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エディンバラ暮らし|アートの街で生活してみて

イギリスは国民への福祉政策のひとつとして美術館を無料で開放している。エディンバラでも有難いことにそうなのだけど、心から嬉しいポイントは他にもある。

ひとつは、わざわざ美術館まで足を運ばなくても街中のそこかしこにギャラリーや額装屋、ポストカードショップ、画材屋さんの数々があること。もうひとつは建築や生活デザインそのものがアートになっていることだ。


アート産業の活気

アート産業の存在は散歩しているだけで感じる。


例えばストリートに1つ、2つはあるギャラリーにはスコットランドを拠点に活動している画家の作品が飾られている。既に亡くなった高名な画家というよりはいま活躍している地元の画家をフィーチャーしていること、通りかかるたびに展示の絵が入れ替わっていることが、動的な市場の存在を物語っている。


Scott Naismithさんという画家の画集を買ってみた。エディンバラの灰色の街を色彩鮮やかに、かつ静寂に描いていて気になった。


実際にアートを生業に活動している方にお会いすることも多い。土日などには人通りの多い路面で地元の作家が作品を販売している。地元の人たちと話しているなかで、「〇〇(娘、友達、知り合い)はアーティストだよ」というのを3回は聞いた。


個人的に、美術産業の太さを最も如実に物語っているのは専業の額装屋の多さだと思う。日本で以前版画を買ったとき、額装をしてもらうために隣町の大きな画材屋までわざわざ電車で行ったことを思い出した。目当ての額装カウンターはその画材屋に併設されていた。これが専業で成り立つということは、当たり前だけどそれだけ絵を買う人がいるということだ。



生活の中のアート

とここまで主に絵画の話をしたけど、額縁に収まる世界だけがアートではないと思う。


古くに造られて今日まで守られている建物、ちょっとした門柱、街灯、それらの集合体としての街並み。あるいはシンプルだけど厚みのある窓枠、繊細な絵付けが施された陶器、あざやかな手織りの布。

これらの見事な調和を見るとき、興奮と安らぎがいっぺんに訪れる。そしてそれを造った人たちのことを想像する。


バーレイのリーガルピーコックとトースト



いわゆるアーティストというよりは、職人と呼ばれる人たちが造ったもの。工数だとか合理的なことは勘案せずに造られたもの。
想像でしかないが、気の遠くなるような作業の中に代替の効かない喜びがあったりするのかもしれない。

ウィリアムモリスに言わせるとこれこそが「真の価値ある労働」で「生きることの意味」らしい。

素朴で平等な社会のために -ウィリアム・モリスが語る 労働・芸術・社会・自然- https://amzn.asia/d/h3UKKBX
より


圧倒的な芸術は労働の結晶だ。芸術に囲まれて生活していると、あれだけ月曜日を嫌がっていたのに「仕事をしたい」と願っている自分に気づく。

いい仕事をしたい。これは「より良く生きたい」とだいたい同義。人生に前向きにさせてくれるのも、芸術の作用のひとつだろうか。
自分にできるいい仕事ってなんだろうな?

そのまえに無職やないか




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