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シンクロ

 「またか–––」私は小さく呟いて、唇を噛んだ。
 父が右手首を怪我して帰ってきたのだ。
 帰りの電車でドアの近くに立っていた父は、急カーブで車内が揺れると、とっさにドアに手をついた。混雑した車内は重心が外側に傾き、父の方に人が雪崩のように覆いかぶさった。その時、ドアについた右手に重なり合った乗客の体重が思いきり乗ったのだという。
 「いや、折れてなくてよかったよ」
 苦笑する父の右手は、関節から手の甲にかけて不自然に膨れ上がっていた。
 誰に診てもらったわけでもないのに、折れてないと父は言い、言わなくてもそれが骨折でないと、私は知っていた。
 「母さん、何か冷やすものある?」
 父が聞くと、「ああ、そうね」と、母は慣れた様子で、古いタンスから湿布を取り出す。
 「ウチには湿布が山ほどあるのよ」
 得意げにそう言うと、シールと布を器用に剥がし、父の手首に貼り付ける。
 「そうだったね」
 二人はふいに目を合わせて笑った。
 かいがいしく世話をする母と、照れ臭そうにその様子を見守る父。
 私は居間のソファに埋もれて、静かにその光景を眺めていた。
 微笑ましく、このうえなく平和な光景––––なのだろう。
 なのにそれを見て鼻白む私は、きっと嫌な奴だ。
 「母さんは、なんともない?」
 「え、ああ、うん。“私は”平気。」
 母が答えると、父は思い出したようにこちらを振り返る。
 「健美(きよみ)は–––––」父は言いかけたが、私が目をそらして立ちあがると、言葉を詰まらせた。黙ったまま今度は視線を落とし、私の右手に向けたが、私は見られまいとサッとそれを背中に隠した。
 「別に」
 わざとらしくぷいと顔を背け、逃げるようにその場から立ち去った。
 気まずい空気をリビングに押し付け、廊下を歩いていると、「思春期だから」と言う母の声が聞こえた。

 自室に戻ると、電気もつけずバタンとベッドに倒れこむ。赤く腫れた右手がじわじわと痛みだす。
 まただ。また––––。また…。また…。また…。また…。
 しんと静まり返った薄暗い部屋の中を、私の呪文のようなつぶやきが力無く泳ぎ、やがて消えていった。目を瞑り、さっきの二人の顔を思い浮かべた。私を心配し、同時に哀れむような顔。
 きっと思春期だから、まだ現実を受け止められないのよ。今はそっと見守りましょう––––。そんな見当違いな思い込みで、寛容な親を演じているのだと思うと無性に腹がたった。
 私と父が同じ日に、同じ場所を怪我をする。そんな絶望的に間抜けで、まるで冗談みたいな話に、私はうんざりしていた。
 私たちには、こういうことがたまにある。
 「父と」だけじゃない。「母と」だったり、「父と母」だったり、いつもきまって誰か二人だった。
 この現象のことを父と母は「シンクロ」なんて呼んでいたけど、私にとっては、もっと深刻な問題だった。「災い」というべきか。だからそんな気の利いた言い方で、この不吉な出来事を自嘲する気にはなれなかった。
 唯一良かったのは、それが捻挫とか切り傷程度のもので、逆に大きな怪我などは一度だってなかったことだ。生まれてから一度も。それを知っていたから私は、家族の誰かがどこか傷めて帰ってきても、特別気にも掛けず、「ああ、またか」とため息をつくのだ。
 いつからだろう。私たちがこんな風になったのは。
 頭の中に忌々しい過去の記憶が蘇る。

 あれは、小学校低学年だっただろうか。教室の隅には数匹の金魚が泳ぐガラスの水槽があった。
 生き物係だった私は、同じ係のもう一人の子と水槽の水を取り替えようとしていた。
 ランドセル置き場の上に置いてあったそれを、せーので持ち上げた時、誤って手を滑らせて落としてしまった。
 バリーンという強烈な音とともに水槽の水が教室に溢れ出た。四散した分厚いガラスの破片。ピチピチと跳ねる金魚。
 水槽のもう片方を持っていた子はその場に座り込んで泣いていた。
 惨憺たる光景を前に、呆然と立ち尽くしていた私は、そのガラスの破片で手を切っていたことに気付かなかった。
 指先からポタポタと垂れる血に気付いた担任の先生は、急に怖い顔になって私の腕を掴み、保健室に連れていった。
 滴る血を見て私はひどく動揺した。けれど実際は、親指の付け根あたりを1センチほど切っただけだった。それでも思いのほか出血が多かったので、少し大げさな包帯を巻いて家に帰った。
 父は私を一目見て頷き、「やっぱりね」と笑った。母も「やっぱり」指を傷めていた。
 お互いの傷を見遣って、照れ臭くなった私たちは、
「おんなじだね」と言って、包帯で巻かれた手を付き合わせて笑ったのだった。
 あの時、父は「やっぱり」と言っていた。それに小学生の娘が手に包帯を巻いて帰ってきても驚かなかったのだから、きっと初めてじゃない。もっとずっと昔、もしかしたら生まれる前からあったのかもしれない。
 母が私を産んだ時、二人は予め用意していた名前をつけた。
 健美(きよみ)–––。
 「健康第一」みたいな名前が、かえって自らの不健康を喧伝しているみたいで、私は嫌だった。
 名前には願いが込められている。願いとは、つまり現実の裏返しだ。足りないものを満たそうとする欲求の現れだ。
 そうして考えれば考えるほど嫌悪が増し、溢れ出る負の感情を抑えられなかった。それでも、嫌悪の対象が自分の名前にまで及ぶと、さすがにそれは父と母に悪いような気がして、そこで考えることをやめた。
 胸に抱いた右手はまだじんわりと熱を持っていた。


 「ねえ、なんでウチはいつもこうなの?」
 台所で夕飯の支度をしている母に、私は問いただした。
 「こんなのやっぱりおかしいって。」
 「んー?」聞こえなかった、というフリだ。
 「どうにかしようとか思わないの?」
 ピーラーでせわしなくジャガイモの皮を剥く母に、少しだけ語気を強めた。
 「何が?」
 「何がって…」
 分かっててとぼけてる母にむっとして黙ってしまった。
 「どうにかって、どうするのよ」
 沈黙に耐えかねたのか、めんどくさそうに答えた。
 「どうにもならないでしょ」
 「そうじゃなくて…。嫌じゃないの?」
 「嫌じゃない」
 言って振り向いた母はどこか誇らしげだった。
 「私たちはね、みんな繋がっているの。血の繋がりっていうの?そうやって良いことも悪いことも共有して、分かち合うことが大事なの。それが家族でしょ?」
 「そうじゃなければ家族のじゃないの?」
 「そうじゃないけど……。あんまり大きなことにならないように、小さく分け合いましょうってことでしょう?」
 私が聞きたいことと、母の答えがちぐはぐでイライラする。
 「そういうのって、違うと思う。なんか逃げてるみたいじゃない」
 「助け合いでしょ」
 「依存だよ!」
 思いがけず棘のある言い方になったことに自分でも驚いた。それでも私は間違ってないと心の中で呟く。
 「仕方ないじゃない。そういうふうにできてるんだから。痛いのだって、大したことないんだから。それでいいじゃない?」
 良くない。良いはずがない。
 異常だ、歪だって言いたかったけど、言うと母を傷つけるかもしれないと思って、それ以上言葉が出なかった。
 この話はもうお終い、というふうに母はもうシンクに向き直ってナスを切り始めた。
 

 あの日。水槽のガラスで手を切った日。
 同じように手に傷のある母が私に笑いかけていた。
 私は嬉しかった。教室の事故で自分を責め、落ち込んでいた私を、母はその笑顔で救ってくれた。痛む傷も、罪の意識も、分かち合うことで稀釈され、和らいでいく。痛みを通して母との絆のようなものを感じて、胸の奥が温かくなった。
 ところが、それで終わらなかった。二度、三度と同じことが続くと、今まで意識しなかったその偶然に、違和感を覚えるようになった。この違和感を母に訴えたが、母はどこか他人事のように、「不思議ね」としか答えなかった。けれど、まともにとりあってくれなかったことで、私はかえって安心した。本当にただの偶然かもしれない。そうでなくとも、幼い私はその違和感を、まだ見ぬ世界にいくつもある不思議な出来事のひとつとして自然に受け入れることが出来た。結婚すれば自然と子供が出来ると教えられた、あの違和感のように。
 それから数年後、私は地獄を見ることになる。「あの事件」の後、私は確信する。私たちは呪われているのだ、と。

 昨日のニュースでは梅雨明けが報じられていたけど、今日は朝から曇っていた。念のため傘を持って家を出ると、すでに空気は湿っていて、今にも降り出しそうだった。
 玄関を出ると、私道を挟んですぐのところに土手に続く階段があり、登っていくと大きな川が見える。
 川に沿って土手道が続いていて、その道をまっすぐ2キロほど歩いた先に私の通う中学校がある。
 川の大きさの割に狭い砂利道は、朝は通勤通学の人で溢れ、少し窮屈だった。
 少し先に、見覚えのある後ろ姿があった。シホだ。ミホかもしれないけど、ミホは部活の朝練で早くに出ていることが多い。
 シホとミホは双子で、髪型も同じだから、制服を着ていると見分けがつかない。
 「シホ」
 八割方間違いないと踏んで呼びかける。
 「おー」と言って振り返る。当たりだ。
 コンビニで買ったのか、手には三つ入りの薄皮クリームパンを抱えている。そういうところがシホなのだ。
 「おはよ。今日雨降るかもってよ」
 「マジで?傘忘れたー。ついでに宿題も忘れた」
 そういうところがミホとは違うのだ。
 「ところでシホってさ…。双子じゃん?」
 「今さらぁ?」ニヤッと笑って私を覗き見る。
 シホとは小学校五年生の時からの付き合いだ。
 ミホと違ってあんまり物事を深く考えないシホの方が話しやすく、何か相談をするとき、私はいつもシホの方を選んだ。
 「双子ってさ、よく偶然同じ時に、同じことが起こるとかって聞くじゃん?そういうの、ある?」
 「あー、まあなくも無いよね。おんなじ本とか洋服を買って帰ってきたとか。あと、街で偶然出会うこととかもよくある。でもそれくらいかな。なんで?」
 「いやちょっとね。他にも…。そう、例えばおんなじ所怪我したりとかは?」
 シホは、うーんと少し考えてから、「あっ」と何かを思い出し、私を見て吹き出した。
 しまった。もっと遠回しに聞けばよかった。あの事件––––。
 「が、眼帯––––––」言葉の先が続けられないほど笑い、ゲフゲフとむせている。その横で私は、あーはいはいと眉をひそめて収まるのを待った。
 「あったよねー眼帯事件」目に涙をためて、またチラリと私を見た。


 小学校六年生の授業参観日。私は眼帯をしていた。ものもらいだった。よりによってこんな日に眼帯なんて、と気が重かった。
 授業が始まる前に教室の後ろのドアから父兄がぞろぞろと入ってくる。生徒たちはみんな気になって、チラチラ後ろを振り返り、自分や親しい友達の親をそれとなく探していた。
 私は列の最後の方に入ってきた母を見て、あっ、と小さく叫んで目を見開いた。体が硬直してさーっと血の気が引いていく。
 母も眼帯をしていたのだ。教室は一瞬しんと静まり返り、それからクラスメイトは近くの友達と目配せすると一斉に笑い出した。
 爆笑の渦の中で私は、国語の教科書で顔を隠してうずくまった。顔が焼けるように熱い。今すぐここから逃げ出したい。早くこの時間が終わってくれ、と何度も神様に願った。
 担任の先生は眼帯のことには触れないように、「静かにしなさい」と注意していたが、その口元はかすかに震えていた。親子揃って眼帯してるのだ。笑わない方がおかしい。別の誰かだったら私だって吹き出していたに違いない。
 しばらく笑いは収まらず、授業中も教室のあちこちからクスクスと笑い声が聞こえた。それから授業が終わるまで、私はずっと教科書を盾に、机に突っ伏していた。
 ようやく終わって父兄が退席する時、もう一度だけ母の方を見た。母は近くにいた誰かのお母さん連中と話し、人差し指で自分の眼帯を指したりなんかして周りの笑いを誘っていた。
 こんな時にでも平然と笑顔を振りまく母を心底憎んだ。母の眼帯の理由を、私は知らない。でも、そんな状態なら授業参観なんか休んでくれれば良かった。どうしても来るなら無理してでも眼帯を外してくればいい。教室という30人程度の狭い世界で生きていくには、どれだけ神経を使うのか知っているだろう。まして女子ならなおさらだ。
 それから私は、案の定「海賊」と呼ばれるようになり、残りの小学校生活をジメジメとした暗いトンネルを歩くように過ごすことになったのだった。

 朝の八時にクリームパンを片手に引き笑いをするシホを静かに見ていた。ミホに話せばよかったと真剣に後悔した。
 なぜよりによって、同じクラスだったシホに話したのか。
 「今日の体育なんだっけ」
 シホはひとしきり笑い終えると、憮然とした私に気付いて話題を変えた。
 「バスケ」吐き捨てるように言って目を逸らす。
 「お、よかったじゃんバスケ部。あたし運動苦手だからなぁ」
 「別に。どうでもいい」

 中学になって、私はバスケ部に入部した。小学生の頃は本ばかり読んでいて、いつもおとなしく控えめに過ごしてきた。休み時間にサッカーとかドッジボールをしているクラスメイトを見ると、「怪我でもしたらどうするんだ」と、白い目で見ていた。
 そんな私がバスケ部に入ったのは、自分の中で、ある可能性について考えたからだった。
 体を鍛えれば何か変わるかもしれない––––。
 父と母は二人とも小柄で、線が細く、見てて不安になるくらい弱々しい容姿だった。私の体もまた、二人のDNAを忠実に受け継いで、貧相で頼りなかった。

 私たちの、この頼りない体が歪な依存関係を引き起こしているのではないか。とても拙い根拠だったけど、それくらいしか思いつかなかった。
 バスケ部に入ると、私はこれまでの分を取り戻すようによく食べた。
 よく食べ、コートを駆け回り、また食べる。
 半年もすると、手足にうっすら筋が張り、厚みが出てきていた。
 バスケ部の中ではまだ小さい方だったけど、筋力が増したことで、激しい競り合いにも負けないようになり、時々は試合にも出させてもらえた。
 中三になって父の身長を超えた時、私はもう身体的な保護を必要としないのだと自分に言い聞かせた。
 ここのところ、あの“偶然”もなりを潜めている。もしかしたら–––––––。
 父が右手を捻挫して帰ってきたのは、その矢先のことだった。
 あれから数ヶ月、私は部活にはあまり顔を出さなくなった。惰性で続けてるだけのバスケに魅力を感じなくなったからだ。
 もうどうやってもあれからは逃れられない。今朝のシホとの会話を思い出し、また胸が悪くなった。

 午後の体育がバスケでも気分は全く高揚しなかった。フェアでないという理由で、部活で使っているバッシュが禁止され、仕方なく体育館シューズでコートに入った。ワックスのよく効いたコートの中も、シューズが違うといつものように動けなかった。遊び半分でプレーするチームメイトとはパスも繋がらず、完全にやる気を失っていた。もう適当にやろう。そう思ってゴール前でウロウロしていると、思いがけず後方から大きく弧を描いてボールが飛んできた。オーバー気味の高いボールをキャッチしようとジャンプする。なんとかボールには触ったが、思ったより高く、手に収めることができず、ボールは弾かれて後ろに流れた。無理をしてもう一度手を伸ばそうとしたのがいけなかった。仰け反るように身体が捻れた。立て直そうと足を伸ばしたが、すでに思ったより地面が近かった。着地、というよりくるぶしを床に押し付ける形になり、足首からグキッという鈍い音がした。
 足首に全体重がのしかかり、崩れるように倒れた。あまりの痛さに、言葉にならない呻きを発してその場でうずくまる。
 ボールの行方を見守っていた全ての人がそれを見て騒然となった。ボールを投げた味方選手は、口に手を当てて泣きそうになって立ち尽くしている。
 コートの中にいた全員が私の元に集まり心配そうに覗き込む。インターバルで休憩中だったシホも駆けつけた。
 「大丈夫?折れた?」
 私は黙っている。まだ声が出ない。
 後から体育担任が人をかき分け、やってきた。
 「大丈夫か、見せてみろ」
 耳には入っている。でも意味をなさない。
 刺すような痛みに耐えながら、しかし頭では全力で別のことを考えていた。
 これはもしかすると–––––––。
 いまだかつて経験したことのないような激しい痛み。ありえない…。そんなはずないのだ。なぜならこういう大きな怪我がないように私たちは分け合っていたからだ。放っておいても知らないうちに治る程度の小さな怪我。それが私たち家族の運命であり、呪いなのだ。だからもしかすると、事故は「私だけ」に起こったのではないか。確かめたい。確かめなきゃいけない。
 私は顔を上げる。
 「大丈夫です、ちょっとひねったみたいだけど。大したことないです」
 痛みで今にも泣き出しそうになるのを悟られまいと、表情を崩さず必死で歯を食いしばり、口元だけで精一杯の笑顔を作る。
 「いや、でも…」と言いかける先生に、私は被せるように続けた。
 「保健室で見てもらってきます。ひとりで大丈夫です。歩けますから」
 私は脂汗を腕で拭って、何ともないように立ち上がる。経験したことのない痛み。でもそれを振り払えるだけの決意があった。
 なるべく無理がバレないように自然に足を運び、立ち去ろうとする。
 その時、誰かが私の腕を掴んだ。
 「ねぇ、大丈夫なの?」
 シホだ。真剣な顔で私を見ている。
 今朝の会話から、何か察したのかもしれなかった。
 「だから大丈夫だって」
 面倒だな、と思って顔を背けようとすると、シホは私の顎を両手で覆うようにわしっと掴んで正視した。
 「本当に大丈夫かって聞いている」
 シホの深い茶色の瞳は私を捉えて離さない。

 「–––大丈夫」
 今度は目を見て答えた。
 「わかった」

 もちろん私は保健室などには行かなかった。体育ジャージのまま、傘だけを握りしめて校舎を出た。空は細い雨を降らし続け、道にいくつもの水たまりを作っていた。校舎の外は人の気配がなく、心細かった。この足を抱えたまま、ここから家までの2キロの道のりを思うとくじけそうになる。
 それでも–––。と思う。
 それでも私は帰らないといけない。

 鉛のように重くなった右足を引きずって歩き始める。傘はささず、松葉杖のように地面について、ずいずいと前へ進む。少しでも右足が地面につくと激痛が走った。目に涙を浮かべ、眉間にしわを寄せる。食いしばった奥歯が圧力に耐えきれず、ギリギリと悲鳴をあげた。
 私の思考の半分は痛みによって支配されていたが、もう半分で父と母のことを思った。
 小さく、気弱で、けれどいつも明るく振る舞う二人。私たちが抱える問題について、盲目的に受け止め、むしろ歓迎さえしている様子だった。私はそれが嫌で反発していたけれど、二人のことを嫌いだと思ったことは一度もなかった。
 父と母は私に優しかった。過保護だとも思う。溢れる愛情が煩わしいと思う時期もあったけど、その愛情が偽りでないと知っていた。だから私はそのままを受け止めた。
 だから母が「血の繋がり」と言った時、私はひどく腹が立った。
 血が繋がっているから家族なんじゃない。痛みを分け合うから家族なんじゃない。そういうわかりやすいものを理由に「私たちは家族だ」と納得させることに嫌気がした。同じ屋根の下、隣で心安らかに眠れればそれだけで家族なのだ。傷ついた私の顔をわしっと掴み、目を見て「本当に大丈夫か」と聞いてくれる人のことを友達だと言えるのと同じだ。
 相手の本当の気持ちなんて、痛みや苦しみなんて分かりっこない。それでも、「想う」ことが大事なんだ。相手の身に起こったことを、自分のことのように「想う」だけでいいんだ。家族だからって、痛みや苦しみを押し付けたり、肩代わりしてはいけないんだ。この痛みも、苦しみも、私のものだ。私だけのものだ!

 雨と汗で濡れた体育着がべったりと肌にまとわりついて気持ち悪い。履いていた青いジャージが深い紺色に染まる頃、土手に沿って林立する木々の隙間から私の家が見えた。
 「お母さん!」と心の中で叫んだ。
 這うように玄関までたどり着くと、ドアにもたれかかって膝をついた。一息入れてドアを開け、今度は声に出して叫んだ。
 「お母さん!」
 家の中はしんと静まり返っていた。胸騒ぎがする。傘を放り投げ、急いで居間まで行くと、けれど予想に反して母はソファで静かに寝ていた。無事だ。胸をなでおろし、小さくため息をつくと、顔を上げてリビングの扉近くにあるカレンダーを確認する。父は出張中で、今日帰ってくる予定だ。
 お父さん–––。

 玄関を開け、空を見上げる。いつのまにか雨脚が弱まり、灰色がかった雲の間から光芒がさしている。出張明けの父の帰りは早い。父を迎えに行こう。
 右足は既に麻痺していて、まるで感覚がなかった。大丈夫、まだ歩ける。父と会いたい。会って父の無事を見届けるんだ。その時、きっと私はこの馬鹿げた運命から解放されるんだ。
 土手に続く階段を、もはや他人の足のように重くなった足を杖のようにして、一歩ずつ慎重に踏み上げる。上まで登りきると、今朝通った土手道をもう一度歩き出す。
 父もこの道を通るはずだ。この道のどこかで父と出会える。
 色のない世界が徐々に橙色に浸食され、川面に刺す光芒の先には僅かに太陽が覗いていた。
 私のいる無彩色の世界は数十メートル先で途切れ、そこを境に極彩色に煌めく光がその先の道を照らしていた。
 そこは常に誰かに寄り添われ、保護してもらえないと生きていけない不自由な子供の世界ではなく、自由と孤独を謳歌する大人の世界のように感じられた。
 私は懸命に歩き、そのまだ見ぬ世界を手繰り寄せる。その先に父がいる。必ずいる。
 程なくして、私はその境界に立った。
 茜色の夕日が、世界に色を取り戻したその時、そう、私は確かに見た。まだ遠く、豆粒ほど小さな父の姿を。右手に傘を持ち、左手でスーツケースを転がしている。出張帰りの父の姿だ。父は「歩いて」帰ってきた。間違いなくその両足で。
 今––––。呪縛が、解かれた。
 燦々と降り注ぐ陽光を全身で浴びて、私は一度目を閉じ、そしてゆっくり見開いた。
 確かな父の輪郭を確認すると、体を大きく伸ばし、手を振った。
 私たちの距離が、互いの表情が分かるくらいまで近づいて、ようやく父が私に気が付いた。父は私と目が合うと、笑って手を振り返した。
 珍しく娘が迎えにきたと喜んだのか、少し早足に駆け出した。
 その時–––。私は父の背後に急接近する影を視界に捉えた。レース用の自転車に乗った一団が後ろから猛スピードで父の横を通り過ぎようとしていた。あろうことか、先頭を走る男は後を追う仲間を気にしたのか、後ろを振り返っている。
 「あぶなっ…!」
 言い終わらないうちに自転車は父のスーツケースに激突し、勢いよく弾き出した。
 父は弾かれたスーツケースに押し出され、斜めになった体が力なく宙を舞った。
 その様子を私の脳はスローで再生していた。
 斜面の方に、ゆっくり突き飛ばされる父。
 その姿は、まるでトクホマークのように陽気で、顔にはまだ笑顔の余韻が残っていた。
 けれど私はその時、ぐにゃりと曲がった父の右足首を見逃さなかった。体が傾いた拍子に、地面に残っていた右足に重心が乗った。足の裏が内側を向き、くるぶしは不自然に地面についていた。
 なんとも滑稽で、不思議なポーズをしたまま、ゆっくりと視界から消え去る父を見届けると、私はそっと目を閉じ、唇を噛んだ。

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