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白いビロードの棺に眠る乙女に泣く俗人アラフォーが赤毛のアンについて大いに語る、その3

これの続きです。

引き続き『赤毛のアン』について暑苦しく語る第3回。前回は第3作『アンの愛情』におけるアンの恋愛に着目したわけですが、今回は同じく『アンの愛情』より、旧友との別れを。

ルビー・ギリスというひと

恋愛と青春のあれこれを煌々しく描く第3作に、深みを与えているのがルビー・ギリスの死。

レドモンド大学の1年目を終えての休暇、グリーン・ゲイブルスに戻ったアンはルビーの異変を知る。ソーバーン奨学金を得て、本土の洗練されたファッションを身につけて、変わらないようで変わったアンとの対比は残酷なほど。

ルビー・ギリスという女性は、金髪に青い目、薔薇色の頬の持ち主で、第1作よりその美貌が繰り返し描かれている旧友である。

性格はといえば、万人にとって好ましいとは言い難く、ズケズケと辛辣な物言いをするタイプ。よくヒステリーを起こし、頭の中は色恋優先。美しいギリス家の姉たちの影響で、幼小の頃より「たくさん愛人を持ちたい」と豪語していた、マセた女の子。事実、多くの崇拝者を持つ女王様に成長していた。

一方で、教師になるためにクイーン学院に進学する一面もあったりする。もっとも、「卒業したら二年間だけ教えて、それから結婚するつもり」だったが。

しかし、そのわずかな時間を待たずに教職を休まざるを得なくなる。喀血したのだ。

病名は奔馬性肺結核。馬が駆けるように急速に悪化することから名付けられた、悪性の結核で、当時としては死病だった。

ルビーは、ダイアナと2人で会いに行ったアンに「話したいことが山ほどあるの。あんたとあたしはもとから仲よしだったわね?」と言う。

「ちょいちょいきてね、アン?」ルビーは囁いた。「一人できてね―――あたしにはあんたが必要なのよ

しかし、ルビーってそんなに仲良かったっけ??と、正直キョトンとした。確かにアヴォンリー時代は仲が良かった。別格のダイアナ、堅実家のジェーンに次ぐ位置に居て、この4人は「物語クラブ」として活動したりもしていた。

が、石盤クラッシュの後、ちょっとした事件の見せしめのためにギルの隣に座らされたアンへの暴言(批評)が鮮明で、ジョシー・パイほどではないにしろ、意地悪なキャラのイメージが強かった。

恋愛脳が加速しすぎて、アンは一時期から明確に距離を置いていたし。

A「あたし、こんなんことを言うのは、いやだけれど……でも……いまのところ、あんまりルビーを好きじゃないの。いっしょにここの学校やクイーンへいったころは好きだったけれど……好きと言ってもあんたやジェーンほどじゃないけれどね。でもこの1年というもの、ルビーはすっかり、なんて言ったらいいのかしら、変わってしまったようだわ。」D「そうなのよ。リンドのおばさんも言ってなすったけど、ギリスの家の娘はみんな、そうだ、話すことと言えば、男の子がどうしたの、だれが自分に夢中になっているの、ってことばかりだって。」

クイーン学院時代のギルは、ルビーの崇拝者のごとく振舞っていたし、ルビー自身もその数に入れていた。ギルはやっぱりイケメンなんだな。

が、アンは、ルビーにギルの話し相手は務まるまい、と考えていた。

まだ仲直りもできていない状態の割に、このへん図々しくていいよね。色恋の前に信頼と自信があるのも。

一方で、色恋を考えると、やはりルビーは魅力的で、ギルとの仲を妬いたことは一度や二度ではない。色恋かぶれの美女といえばフィルもだが、アンはフィルのことを「ルビーに似てる、ルビーはムカつくけどフィルは可愛い」的なことを言う。割とひどい。

そんなルビーだが、いざ喪うとなると情が戻り、アンは度々ルビーの元を訪れるようになる。

ルビーはアンを頼りにしているらしく、またじきに来ると約束するまではけっして帰らせなかった。

弱っているときに会いたい人、会っても大丈夫な人というのは選ぶもの。アンがそれというのはよくわかる。

けど、今回読み返して初めて、あぁ、言ってもアンはまだ幼いんだな、と感じた。

大切な友を大切に想い、寄り添う、その合間に、あの忌まわしき物語を紡いでいるのだ。

アンの処女作、「アビリルのあがない」である。

『アビリルのあがない』

「アビリルのあがない」はアンの好物をこれでもかと詰め込んだ、ロマンチックでドラマチックで悲劇的な物語。アビリルの求婚者パーシバル・ダリンプルは2ページにわたって喋り続け、同じく求婚者であるモーリス・レノックスは悪事のあと改心の機会を与えられずに死ぬ。

ダイアナも隣家の毒舌ハリソン氏も、パーシバルの中身のなさを指摘し、モーリスの方がずっと良いと言うが、アンには理解できない。

中身のないロマンチックなだけの男性…どっかで聞いたな。ロイに出会う前にこれを書かせてる作者よ。

さらに、この「そのほうがずっとロマンチック」だからという理由で「最後を悲しくした」物語を、ルビーの闘病と迫った死を身近に感じながら書くアン、そしてそれを描く作者よ!

「アビリル〜」の話は、滑稽なエピソードとして描かれていて、私の中では長らく閑話休題的な存在だった。

けれど、このエピソードがルビーとの最期の日々の中にあることに気付いて、初めてゾッとしたのだ。

ルビーの恐れとアンの性質(タチ)

ルビーは相変わらず崇拝者を弄んで楽しんでいるが、ある日アンについに不安を吐露する。

「あたしは死ななくちゃならないの―――大切に思うものをみんなうしろに残して」

ルビーにとってアンが救いだったことに疑いはない。けれど、欲しかったのはアンの言葉ではなく、寄り添ってくれる存在としてのアンだった。

ルビーは枕に身をおとしてひきつれたようにすすり泣いた。アンはどうしてよいかわからぬ同情の思いで、ルビーの手を握りしめた―――無言の同情であった。これが途切れ途切れの、不完全な言葉よりもルビーを力づけたらしく、やがて彼女は落ち着いてきて、すすり泣きをやめた。

アンも別に性格がすごく良いわけではない。ルビーは、アンの持つ前向きさや輝きを欲したのだろう。全てをあまねく照らす太陽ではなく、静かに先を示す月のような光属性の旧友。

また、アンの友情というのは、お互いがじっくり見つめ合うというよりも、同じ方向を向いて進んでいけるかどうかを重視していると思う。ロイのプロポーズを断った時、理想の結婚相手についてフィルに語った時もそうだった。

これは、ある意味、自分の容姿や肩書き等々に対してそこまで関心がないということでもあり、そこに強く執着する性質のルビーにとっては安心要素なのだろう。自分にはわからない世界を見ている、近くて遠い旧友。

クイーンで連れ添っていたギルについて、ジェーンに

「ギルバートの言うことは半分もわからない、ちょうどアンが何かを考えこんだときに言うのとおなじことを言う。あたしは必要のないときに本やそんなことに頭を使うのはつまらないと思う。」

と言ったこともある。

これはアンの愛すべき性質と言っていい。この時のルビーにとっては。

しかし、アンはただの救いの天使ではない。

アンの崇高なる決意

ルビーの慟哭を聞いたアンの気持ちはこちらで、

アンはいたたまれぬほどの苦痛を覚えながらすわっていた。気休めの嘘は言う気になれなかったし、ルビーの言ったことは全て恐ろしいほど真実だった。ルビーは貴重に思うものをすべて残して行くのだ。宝をこの地上にのみたくわえ、人生のとるに足りぬーーーうつり行くもののみのために生きてきたのだーーーそして永遠までもつづく偉大な事柄、二つの世界をへだてる溝に橋をかけわたして、死を一つの住家から他の住家へーーーたそがれから晴れ渡った白日の中へうつる動きにすぎないものとする、偉大な事柄を忘れていた。

その夜の帰路の様子がこちら。

その夜を境にしてアンはある変化を感じた。人生は異なった意味を、さらに深い目的を持つようになった。表面は以前と変わらぬ行き方をするだろうが、すでに深い底が揺り動かされていた。自分はみじめな、ルビーのようであってはならない。(中略)天井の生活はこの地上から始めねばならぬ。

アンちゃん…冷静すぎるよ…

ほんと、ある意味ルビー自身のことは見てなくて、自分本位で、前向きで、胸が痛い。みじめとか言ってやるなよ。

ここのアンは、確かにレドモンドで奨学金を取るような賢しい女性で、眩しくて、遠い。

もちろん、キリスト教的な背景が多分にあるので、現代に生きる私の感傷に過ぎないのかもしれない。アビリルネタの後は、無邪気なデイビーの罰当たりな振る舞いが神のいる世界でどう扱われるかが詳しく描かれていて、これはそんな世界の話だから。

「去りゆく友」

思えば、第3作は旧友たちとの生き方がはっきり分かれていく様子が描かれている。

アヴォンリーに残り、地元の人と早くに結婚して子を産み育てていくダイアナ。

教師を辞め、離れた土地で出会った年上の富豪に見染められてダイヤに埋れて嫁いで行くジェーン。

若く美しいまま散るルビー。

そして、愛と夢と希望を知性に乗せ、なおも進むアン。

根っこはつながっていても、離れていくよね。良いことだけれど、寂しくもある。この先は、残ったダイアナやジェーンの出番もかなり減っていくし。

いずれ伴侶と出会う土地へ旅立つジェーンを送るため、アンを始めとする旧友たちが楽しく集う夜、ルビーはもっと遠くへ静かに旅立つ。亡骸になってもなお、語り草になるほどの美しさを残して。

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『アンの愛情』は、言ってみれば知的上流階級の完全勝ち組なアンの物語でもあるので、この「華やかな、陽気な、あだっぽい」ルビーの物語はある意味強く印象づけられる。

凡人読者の私は、所詮アンのフィルターを追体験させてもらってるだけで、感情移入するなら俗人のルビーの方がずっとしやすい。それが強制退場させられたかのような切なさがあるのだ。

一方で、「アビリルのあがない」を紡ぐアンが至極冷静にルビーの死を乗り切り、「アビリルのあがない」を冷笑して見ていた自分がルビーの死を深く感じる矛盾もある。切なさは、認めたくはないが、甘やかだ。

また、いま読むと、完全に親目線というか、可愛いお嬢さんたちを見守ってる気分なので、自分の娘たちと重ねてしまう部分もあるし、いまあるものを遺して自分が死ぬことを考えてしまう部分もあり、かなり精神を削られる。

「去りゆく友」。

章題をみるだけで泣けてしまう。

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我ながら、なんだかなぁ、としんどくてなかなか筆が進まず、やっとここまで書いた。

(と言いつつ裏で「アンの幸福」「アンの夢の家」「炉辺荘のアン」を読み返してたけど)

次はパティの家について書く予定!

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