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忘れてはならない歴史がある

戦局が悪化した大東亜戦争末期のこと。
日本軍は無謀な作戦と言われた「特攻作戦」を敢行しました。
その際、「桜花(おうか)」という名が付けられた「人間爆弾」と言われた特攻機が開発されたのをご存じでしょうか

私は知りませんでした。
それは、1・2トンの爆弾にエンジンが着いた構造で、車輪は着いていなかったということです。
自らの命を乗せそのまま敵艦に突っ込むための「人間爆弾」
生きて帰ることができません。
そのため、
「十死零生」と言われていました。
「桜花」について分かる5分の動画


まだあどけなさの残る16歳から19歳の若者もいました。
この動画は、元特攻兵だった浜園重義さんの体験を
再現ドラマにした映像です。
涙なしに見ることができませんが、ぜひ一度見ることをおすすめします。


そして、こちらは、浜園重義さんご本人が、
TV番組で語られている内容です。
涙で訴えておられる場面は、若い人に是非見てほしいです。

(※上記動画は後半部分なので、
番組の最初から見たい方はこちらで見れます)


浜園重義さんの言葉

特攻隊というのは、(特攻隊だけじゃないけれども)
とにかくその日その日が命がけですよ。
なかなか若い人で特攻隊に行ったのは可哀そうです。
私は今でもそう思います。
まだあどけない顔が残っとる連中がほとんどやったです。
やっぱし、今の日本と比べて余りにも差があると思います。
みんなそういう意味で、特攻隊の百分の一、千分の一、
万分の一でもいい、その気持ちを汲んで、
ニッポンという祖国のために
頑張ってもらいたいと思います。

番組の中で鶴瓶さんが、
「でも、裕福にほんとになったんやろうかって日本は。。(って)思いますね。全然精神的な裕福さは全くないように思うし、」

と言われていました。
たしかにそうですね。
今の日本は食べる物もあるし何とか生活はして行けるけど
心は殺伐として精神的な豊かさがあるように思えません。決して特攻を美化するわけでも礼讃するわけでもありません。

しかし、あの頃の若者たちが純粋にお国のために戦ったことは事実です。
あの頃の若者たちの純粋に祖国を愛する心が今の時代にあったならば、
この日本の国の未来ももっと明るい未来になるはずです。

満開の桜
あともう少し咲いていてほしい
美しさの絶頂の中で
散っていく桜は、
あのころの純粋な
若者が散華された姿です。

彼らのことを私たちは決して忘れることなく
この美しい日本を繋いでいく者となっていきたいです。

中国出身で親日の日本に帰化された張陽さんが
満開の桜の花が散って行く姿を見て、
武士道精神がわかったと涙されました。
その張陽さんが読まれた句です。

私は若くして散華された彼らのことを決して忘れずに生きていきたいと思います。

最後にこちらをご覧ください。

今、世界は大変な時代に突入しました。
命懸けで戦った先人の遺志を受け継ぎ今こそ立ち上がる時です。
助け合い主義 https://tasuke-i.jp/




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