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2023.5.28

のあちゃんが、一昨日の早朝、永眠しました。
文字にして整理したいのと、吐き出して少し楽になりたいので、長文になってしまいますが、書かせてください。


亡くなる8日前ののあちゃん。少し元気ないけど、環境が変わったせいだと思っていた。

前回の記事からだいぶ日数があいてしまいました。
その間、私は半月の入院を経て
出産をしていました。入院していたのは自分自身の体調を壊してしまった為です。
出産後の入院期間も合わせて、約1ヶ月。
のあちゃんのお世話は旦那さんに任せていました。
旦那さんは仕事が忙しい中、しっかりとお世話をしてくれていました。

しかし入院前から脾臓の腫瘍の影響か、
食べているのに体重が減少している状態で、
更にずっと一緒に生活していた私がいきなりいなくなり、ご飯を食べる量は半分になりました。

そして私が退院した時には驚くほど痩せたのあちゃんがいました。

ただ以前、私がつわりで長期間実家に帰省したとき、
同じようにご飯を食べれなくなったことから
離れて暮らすとのあちゃんの食欲が落ちることは分かっていました。

のあちゃんは、元々実家で暮らしていたこともあるので
一緒に帰省することも出来たのですが、
その時は環境の変化に敏感なのあちゃんの生活環境をなるべく変えたくなく、旦那さんに任せ、アパートでお留守番をしてもらっていました。

でもそれより寂しさやストレスが勝り、体調を崩してしまった為、出産して退院したら里帰りは絶対のあちゃんも連れて帰ると決めていました。

私が入院でいない期間、ご飯の量が減っても
またたくさん一緒にいられたら
のあちゃんはまた元気になる。
寂しかったんだよね、もう大丈夫だからね。

そんな気持ちでのあちゃんと、赤ちゃんと一緒に帰省しました。

結果から言うとこれが良くなかったのかなと思います。

帰省して、10日後の5月28日にのあちゃんは
急ぐようにして旅立ってしまいました。

5月18日
退院と同時に3人で実家に帰省。
のあちゃんは思っていたより抵抗がなさそうで
リビングや以前お気に入りだった部屋でくつろいでいました。とても安心しました。
しかし退院当日と次の日はバタバタしてしまい、のあちゃんに構うことが出来ませんでした。

5月20日
帰省してからはじめてのあちゃんとゆっくりしました。
お恥ずかしい話ですが、何度もどこにいるのか、ご飯食べてるか等々確認はしていましたが
のあちゃんがどう過ごしているのかそこまで注意深く観察する余裕がありませんでした。
また、赤ちゃんを抱えて忙しくしている私に遠慮していたのか、赤ちゃんに警戒していたのか
帰省してから、この日までの2日間
のあちゃんは私に甘えに来なかったのです。

それを埋めるかのようにたくさん甘えてくれて、
私はこんな日がまた続いていくんだなと思っていました。

しかしこの日から、のあちゃんは全くご飯を食べなくなり、心なしかぐったりしていました。

2日間様子を見て、強制給餌を再開しました。
以前強制給餌をした時、また自力でご飯を食べるようになった経験から、
体力が戻るまでと思い、はじめました。

それでも食欲も元気も戻らず、
5月25日
深夜、数歩あるいて倒れ込むのあちゃんがいました。
深夜受診をしてくれる病院が無く、奇跡的にかかりつけの病院に連絡がつき、状況説明。
脾臓の腫瘍が爆発したかもしれないねと言われ
もし爆発していたら明日まで持たないかもしれない。
でも今夜はみんな帰っちゃったから診れない。
そもそも外科的処置はしないんじゃないの?
どうしたいの?…と。
混乱している頭では何も言えず
次の日の朝一で受診しますとだけ伝え、その日は数時間置きに様子を見つつ朝を迎えました。

5月26日
赤ちゃんを母に預け、かかりつけの病院へ。

腫瘍の爆発はありませんでしたが、
腫瘍が転移している影がエコーで確認でき、黄疸もあり、血液検査のほとんどの項目が異常ありで、ぼろぼろの結果でした。
今まで脾臓にある腫瘍に対して、体が対抗できていたのが、もう頑張れていない状態。
投薬していたステロイドももう効いていないのではないかという話でした。
抗がん剤等の処置をすればまた良くなる可能性はあるが
今ののあちゃんは白血球が少ないことからその薬の副作用に耐えられるか分からないと言われました。
病院で皮下点滴と、血糖値を上げる処置、吐気止めの注射など様々な処置をしてもらいましたが、帰ってきても体に力が入らない様子で、ぐったりしています。

5月27日
早朝、今まで隣の部屋で寝ていたのあちゃんが、私と赤ちゃんが寝ている部屋に移動してきてくれていました。
途中で疲れてしまったのか、何もない床に横たわっているのあちゃんを見て、もう何日も持たないんだとやっと気づきました。

この日の夜、初めて痙攣を起こしました。
病院の先生から低血糖で痙攣を起こす可能性があることを言われていた為、痙攣の薬を投与し、その日は落ち着き、私も眠りにつきました。
夜中、水を飲もうとしたのか体勢が変わっていて、お水の近くに顔を寄せて寝ていました。
おしっこもそのまましていて、体を綺麗にして
タオルを替えて、また眠りました。

5月28日 午前7時
赤ちゃんのミルクの時間で起き、のあちゃんの様子を見ると、頭をのけ反り前足がピンと伸びていて、呼吸がおかしい。
声をかけても反応がない。

最初は息を吸う度に頭が動く程度だったのが、
時間が経つごとに体全体が痙攣してきて、
最後は舌が出て、舌の先まで痙攣していました。
昨晩の痙攣とは違う様子だと思ったのですが
もしかしたら薬でまた落ち着くのではと思い、投与。しかし全く落ち着かず。
痙攣している時は意識がないから苦しくないといいますが、やはり苦しそうに見える…。
ずっとのあちゃんの名前を私と妹2人とで呼び、
体を撫でたり声をかけていました。
7時40分ごろ
ちょうど2人っきりになった時
のあに、もう頑張らなくていいよ、逝けるなら逝ってと伝えた数秒後、息を引き取りました。


今となってはどうして分からなかったの?とその時の自分を殴りたい気持ちでいっぱいなのですが
私が退院した時から
のあちゃんは限界だったんだと思います。
ギリギリのところで生きていてくれたのに、
里帰りでいきなり実家に連れて行かれ、赤ん坊に私がつきっきりで、体力、気力共に削られてしまったんだと思います。
それなのに更にそれにも気づかず、亡くなる2日前に大嫌いな病院へ連れて行かれ
亡くなる前日まで嫌な強制給餌をされ
のあちゃんの色々なものを消耗してしまいました。
冷静になれば今までとは違う、もう前みたいに元気になることはないと気づけるはずなのに、
少しでもご飯を食べてくれたらまた元気になる可能性があると、希望を捨てられませんでした。

最期は自然に任せると決めていたのに、見極めることが出来ず
最期まで頑張らせてしまいました。

そして自分の出産と、のあちゃんの最期が被ってしまったこと。
もっとちゃんと看取りたかった。ちゃんとお世話したかった。入院も手術も出産も里帰りもなければ、もっと穏やかな時間を一緒に過ごせたのではないか。そんなことばかり考えています。

たくさん泣いて、涙が止まらないのに
どこか実感がなく不思議な感覚ですが、
胸をナイフで刺されてるみたいに痛い。この10日間のことを考えると情けなくて申し訳なくて
なんて表現したらいいか分からない感情になります。

看取りについて勉強はしていたんです。
無知ではないはずだった。
けど、いざ目の前にすると、冷静になれず
見誤ってしまいました。

自分の気持ちの整理のために文章を書きましたが、
改めて自分の不甲斐なさに落ち込みます。

こんな文章を読んでくださっている方…いらっしゃったら、嫌な気持ちになってしまいますよね。
すみません。

もう一度だけでいいから、のあちゃんを抱っこしたいなあ。

異様にずっと頭がぼーっとしていて、忘れてしまうのではないかと思い
ここに綴らせていただきました。
少しぐちゃぐちゃになっていたのが整理できました。

のあちゃん、ごめんね。
大好きだよ

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