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エディンバラ暮らし|優しくなりたい


「カレー食べる?」

部屋でたらたらしていたら、午前の仕事から帰ってきたフラットメイトが扉をノックして聞いてくれた。キッチンからスパイスの良い香りがする。

「食べる!」

「どうぞどうぞ」「好きなだけよそってね」「美味しいかわからないけど」

「え、すっごく美味しい」「めちゃくちゃ嬉しい」「このチキン柔らかい、私こんなに上手に調理できない」「ほうれん草大好きなんだ」「マンゴージャムを添えるのいいね!私も買おうかな」「本当にありがとう!」

持てる限りの力を使って喜びと感謝を表現する。

最近、手抜きオーブン料理かお惣菜続きで体が重たかったから、野菜たっぷりの手作りの味が食べたいなあでも面倒臭いなあと思っていたところだった。だから尚更ありがたい。


朝から仕事で疲れているのに、ご飯を手作りして、その上それをシェアしてくれるフラットメイト。彼女は普段からよく私にお菓子をくれたり、何よりいつも明るくて元気をもらえるのだ。明るい人ってもうそれだけでありがたい。

どうやったらこんな素晴らしい人になれるんだろうか、と感謝と羨望の眼差しを向けている。


本当に美味しかった



その日の午後は、Permacultureのオンラインmeetupで最近知り合ったアンという名のおばあさんとその娘さんと一緒にエディンバラ王立植物園を散策した。娘さんはその植物園で園芸家として働いている。細かい経緯は省くけど、園芸のことを学びたいと言った私のためにわざわざ開かれたプライベートツアーである。

Permaculture/パーマカルチャー

『人と自然が共存する社会をつくるためのデザイン手法。パーマネント(永続性)、農業(アグリカルチャー)、文化(カルチャー)を組み合わせた造語で、それぞれが持続可能な社会システムをデザインしていく考え方』

https://eleminist.com/article/544


森の中で娘さんが色んなことを教えてくれる。

「これはオークの木です。落ちた葉が分解されやすいように、そして栄養が根にちゃんと届くように、下の草を刈っているんですよ」

「Oak Processionally Mothというガがオークにとっての天敵です。幼虫は行列を作って木を登っていき、ひとたび葉っぱに到達すると、一瞬で葉っぱを食べちゃいます。幼虫を食べてくれるてんとう虫の存在が重要なんです」

彼女は元々アート業界で働いていたのだけど、最近勉強し直して園芸家に転向したそう。

花と野菜の畑の区画に差し掛かると、今度はアンおばあさんが饒舌だ。

「これはヨスタベリー。好みが別れるけど、私は大好き。よくジャムを作っているの」「こないだ豆の木を植えたの」


そして閉園時間。

「ありがとうございます。沢山勉強させていただきました。それにおふたりとの時間がとても楽しかったです」

よかったら、と言って家の近くのショコラティエで見つけたチョコレートを渡そうとすると、

「ごめんね、私ビーガンで乳製品がだめなの」
と気を遣わせてしまった。

「プレゼントとかいいのよ。何も期待していないよ」

自分で食べた

いただいた優しさの分だけ自分も自然と優しい人間になれるかというと、決してそんなことはないと思う。優しさは自然に身につくものではなく、どちらかというと自分の努力次第で伸ばせる力の一つだと捉えている。

人のために時間を使うこと。エネルギーを使うこと。楽しい知識や経験をシェアすること。

優しい行動は自分の何かを与える行為で、「何か」が充実していないと優しくしたい気持ちのやり場がなくなる。

例えば、「忙しい」という人は当然「時間」がない。自分はもちろん、当然人にかける時間もない。

お金だけ持ってても贈り物ならできるけど、よほど親しくないと時に押し付けになったり気を使わせてしまう。

自分の趣味や経験を語ることだって誰かのためになり得る。将来のためにいま我慢してやりたくもないことに時間とエネルギーを使い果たす罪はそれだ。忙しくても、本当に好きなことにほんの少しでも時間を注げているだろうか。


自分の中の何か。時間、体力、知識、経験、サムマネー…全部ひっくるめて「人間力」とでも言うんだろうか。

今年のおみくじに「自分を磨く」という一文があって、それがずーっと頭に残っている。必要な時に必要な言葉が降りてくるとはこのことだろうか。与えるよりも与えられることが多かった日々。いまはもっと優しくなるために人間力を磨くフェーズなのかもしれない。

カレーからここまで話が飛ぶとは。

エディンバラの曇天と住吉大社の和紙

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