笑って流そう

私は生まれつきの脳性まひ。大昔、脳性麻痺は、長生きできないと言われていた。しかし気が付いたらもう50を過ぎているではないか?!
5歳まで歩けなかった私ではあるが、歩ける様になって行動範囲が広がると、母は、おつかいに行かせる。行くのは近くの商店、内気な子供だった私は、嫌だと泣いた。それでも母は、「お願い、愛しかおらん。豆腐が無いと味噌汁出来ん。」と懇願されて、大好きなお母さんの困った顔に負けた小さな愛は、五百円札を握りしめ、歩いて5分の商店へいざ出発。
人見知りな内気な少女だった私。のろのろと片道に、時間を費やす。店の入り口でモジモジしていると、中から店屋のおばさんが入り口を開けてくれた。「愛ちゃん、1人で来たん?」目を丸くしている。私は首を縦に振って、店の真ん中にある冷凍戸棚を指さした。
「絹ごし豆腐」そういうのにかなり時間がかかった。「母ちゃんのお使いか?えらいなぁ」
照れ笑いする私に豆腐の入った袋を手渡し、「ありがとう。」と出口で見送ってくれた。
こちらこそありがとうである。小さな愛ちゃんは、頼りない足取りでよたよたしつつも、確実に家に向かった。

内気な少女は、母のお陰で外に出るのが好きになった。しかし、愛ちゃん語は難しいらしい。
なに?と、聞き返してくれれぱ何度でも伝わるまで粘る。きいてくれる相手が、諦めなければの話である。聞き返して何度でも言う。この繰り返しで相手が聞きなれる。言語障害は私にとってコンプレックスでありながら、相手とのコミュニケーション手段である。
諦めなければ、伝わる。
そして笑い合える。

しかしながら、今愛ちゃん語が分かりづらくなったのは母である。悲しいが笑って流そう。

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