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人生をリセットした話 ⑤


 私が育った時代は、競争に勝つ事を求められる時代だった。

 そして、私の母は厳しい人だった。人に対しても、自分に対しても。
挨拶や礼儀にとても口うるさく、誰よりも気の利く娘である様にと、私に接した。

 母は間違ったことは言わない。母の言うことは常に正しい。その正しさが息苦しく、どう振る舞えば、母にうるさく言われないかが、幼い頃から私の行動の基準になっていた。

 結婚して家を出るまで、母は絶対であり怖い存在であった。けれど、弟と私に対する接し方はまるで違って、長男である弟に対しては大らかであった。田舎の長男あるあるかもしれない。
 ある程度大人になって、母も姑と同居の生活で大変だったから、娘に少しでも頼りたかったのかなとか、思うようにもなった。

 別に、良いとか悪いとかの問題ではない。接し方は違っても、母の愛情は十分感じているし、母への複雑な思いや葛藤が自分を成長させるために必要なことであって、心から感謝している。

 今の私は、正しさは一つではないと知っているし、母も完全な人間ではないとわかっている。母はそういう人だと、今の私は冷静に考える。

 一方で、母の影響を強く受けた私も、母と同じような面を持つ様になったことも否めない。ある時母と会った親しい友人が、母を見て、私と全く同じと思ったそうだ。

 私の中のもっと努力しなくちゃ、まだまだ足りない、もっともっと頑張らなくちゃの原因のいくらかは、母に起因している。

 真面目な両親に、真面目に育てられ、真面目に成長した私は、真面目に努力した。
私が〇〇ちゃんより劣っているのは、まだ努力が足りないからだと、本気で思っていた。

 30代の頃から身を置いたシュガーアートの世界では、コンペティションで競い合い、どうして私には、〇〇さんみたいな才能がないのだろう?と、嘆いたこともあったし、
作品が評価され、努力が認められたとしみじみ喜びを噛み締めた事もあった。

 競い合ったり、比べる事が一概に全部悪いとは思わない。競い合う仲間がいたから、成長できたと思うけれど、そうする事でしか幸せを感じられなかったり、自分の価値を見出せなくなるのは悲しい。

 それに気づくのは、もっと失敗を重ねてからの事だけど。

 (続く)

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