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転勤生活と子どもたちの変化

この地に来て、1年と8ヶ月が経った。

もう少しで、かの地に戻ることになる。

この結論を出すまでには、それなりに葛藤があった。

不確定な任期

まず、夫の任期は、ほぼ2年だろうと思われた。
前任者の任期や慣例等々からの推測ではあったが。

2年目を迎える去年の夏前、私は辞令が出るのをいまかいまかと待っていた。

ところが、連絡がない。

待てど暮らせど、連絡がない。

オヤオヤ??と思っているうちに時が過ぎ、夏休みが始まった頃にはさすがに察した。

どうやら、まだ帰れない。

次に気になるのは、いつまで延長なのか、である。

延長自体がちょいレアパターンなので、

丸っと1年間延期なのか、
それとも年度の区切りまでの可能性もあるのか、

可能性としては前者が高いけれど、
確信は持てずにいる。

いつ帰るのか問題

任期は気になるが、気にしない、という選択肢もある。

別に母娘で先に帰ればいいだけの話だ。

もちろん、自分都合で帰る家族の引っ越し代は出ないので、
コスト的な問題はあるのだけど。

(1人分で浮いたコストをちょっと回してくれたっていいじゃん、と思わなくはない)

コストには一旦目を瞑るとして、
選べるとしたら、いつが良いのだろう。

これが、ずっと課題だった。

一番の問題は、長女の学年と環境だ。

一番可能性の高い今年の夏。
卒業間近、6年生の夏。
中受が多い学校の、6年生の夏。

いや、キッツいて。

久しぶりの再会に浮かれても、
仲良しのお友達は週5で塾、みたいな生活である。

こっちに来て学力が落ちたとは思わないけど、
あちらの中受ガチ勢の伸び率もまたわからない。

せめて受験がまだすこし遠い時期に。
そして、春先の修学旅行や運動会を楽しめる時期に。

一方で、私の仕事の問題もあった。
特例的に、フルリモートワークの許可をいただいている状態だ。
普通に出勤している同僚たちは、子の不調でもリモートワークはNGである。

言いたいことはいろいろあるが、会社の方針と言われてしまえば返す言葉がない。
代わりと言ってはなんだが、急なお休みをいくらとっても、会社からも同僚からもネガティブな言葉をかけられることはない。

そんな環境で、自分が参加する打ち合わせだけ、わざわざzoomのセッティングをしてもらっているわけで。

リモートワークが延長になりましたーもうしばらく特別扱いよろしくね、は、かなり気まずいのである。

そんなこんなをいろいろ考えた結果、結論を出した。

『冬に母娘で戻ろう。』

子どもたちの変化

子どもたちには、あらかじめ、多分2年になると思う、と伝えていた。

幼馴染たちとの別れに対する動揺や悲しみを、あくまで一時的なのだと強調することで緩和させる目的で、ことさらに強調したようにも思う。

だからか、長女は特に、最初からこちらのお友達に自分は期間限定だと公言していた。次女も、仲の良い子たちには伝えていたらしい。

それはそれで「所詮君たちとの付き合いは一時的なものだ」という牽制になってしまうのでは…?と親や担任はハラハラしたものだが、幸い大きな影響はなかったようだ。

そんな風に、新たな友人関係を築きつつも

「東京のお友達に早く会いたい」
「戻るのが楽しみ」

と言っていた2人だが、「あ、秤が動いてしまったかな」と感じたタイミングがある。

予定していた夏を越えた時だった。

自分たちの中でも、夏に帰るからとストッパーをかけていた部分があったのだろう。

 たぶん夏だけど、はっきりとはわからない

という状態から、

 冬に帰る

と、残り時間が確定したことも影響したと思う。

放課後遊ぶ約束をしてくる、休みの日に遊びやお泊まりのお誘いがくるなど、一歩踏み込んだ感があった。

家で話に出てくるお友達も増えた。

習い事でも、このあたりで一段階上達した感があり、上のレベルの子たちとの距離が一気に縮まった。

何より、

「もう少しこっちに居たいなぁ」
「こっちの中学行きたかった」

などの発言が出るようになった。

特に長女は、修学旅行や進学の話が出始めて、その時そこに居ない自分をリアルに感じたのだろう。

踏み込んだことで、得たものが確かにある。

第二の故郷と言っても過言ではない土地を知り、
忘れがたくも会いづらい遠い地の友を得て、
同時に、
離れがたい離別の淋しさ悲しみもまた強くした。

予定通りの任期だったら、との思いは今も頭を掠めるけれど、
彼女たちへの影響は、悲しみも含めて、けして悪いものではないと思っている。

とはいえ、ぶっちゃけ引っ越しはめんどくさいですがね…
また単身赴任&ワンオペ&電車電車通勤の日々かと思うと憂鬱でもありますが。

まぁ、切り替えていきましょうかね。

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