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フィーリング母の味

いつか私も子どもたちから「おかーさん料理教えて」と言われる日が来るだろう。

Eテレの「キッチン戦隊クックルン」や、お料理の出てくる絵本が大好きな人たちは、いまでも隙あらば「お手伝いしたーい❤︎」と言ってくる。その日はそう遠くなさそうだ。

やりたい子とやらせたくない母

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ただ、今のところ平日のお手伝いは丁重にお断りしている。料理中のキッチン侵入も原則禁止。夜のオペレーションは時間との勝負なので。帰宅して4時間後には寝かせなくてはならない。

お互いに譲り合った結果、配膳と各自の米をよそうのはお願いしている。まぁ、これもこぼしたり米飛ばしたり釜に触れて熱いと騒いだり、すんなりとはいかないのだけど。

その分、休日は用がなくてもキッチンをうろちょろ。我が家は休日の料理担当が夫で、特に夕飯作りはアルコール片手に楽しそうにやってるわけだが、そんな時は子どもたちも夫にまとわりついていろいろやらせてもらっている。

先日は、長女ほぼひとりでなめこのお味噌汁を作っていた。夫によって着々と基礎が鍛えられているようだ。

料理は家事のひとつでしかない

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父も当たり前に料理ができる、という認識の子どもたちだが、どうしても頻度的に料理は母のイメージが強くなる。いざいろいろ教えるとなったら、私が担当になる可能性が高い。

しかし、レシピに落とし込むのは面倒、もとい大変だろうなと思う。レシピを教えてと言った私に「適当!」と言い放った母に当時は憤慨したものだが、今なら母の気持ちがよくわかる。

レシピに忠実にやる人や、食にこだわりがある人なら問題ないのだろう。しかし、私は料理は苦手じゃないが得意でもない、嫌いじゃないが好きでもない人である。

3食食うに困らないくらいの料理スキルがあれば充分、と思ってやってきた。見栄っ張りなので、人をおもてなす機会があったら頑張るけど、その時だけ。

料理スキルと言っても、技は持っていない。
追究すれば、同じ料理でももっと美味しくできる方法はあるだろう。下味やだし、ちょっとしたスパイスや煮込む順番…興味がないわけではないけど、飯炊きに追われる日々では難しい。作った料理を振り返る暇がどこにあるのか。

料理の引き出し

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そんな私がそれなりに持っているものといえば、引き出しというか、作れる料理もしくは作れると思える料理の数。親元を離れて20年超、そこそこ蓄積されてる。

学生時代はとにかくパスタにハマっていた。実家でパスタと言えばミートソース一択だった私に、カルボナーラやペペロンチーノは衝撃だった。

社会人になってからは、栄養を気にして細々作る時と、ひたすら納豆ご飯と卵かけご飯のループだった時の差が激しかった。

結婚してからは、結婚してからも食事を一緒にするのは休日だけだったから、夜中に夫の晩酌用の一品をせっせと作ってた。
新婚だな。新婚だったな。

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引き出しが増えたのは、いろいろあって仕事を辞めて、暇に任せて夫の弁当を作るようになってから。いわゆる弁当用のレシピ本を買って片っ端から作った。

その後、期間限定で海外について行った先で、今度はほぼ毎日三食作る生活になり、さらに引き出しが増えた。増やさざるを得なかったとも言う。

ケーキが甘すぎるから作り、惣菜パンがないから作り、納豆が高いから作った。
料理は、まず肉を薄切りするところからだった。
ハイウェイを飛ばして食材を買い込み、肉を切り分けて冷凍するだけで半日終わったりもした。

見たこともない野菜を調理してみては失敗、を繰り返す日々。

だったけど、この頃が一番楽しかった。思えば、この時ほどゆっくり料理と向き合えた時はなかった。

英語は全く上達しなかったけど、スーパーにはわりとひとりでホイホイ行っていたし、変な野菜を買うのが趣味になった。夫婦の英語力には雲泥以上の差があったけど、食材に関してだけは私の方が知ってたりするのが可笑しかった。

味付けの思考回路

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もうひとつ身につけたのは、味付け感覚。さすがに、もう大きくは外さない。

普段の味付けは適当としか言いようがない。母も母なら子も子だった。あまり意識したことはないけど、食べたい味があって、そこに向かってバランスを決めてると言うか。

和食の場合、我が家の味の要はチョーコーのだし醤油なので、こいいろ&うすいろのセットがあればなんとかなるのだけど。(濃口だし醤油と薄口だし醤油)

これらの味をベースに、例えば煮物だと、あくまで副菜としてあっさりお上品に仕上げたければうすいろを使って、がっつりメイン寄りに作る時はこいいろを使う。

あるいは肉じゃがで、ひき肉を使う時や煮汁を多めに残したい時は前者、逆に薄切り肉を使う時や煮切りたい時は後者という感じ。

なんか足りない、と言うときには、
・欲しいのが尖った塩分だったら塩
・あくまで「塩み」だったら醤油
・塩気が尖りすぎてたら砂糖
・甘さにコクと柔らかさも足したかったらみりん
・さっぱりさせたかったらお酢
という風に調整している。

中華だったら、ガラスープをベースに、にんにく生姜ネギ、あと豆板醤と甜麺醤にオイスターソースで調整。ごま油多用して、甘みはなんとなくハチミツ使う。

洋食だったら、オリーブオイルにコンソメ顆粒をベースに、にんにくと塩。ハーブソルトに粉チーズ、バターにケチャマヨ、ウスターソースやブラックペッパー。

飛び道具で、スモークドソルトやチポレも使う。これだけで格が上がる感じがとても良い。凝ってる感の出せる調味料って素晴らしいよね。

母の味より食卓の記憶

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と、終始こんな風なので、人には伝えづらい。
別に持って生まれたものではなく、数こなすうちに身についたものだしなぁ…

しかも気分とか気候とかで変わるので、これが母の味!というものは実は数少ないかも。

人にこんな細かいこと聞いたことないから、人がどう味付けしてるかなんてわからない。これを読んだらぜひ教えていただきたい。

そんなふわっとした母の料理だが、褒め上手な子どもたちは8割くらいの確率で「おかーさん、てんさい!!」と褒めてくれる。その言葉と表情のおかげでなんとかやってこれてる。

これと思い浮かぶ母の味はなくとも、美味しかった!好きだった!の記憶だけ残ってくれたらいいなと思っている。

そのためには、料理の腕を磨くより小言を減らす努力をせねばならんのだけど。

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