行の型で、ピンタックのしてあるブラウスで、首にはうすいレースのかざりがついている。それよりも袖、すばらしいのはスリーブだった。長い肘のカフスの上には、茶色の絹のリボンを蝶結びにしたので、仕切ってある二つの大きなふくらみがついていた。
グロリア絹地って何!
わかんないけど素敵!!
著者のL.M.モンゴメリがすごいのか、訳者の村岡花子さんがすごいのか、おそらくそのどちらもなのだろうが、アン・ブックスは美味しいものや美しいものの描写がすばらしい。
このエピソード初読時の、鮮烈な、そして陶然とした記憶は、加齢のあれこれの影で息を潜めつつも私の心の奥底で煌めいていたらしい。こんなことに気付けるから歳を取るのも悪くない。
古い黄ばんだ文庫本を久しぶりに手にしたら、しっかりドッグイヤーが付いていて笑った。
好きすぎてここがクライマックスくらいに思っていたけれど、実際のところは中盤をちょっと過ぎたあたりである。
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成績優秀なアンは、少数のクラスメートたちとクイーン学院に進学(いまで言う高専?短大?的なものかと)、普通2年かかるところを1年で終了する難度の高いコースを選択して素晴らしい成績で卒業する。
その成績が評価され、奨学金を得るという栄誉を授かったことで大学への進学も可能になったが、ここで悲劇が起こる。愛するマシュウの死である。
目を患っているマリラをひとり残すわけにはいかないと、アンはグリーン・ゲイブルスに戻り、故郷で教師になる決意をする。これには紆余曲折あるのだが、結果として、石盤事件からゆうに5年近くを経て、ようやくギルバートとの長い確執に終止符が打たれて第1作は終わる。
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赤毛のアンをよく知らない人でも、石盤を頭に叩きつけた人と叩きつけられた人がいずれ夫婦になることは知っているらしい。しかし、それはまだ、まだまだ先のこと。仲直りするまでに5年かかっているのだ。先は長い。
正確には、クイーンに行く前に一度仲直りのチャンスはあったし、そもそもアンが一方的に毛嫌いしていただけなのだが。
第1作で大いに語られるこのアンの性質、それがここに連なる作品群を読んでいくとじわじわと効いてきて「ゾクゾク」する。シリーズもの特有の楽しみ方、大好き。
『アンの青春』 Anne of Avonlea
第2作は、クイーン学院を卒業し、アヴォンリーの母校に教員として戻ってきたアンの日々。「グリーン・ゲイブルスのアン」から「アヴォンリーのアン」に世界を広げる。
1年前は机を並べていた仲間に教えるってすごいよな。しかも16歳かそこらで。
成長とともに、腹心の友であるダイアナがアンの想像力についていけなくなっている様子が描かれていく。代わりに得た同士は、アメリカからやってきたポール。教え子であり、ひと目でお互い同じ性質だと気づけた美しい子ども。
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思うに、アンは、そしてアンの言うところの「同士」は、いわゆる『解像度が高い』人たちなのだろう。
同じ景色を見ても、そこから受け取る情報が段違いで多い。だからアンの目に映る世界はいつも鮮やかだ。私たちはアンの目を通して世界を見る間だけそれを共有できる。
ポールと共有する「岩の人」たちの話など、アンの空想はいつも突飛だけれど、いつも地上にある。異世界でもファンタジーでもなく、あくまで日常を愛し、日常を彩る。「この世界は素晴らしい」と思わされる。
逃避のための空想とは少し趣が異なるのだ。過酷な日々を生き抜いてきたアンは、それでもやっていかなくてはいけないことを知っているから。しっかりと地に足をつけて空想の翼を広げるアンだからこそ、どこまでも飛んでいく。そこが魅力。
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第2作のロマンスと言えば、山彦荘の自称プロ独身ミス・ラベンダーとポール父の焼け木杭ラブ。
アン・ブックスには、行き違いとお互いの頑固さで破談になる恋がちょいちょい登場するが、これもそのひとつ。ポール母の立場は!!!と思わなくもない。
その最たる関係、ギルバートとのロマンスが始まってしまったこと、同時に少女時代の終わりが来たことを匂わせて、第2作は幕を閉じる。
『アンの愛情』 Anne of the Island
そして第3作。
もう、大好き。ベストオブベスト。
勉学と友情と愛情と死生観てんこ盛りの1冊である。
この作品こそ語り尽くしたいが、さすがに長くなってきたので一旦締めることにする。
まだ2作しか語ってないのにこの先大丈夫か私。
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