見出し画像

野鳥散歩|シギ・チドリ/干潟のペースで生きてみたい

前半は江津湖湧水とラムサール湿地のシギチの可憐さ、後半は会社員のつぶやき。

自然のペースと都会のペースの話。



今年のGWは長めに休みが取れたので、熊本の実家に顔を出した。父は私が小学生のときに他界したので、我が家は関西で夫と暮らす私と、東北に住む弟、そして熊本に残った母の3人構成だ。弟が就職で家を出てから生まれて初めて一人暮らしをする母だけど、このごろなぜかシャキシャキ・キラキラしている。

キラキラに、じんわり。家族が元気でいてくれることのほかになにを望むのか?本気で思う。(そして次の瞬間には頭は別のことを考えていて、あれが欲しい・ああなりたいと煩悩にまみれるのも常)

***

実家に戻ると、母と上江津湖を歩くのが習慣。県立図書館の横から川岸に降りれば、街中とは思えないほど透き通った水が流れている。この時期はとくに、水面は新緑を映して青緑に光るのだ。

この一帯は水前寺というんだろうか、多分市内でも地価が高いと思われ、立派な家がたくさんある。建築が好きな母は家を、私は鳥を。各々好きなものを見ながら同じペースで歩く。

去年クサシギを見かけた場所に、今年も同じ種がいた。
長いくちばしで水の中をつついている。

もっちりとした後ろ姿
かゆい

しばらく見ていたら岩場に近づいて、

座った。

***

翌日、ラムサール条約湿地に指定されている荒尾干潟へ行くことにした。車の運転が不安な私に、電車で行ける干潟はありがたい。
もちろん母も一緒に。母は、昔から私と弟の自然観察に付き合ってくれた。本来は建築や花や陶磁器が好きな人だ。動物なんて興味ないどころかむしろ苦手な人だった。それが、今や図鑑を使いこなして弟や私の指さす先に反応する。


いやあ、私に運転技術と計画力があれば、干潟じゃなくて有田陶器市に出かけたんだけどね。ちょうどGWに開かれているんですね。一応近場のホテルを調べたけど、直近すぎて全滅だった。混んでるのかなあ…

さて、干潟。
着いたときは13時近く、海水が堤防近くまでたぷたぷしていた。

…しまった。
潮を調べてくるのを忘れた。

目的のシギやチドリ(合わせてシギチ)は、春と秋に日本の干潟に立ち寄る渡り鳥で、ここでご飯を食べつつ休憩する。食べるのはアサリやゴカイのような底生生物。地面をつつく採食スタイルだから、潮が引いて砂泥地が現れたときがベストタイミングだ。
つまり、潮見表を見るべき案件。やっぱり計画力…ない。
満潮であれば干潟が出てこない。いまここにシギ・チドリはいない…と思いきや

目の前を大群が横切った。

キアシシギだろうか。
と、よーく見るとキョウジョシギが一羽紛れていますね。
非常にしれっと。


それを見つめるチュウシャクシギ。

長くカーブしたくちばしが上品

ラッキーだ。というか、やっぱり良い場所、良いシーズンなんだろうなあ。



近くにビジターセンターがあった。スタッフの方によると、満潮と干潮のちょうど間がシギチを見るのに良いタイミングらしい。
満潮だと餌場がないし、干潮だと遠すぎて見えずらい。そうか、引いていれば良いというものでもないんだ。何事も中庸が大事だって孔子も言ってた。

近くのコンビニで買ってきたご飯を食べながら、母と待つことにした。


30分、


1時間、、



2時間弱、、、、


海岸とビジターセンターを行ったり来たり。風は強いし、時々雨も降っている。天気すらちゃんと調べなかったのか、私よ、

と、

ようやく砂地が見えてきて、
どこかで休んでいたシギチたちがトコトコと現れ出した。

ダイセン
たくさん
ダイセンとキョウジョシギ


すごい。

ダイセン
メダイチドリとキョウジョシギ
シロチドリ


一気に賑やかになった浜辺から、目が離せなかった。


母はとっくに干潟に飽きて、ビジターセンターで本を読んでいた。



干潟のシギチパラダイス。
それでも今年はだいぶ数が減った、と地元の人が教えてくださった。そういえば、アサリが不漁で潮干狩りが中止だという張り紙をビジターセンターで見た。餌生物と関係があるのだろうか?

それと、いま埋め立てなどによって、全国的に干潟が失われている。日本を中継して長距離を旅する鳥たちにとって、干潟は重要な休息地、エネルギーチャージの場所だ。そして個人的には、たくさんの生命を感じられる場所。一見しーんとしているけど、鳥たちが集まるとそれを支える餌資源もあるわけで、目の前の生命の量に圧倒される。私自身のエネルギーチャージの場所でもある。

「湿地の保全」は、最近気になるキーワードの一つだ。


***


GWが明けた。
仕事でのわたしは、意外にも超都会的だ。

グローバル資本主義の権化みたいな会社で、都会の大企業をさらに大きく、豊かな社会をさらに豊かにするために邁進している。邁進というか、匍匐前進に近い、泥臭い仕事なのだけど。


ふだんはリモートワークで、週に一度は西神戸から東京に赴く。

在宅の日は、スクリーンの前でいつでも臨戦体制。
マネジャーだけどマネジメントは苦手なので、ぎこちなく格好悪く毎日を乗り越えている。朝は早く起きて仕事の設計、日中はミーティングとメンバーのレビュー、夜は自分の作業。リモートワークだから出退勤や誰かのチョッカイがない世界なのに、それでも真夜中近くまで椅子に座りっぱなしな日もあって不思議だ。雨の日も晴れの日も。
早くPCを閉じれる日があれば、それは貴重な勉強時間。愛用しているKindleは防水仕様なので、お風呂でもインプットを続けられる優れものだ。私たちはいつだって未知に直面しつつも涼しい顔でクライアントと対等に話をしなくてはならない。緊張するときの喉の渇きを少しでもマシにしてくれるのは、勉強したという事実と少しの成功体験だけだ。


出張の日は午後イチのクライアント訪問に間に合えばいい…のだけど、ギリギリに出ると何かを間違えたり(電車を逆に乗ったり財布を落とすみたいなありえないミスをやりがち)、そうでなくても駅までのバスがたまに遅れるから、早朝に出発する。
新幹線にはSワーク車両という仕事大好き人間のための席が用意されていて、移動中もサクサク会議したり資料作ったりできる、酔うからなるべくやらないけど。東京に着いたら目に留まるのは、各駅に設置されたワークステーションとかいう電話ボックスみたいなレンタルオフィスだ。最近数が増えてきたような。
用意が終わると全館空調でいつでも快適なオフィスを後にして、新幹線に乗り込む。家の最寄りに帰ってくるのは22時をまわる。新幹線内でできなかった作業を、ホームの椅子を借りて片付ける。バスはもう出ていないので、タクシーでただいま。




…目がぐるぐるしてきた🌀

移動時間とか、スキマ時間とか、限りある集中力・知的好奇心とか。全てが仕事の生産性を高めることに全身全霊で紐付いている世界にいる。

少なくとも新卒で業界に入ってからの8年間、ずっとこの調子なんだ(といいつつ今年の2月までの1年間は、退職しようと思っていたところ会社の厚意でバカンスを取っていました)。


周りを見ると、多くの人ははるかにたくさんのことをイキイキとこなしている。
私もこの時間の流れに適応するべきなんだろうか。
とはいえ。


あまりにも、干潟で潮が引くのをただ待っていた人間と同一人物がやることとは思えない。
同じ地続きの時間を生きている気がしない。

お休みをもらえるだけありがたいのだけど、長期休暇のおかげで、かえって愕然としちゃった気がする。

この仕事、やっぱり頑張ろうとしたり、そろそろ限界だなあと思ったり。
干潟のペースとは言わないから、人間のペースで生きていきたいなあと思う。


そして鳥の可愛さを目撃すると、
また「なんでもいいや」と思えるのだ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?