歌は一人で練習しちゃだめですか?
ちゃお!
イタリアに帰ってきました。
今回はコルシカ島での滞在でした。そこでのことはまたいつかゆっくりお話するとして…
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私は自分より若い人の意見を教えてもらうのが(も)好きです。
新しいものや新鮮な(または懐かしい)気持ちを教えてくれるから。
だからレッスンに来てくれるひとたちとも、時間がゆるして相手も話したそうにしてくれている時には終わった後にじっくり話します。
最近レッスンに通い始めてくれた方にもよく「今日のレッスンを通してなにを思ったか」だとか、「今疑問に思っていることや考えていること」をなんとなく聞くと、思ったよりずっとじっくりと考えていることを教えてくれたりします。
ずっと楽器をしていた方で歌は始めたばかり。
でも若いうちの転科ですしパッションもインテリジェンスも溢れています。何より夢がある。
…私が同い年の時なんて、まったく先が見えていませんでした。笑
夢はうっすらあったけれど。
そんな方に
「世にはある程度になるまで1人で練習しちゃいけないといわれる場合もあるようですが、実際はどうなのでしょうか?」
と聞かれたので、今日はそこでお話したことを書きます。
おそらく上のようなことが言われるのは
・自分に聞こえる声と他者に聞こえる声は違うから
・ただしいテクニックを最初からしっかりすりこみたいから
などの理由からなのだと思いますが
結論からいうと(あくまで)私の意見は
「体調が良いならば、またよほど特別なシチュエーションでなければ、自分でも毎日練習してほしい。」
です。
理由は主に4つ。
1.バランス感覚をつけながら身体を作っていってほしいから
音楽家みなさんに言えることだと思いますが演奏はスポーツ同様に身体を使います。
基本的なコンディションをよくしていくこと、楽器を熟成させること、演奏すること、演奏すること…
これらをある程度ルーティンにしていく(考えずに感じることのできる状態)を"作り続ける"必要があります。
年齢、トレーニング、あるいは健康状態など他の理由で身体は日々かわっていきます。
遠方へ演奏しに行かなければならない時もあります。
そういった時に疲れやプレッシャーやハプニングや、"いつもと違う"ことの影響から身体がきっと守ってくれます。
2.自分で考える力を持ち続けてほしい(=自学自習)から
もちろん型を学ぶことは必要ですし、いま色んな情報の溢れる中で、"自分に合った方法を選ぶ"ために、自分の信じる人の意見を聞くことはとても大切です。
ところが難しいのが
"身体の中は目には見えない"ということと、"身体は一人一人微妙にちがう"ということ。
男性か女性かというだけで、単純な例を挙げるならば例えば子宮の有無で身体の中が違います。
さらには物理的に"楽器であり続けること"と"演奏をすること"を両立する必要があります。
(例えば息を吐くと口の外にベクトル(力の矢印)が向きます、その働きと両立
お医者さんにかかるのと同じで、基本的なメカニズムを理解した上で教えていたとしても、疑問に思ったことや感じている問題点を教えてもらえることでレッスンがすごく円滑に進む場合があります。
また、たくさんの選択肢を"知っている上で"何を選ぶか考えられる人は強いなと思います。
3.自由なこころ(=自主自立)を持ち続けてほしいから
これが歌う時もまた教える場合にも私が一番心がけていることだったりします。
勝手をするということとは違うのですが、なにより「歌を好き」という気持ちを無理矢理でなく持ちつづけてほしいのです。
練習してもしても思うようにいかなくて疲れてしまう日もあるかもしれないけれど、それほど悔しいのは「もっとできたいから」そしてそれは「すきだから」。
以前「ヨーロッパにおける子どものピアノ教育」について取材をした際、フィエーゾレの音楽学校で教えている知人が「指導において、相手の興味を指導によって奪うことがないように細心の注意を払う必要がある」といっていたけれど、音楽の道に進むことによって音楽を好きでなくなってしまうことがあるのであればそれはとても悲しいことです。
レッスンではどうしても今の状態とこの先のより良い状態の比較の話になりがちなので、受けていると色々なことを言われることがあります。
それは客観的にみればすごくポジティブなことなのですが、受け手の誰もがいつでもそう思えるほど常に強いわけではありません。
(そして指導する側が相手の興味を故意に奪っていいということでも相手の自尊心を奪っていいということでもありません。)
色々な目指し方、色々な好みがある世界で、「誰にも何も言われずに考えすぎずに好きだと感じながら歌える環境・時間」も確保してほしいから、一人でも歌ってほしいです。
また心がかたくなると体もかたくなる傾向にあるので、"伸びやかな心と体"でいられると楽器の状態としてもいいですよね。
そしてたとえ芸術をうむため追い込まれるようなことが現場で起きたとしても、
「そうですか、そうですよね(しゅーん)」
ではなく、
「私だってこうしたいぞー!(どーん)」
と思えるように。
さまざまな様式に添いながら、与えられた環境の中で、その時のあなたらしい最高の演奏ができるように。
あくまで表現のツールとしてテクニックを使ってほしいし自分もそうしていきたいと思っています。
4.モチベーションが後から付いてくるから
心理学者クレペリンが発見した「作業興奮」という作用があるように、とりあえずやり進めると心が付いてくることが期待できます。
逆に先延ばしにすると妙に気合がはいったり、逆になんとなく億劫になってしまうのが一般的かなと思います。
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もちろん、ある程度信じるものがあって安心してそこにむかって歌えるのはとても大切なことなので、
「この期間は一人ではなくレッスンにしっかり通って身体に刻み込みます。」
というのも、条件が叶うのならばとても有効ですし良い方法だと思っています!
客観的な信用できる耳というのはやはり必要だと思いますしね。
ただ現実的に永遠と毎日レッスンを受けるのは難しい。
1人でもできる練習法を与えてくれて、段階的に声や身体の状態を理解してくれる(理解しようというつもりと行動のある)人に師事する。
のが、一番現実的で効率的なのではないかな、と思います。
1人の時間に間違えることも大切な経験。(もちろん全部順調完璧!だったらすごい。)
それが自分にとってよくないとわかればきっと大切な時には繰り返さなくなるし
わからない時にはそれこそなるべく早めに信頼できる人に声を聞いてもらうのがいいと思うし
かといって一人の時に何かアイデアが降ってくることもある。
遠方で一人で向き合わなければならない時も来る。
いつでも自分で感じて、行動できる自分になるように
一人でも練習、オススメです。
今日のBGM
Voglio vivere così
https://youtu.be/_unXkRCC_-U
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