人を信じるという難題

看護師というお仕事は、超売り手市場と言われている。
100社受けて全部落ちましたなんてことはおおよそ無い。受けたら受かる。落ちても次の次までには受かる。転職王、もとい私でも、2つ目で受かっている。それくらい、若葉が枯れていく世界という意味でもあるのだけど。

そんな私はクビを経験している。


看護師で解雇は珍しいと思っている。田舎の診療所勤務時代、試用期間を一方的伸ばした上での打ち切りという経験をした。今鮮明に思い出せるのは、院長妻の嫌味な言葉の数々より、彼女の薄汚れた白髪頭と小鼻の毛穴の黒ずみである。細かい出来事は、ラジオのノイズが入ったときのように霞んでよく思い出せない。
詳細は割愛するけれど、同族経営にロクな経営者はいないということ、特に院長妻の扱いは最高に難しいということ、ホンネとタテマエの間には太い線が引いてあること。前職でのイジメに折り重なったこの出来事は、人間を信じるという途方もない作業をことさら難解に仕立て上げてくれた。


人と人との関係を築くには、何が必要なのだろう。
求めているのは見えるような分かりやすいものでもなく、感じられるほど美しいものでもなくただただ、自然に言葉を交わして笑い合うだけの繋がりである。それすら、握った手の中で迷子になる。努力で解決できるものではどうやらなさそうだ。それならば、きっと答えは永遠に出ない。


誰かを信じるということ。
それは怯えずに思いを言葉にして話すことだと思う。

あなたは、怖い人ではないですか。
あなたは、言葉を投げつけてきたりはしませんか。

受け入れられたいなら受け入れて、というごくごくあたりまえの交換条件を抜きにして他人の心に近づくのは卑怯だと、心の何処かでわかっているのに。忍び足でないと他人に近づけない弱さを抱えながら、それでも繋がりを求めて光を探している。
忍び足から成長するには、もしかしたらとてつもなく膨大な時間がかかるのかもしれない。


新天地に降り立ち数ヶ月が経過した。
努力でどうにもならないことかもしれないけど、諦められず、ありふれた人間関係を築く努力を今日もまた繰り返している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?