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ここが違うよ!NZの小学校

小さな子どもたちは親に連れられて、年齢が大きな子どもたちはそれぞれ自分で自転車をこいだり、キックボードを走らせて小学校の校門をくぐる。
私が日本で小学生だった時、親に車で送ってもらうというのは一年に何回かある異常事態の時だった。寝坊して学校の始業時間に間に合わないとか、朝に病院に行ったからその後に送ってもらったとか。車で小学校の近くにこっそりとついた時は、なんだかソワソワ、ドキドキしたのを今思い出した。

一方ニュージーランドでは車の送り迎えが当たり前で、始業時間と終業時間の前には校門の前からかなりの距離のところまで保護者の車が路上駐車でズラーっと並ぶ。黄色のポルシェなんかがそこに並んでいると、へーこういう家族も同じ小学校に通っているのかー思ったり、商用カーとして車の全面に広告が印刷されているテスラ車が並んでいるのを見た時は、あのテスラ様に広告つけちゃいますか!ともっと衝撃を受けた。

そんなこんなで子どもたちはそれぞれの年齢や事情、もしくは好み?にあわせて色々な方法で通学をしてくる。ちなみに一緒についてくる親は母親だけでなく父親もそれなりの数がいる。多分父親の数は、朝の時間の方が終業時間のお迎え時よりも多い気がする。

本来、日本ならまだ年長さんの息子がここニュージーランドで一足早く小学校一年生になってから四ヶ月目。
小さい頃から外国に憧れていて、NHKの海外ドラマで見る海外の学校の様子に胸をときめかせていた私にとって、息子のニュージーランドの小学校を覗き見することに興味津々だ。
もしも授業参観がありますなんて言われた日には、大学院でトレーニングされた文化人類学の知識を総動員して、CIAなのか、熱心さ過剰な母親なのかという勢いできっと全て見るもの聞くものをじーっとぎらりと目を光らせて観察してメモを大量に取るに違いない。
でも残念ながら授業参観の機会はないため、私にとって送り迎えの時間がその貴重な観察時間になっている。ある時教室の中のクラスメイトの子どもが振り向いて教室のドアから観察している私に気づくなり、ひいっ!!と驚いた様子だった。私はニコニコと笑顔を作ってたつもりなのだが。



今回は私が送り迎えの時間を使って小学校を観察したニュージーランドの一つの小学校の様子をシェアしたいと思う。ニュージーランド全土が全部同じようだとは言いたいわけでなく、あくまでいち個人のチラ見体験記だ。

まず私は先生が過剰にみんなを型にはめて同じように扱わないということが印象的だ。
例えばホワイトボードには子どもたちのそれぞれの顔写真を切り抜いてマグネットで貼り付けられているものがある。この顔写真のサイズがてんでばらばらなのだ。うちの息子の顔写真なんかはすごい顔デカなのに、やたら小顔の子もいる。ちなみに実寸値よりもその差は大きいことを付け加えておこう。
なんだか日本だと、こんなサイズに違いを全面的に出してしまうと申し訳ないという気持ちがはたらいてしまうだろうなーと思うくらい、新鮮だ。
あーなんか全てを同じように、誰かが傷つかないように扱うなんていうのが平等とかフェアとかいうのはこれまた文化的な考えなのかーと感じる。
多様性といえば、個人的には肌の色とか国籍なんていうのは表面的な違いに過ぎないという思いもあるのだけど、先生はこの違いを子どもたちが受け入れるよう必死なようで、肌の色が違う子どもたちが仲良くしている様子を見せたりしている。学校から持って帰ってくる宿題の音読の英語の本でも多様性理解を促進しようと工夫しているように見える。



一方で、コミュニケーションの上ではある一定の西洋的な「共通コード」を子どもたちに教えようとしている。
それはもちろん英語でコミュニケーションをするということもあるのだけど、それ以上に色々な感情を言語化することを小さいうちからトレーニングしているようなのだ。
クラスの掲示板には「自分の感情の色」というコーナーがあり、緑色は落ち着いた気持ち、幸せな気持ち。赤色は怒りの気持ち・・・などそれぞれの感情が色で表現されている。そういえば西洋の絵本にはこういう自分の感情はこんな感じと説明するのが多いなーと思い出す。
自分が思っていること、感じていることはしっかりと周りの人に分かる形で表現することが求められているようだ。

「柿くえば 鐘が鳴るなり 法隆寺」
と正岡子規が俳句を読めば「もう少ししっかりと分かりやすく言語化してね」と言われそうな雰囲気だ。

言語化ということ以外にもやたらダンスが多い気がする。まだ年長さんレベルの小学一年生だからかもしれないけど。日本でダンスといえば、私の記憶では小学校のダンスといえば、当時住んでいた町の歌に合わせて毎日一フレーズずつ動きを運動会に向けて丁寧に覚えたダンスくらいだ。
しかし息子たちがやるダンスというのはそんな周到に準備する類いのダンスでなく、ホワイトボードに映し出されたはじめて見る映像に合わせてその場でノリノリで動かすというものだ。言葉ではなく身体を使って表現しましょうというものだ。息子は最初の方こそ人前でよく分からないダンスなんかと緊張で身体が強張っていたが、先日見た時は周りほどノリノリではないものの、手も足もなんとなくそれっぽく動かしていた。

他にも先生がYouTubeやパソコンをフル活用していたり、担任の先生の使う単語がやたらカジュアルな本場ネイティブな感じだとか、教科書がないとか、色々と新鮮なところはあるのだが、これはいつか別の機会にでも。


最近、4代目バチェラーの黄皓さんが「八方美人が強い」と語っていて、なるほどなーと思った。彼曰く、自分の信念や考え方を人に合わせて変えていく必要はないけれど、達成したい目的をまず意識した上で、相手に合わせて適切なコミュニケーション方法を選んでいくことで人生が広がっていくということだ。

ニュージーランドの小学校でお友達と楽しく遊ぶために英語がうまくなりたい!と息子が思っているように、学校生活でうまくやっていくために、ここで期待される「あり方」を理解して、ある程度彼は使いこなしていくことになるのだろう。
親としては、そうやって小学校で教わる価値観やコミュニケーション方法も、言語と同じように「一つのスキル」として学びつつも、それ以外の多様な在り方も身につけて、うまく状況に応じて選び取って伝えられるようになってほしいなーと思う。

子どもたちには八方美人どころか十方でも百方でも美人に、うまく自分を表現できるようになって欲しいなーと願いながら、教室のドアに張り付いて応援をしている。

【Youtubeをアップしました!】ニュージーランドの生活楽しい!でも、たまに恋しくなりますよね。何がって・・・日本のもの全般!日本の本が読みたいな。日本食が食べたいな。そんな時、ここオークランドでは実は色々なオプションがあるので助かっています!というオークランドのある日常をお伝えしているVlogです!お楽しみいただけると嬉しく思います😀 https://youtu.be/BZiLoEBiMFE


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