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地方移住での想定外の変化: 私たちの「食」との向き合い方

夫婦ともにほぼリモートワークになったのをきっかけに、東京から栃木県の那須に地方移住しました。移住してから色々な変化があった中で、大きな変化の一つが私たちの食への向き合い方です。

もともと夫も私もそこまで食べることにこだわりがなく、生きるために食べていた、といっても過言ではありません。東京にいた時は「マクドナルドは週一までにしよう。」「どうしても忙しい時はUber Eats」「スーパーのお惣菜でもがんばった方」という感じでした。

そんな私たちが栃木県の那須に移住して、色々と地方暮らしで食に対して考えが少しずつに変わってきました。今日はどんな風に自分たちの思いが変わっていったのかシェアしたいと思います!

便利さを都会のように追求できない

地方移住をしてから時間をお金で買えない事実に驚きました。
今まで東京にいたときは、食のたくさんのオプションが溢れるほどありました。仕事が忙しくてもっと働きたい、と思ったらスマホのボタンひとつで料理の時間も買い物に行く時間も節約することができる。ちょっといいスーパーに行けば本格的なラクサやグリーンカレーだってお弁当で売っている。時間はあまり気にせずどこでも何かしらある。

とにかく働くための時間を1分でも捻出したい!
という思いから、便利さをフル活用というのは良い表現で、便利さに甘えていました。
そんな中、地方移住の二日目の夜にガツンと洗礼を受けます。
引っ越して間もないため家の片付けももっとしたいし、と夕飯をUberで頼もうとアプリを開いたら、那須ではデリバリーをしていないというメッセージが!
じゃあ外に食べに行こうか、といくつかのレストランが集まるモールのようなところにいったらびっくり。レストランはどこも18:30閉店。

自分たちが東京で持っていた食の便利さをとりまく価値観では、これからの地方暮らしは通用しないんだ・・・と学んだ体験でした。

毎日三回、一生続く食べるという行為にどう向き合うか

なんとかしてこれからの食事を考えていかないとと考えている時、子育ての大先輩の方に「食」についてのお話を聞く機会がありました。
その方は紙を取り出して食と書いた下に「コ」「ワ」と書きました。
そしてその下に一つ一つ単語を書きながらこう説明してくれました。

『今の時代、多くの人の食が「コショク」になっている。孤独に食べる孤食、決まったものばかりをたべる固食、家族でバラバラのものをたべる個食。
でも本来食べるというのは「ワ」になっているもの。和やかに食べるのワ、自然や生命の営みの中での輪のワ。そして家族でみんなで輪になって一緒に食べるのワ。』



そうゆっくりと説明してくださった後に
『1日に三回もあるこの食べる活動にどう家庭で向き合うかは、子どもにとっての人生の土台を作る一つになるんだよ』
と最後に付け加えました。

それまで私自身は、「学び」と「食べることの」つながりを意識したことはありませんでした。
そんな中、食べることを通じて、生命や自然に向き合えるんだという考えはとても新鮮でした。

誰かの顔を思い浮かべながら食べてみたい

移住当初は「仕方がないから、食事をどうにかしないと」と考えていた私も、だんだんと前向きに食に丁寧に向き合おうという気持ちになってきました。
そんな風に思いはじめると、私たちが移住した那須は、食を楽しむためにはもってこいの環境だと気づき始めます!

まず野菜一つ一つに作り手の顔が分かります。那須には産直野菜やさんというのがあり、そこで売られている野菜ひとつひとつに作り手の農家の方のお名前、作られた農場の住所まで書いてあります
「一生懸命作ってくれたお野菜をいただきたい!」という思いから積極的に自炊を楽しむように変化していきました。

他には、那須ではこだわりのとてもおしゃれな雑貨・アンティークショップがたくさんあります。そんなお店に入って素敵な食器や小物を眺めていると、オーナーがそれぞれのものが作られたり使われていた背景をニコニコお話をしてくださったりします。
1日3回もある食べる機会に、食器やものを通じて、ある時代に生きた人たちの思いを感じられたら素敵だな、という好奇心が生まれました。

(↓下は自分の料理!ではなく、那須の美味しいカフェでのお食事です)

手段ではなく、ストーリー

それまで私は食べるということは、主に生きるためのエネルギーを補充する、というあくまで手段の一つでした。そのため、手段をいかに効率的におこなえるのか、と食べる上での便利さを東京ではずっと追求していたところがあります。
しかし地方移住をし、それまで当たり前だった便利さが遠のく中で、食を手段ではなく、食はストーリーを感じる機会になりうる、と考えが変わっていきました。

美味しい野菜を作ってくれた農家の方の思いや、野菜が浴びてきた太陽の光や土という自然を感じたい。
食卓を囲むたびに、食卓の真ん中に置いたキャンドルホルダーを、1900年ごろに使っていたフランスの人たちのことを想像したい。
また、一緒に食卓を囲む子どもたちのワクワクを一緒に感じたい。

未来の何かを得るための手段ではなく、今この瞬間、目の前にある食事、食卓に並ぶもの、食事を一緒に囲む人の思いや自然の営みに心を寄り添っていきたいと思い始めた途端、食がとびきり特別なものに変わって来ました。

地方移住をしなくても、こういう思いを当たり前のように持っている人もたくさんいると思います。日本語ではご飯を食べるときに「いただきます」といいますしね。
私は、東京で忙しく働く中で、「忙」という文字通り「心をなくしていってしまった」んだと思います。何かに自分の心が寄り添うのではなく、頭で考えて色々なことー今回は食べるということーを、手段と考えてしまっていました。

ただただ豊かな自然に憧れて地方移住したのに、東京の便利さを失うことを通じて、食への意識変化が訪れるなんて、人生って面白いなーと思う毎日です。

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