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遠くなったからこそ、近くなるー地方移住後のあたたかい人とのつながりー

地方移住を懸念する理由の一つとして、人間関係をあげる人が多いという調査を最近みました。(参考) 今まで都会暮らしをしてきた中で築き上げてきた人間関係を残して、見ず知らずの人ばかりの新しい場所に飛び込んで行くのは、確かに不安を伴うことかもしれません。

私は約一年前に、文字通り、縁もゆかりもない栃木県の那須塩原という場所に移住したのですが、意外にも色々な人との繋がりをあたたかく感じる毎日を過ごしています。今回は、地方でもは自分の考え方や行動次第で、心地よい人間関係の中で暮らせるのではないか、といういうことについて私の経験をお伝えしたいと思います。

ちなみに、私が今回お話しする人間関係というのは、何かの責任感や義務感から「付き合わなければいけないもの」といった人付き合いではなく、素直に自分が大切に思う人との交流と捉えています。

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「会う」ことだけが全てではないこの時代

人付き合いと言えば、いわゆる「飲食を伴う会合」と最近では表現されるような、直接会うことをまず思い浮かべる人が多かいのかもしれません。

でも、大切な人に自分の思いを伝えたり、相手との交流をするということは、何も直接会うことだけが全てではないのではない、という思いを、地方移住をしてから強く持つようになりました。特に、日本には伝統的には、色々な方法で、人と人との関係を大切に築いていく方法があるようにに思います。例えば、大切な人の顔を思い浮かべながら年賀状を書いたり、年の瀬にお歳暮を送ったり、夏にはお中元を送ったり。インスタントに相手の反応が見えるのが当たり前の時代に、あえて手間暇かけて相手がどんな風に自分の手紙や贈り物を感じてくれるかなと想像を巡らせる時間は何か特別な新鮮さがあるかと思います。

また、テクノロジーの恩恵も最大限に受ければ、大切な人との繋がりを持ち続ける方法があります。例えば今では、相手の世代や場所を問わず、誰にでも気軽に「zoomでお話しをしませんか?」と誘えるようになりました。電話については、LINE通話、Facebook通話、whats up・・・無料で電話できるツールはたくさんあります。

地方に住んでいても大切な人に自分の思いを伝えたり、相手と近況を伝え合うことは出来る中で、人との繋がりは地方に行ったからといって、いきなり切れてしまうことはないと私は思います。
ちなみに、私は最近はお店で素敵な絵葉書を見るたびに、誰にお手紙を買おうかなと想像しながら買うのが楽しいです。

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皆が遠いからこそ、皆が近く感じる


東京にいる時は、自分が住んでいる場所と相手の住む場所との物理的な距離が、多少なりともその人との心理的距離感に影響していたように思います。

一方、地方に移住した途端に、誰もが遠くなりました。そして、不思議なことに、みんなが一様に遠くなったからこそ、みんなが同じくらい近く感じるという感覚になってきます。人との心理的距離感はもしかしたら、絶対的なものではなく、他の人に対して感じている距離との相対的なものなのかもしれません。せめて私にとっては。

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また、今までは、直接会うという体験のインパクトが強いが故に、それ以外の付き合い方をする人の印象が薄くなりがちな感覚を持っていました。しかし、地方に移住してみたら直接会うというオプションがそもそも大半の人と持てないが故に、色々な人とそれぞれ多様な形での繋がりを作れるようになってきたように思います。

例えば、大学時代からの友人の一人とは、いつもどっちかが連絡をしたら、どっちかが返事を忘れて、会おうとなっても、なんとなくお互いタイミングを逃してを繰り返す関係でした。そんな友人とは、移住してからは季節の美味しいもの(写真下)を送り合う関係になったりしていて、私たちはこうやってお互いを思いやっているよ、と示し合うのが自分たちに合っていたんだなーと知りました。

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一期一会の精神で

地方に移住すると「いつでも会えるわけではない」ということが、常に頭の片隅にあるので、ふと訪れたタイミングを大切にしていこうとなってきました。

実際に、移住してから何人かの人から「今度那須エリアに旅行に行くんだけど」という連絡をもらいました。中には何年も連絡を取り合っていなくて、相手が改めて自己紹介をしてくるような人もいました。そんな人からのお誘いにも、ぜひ会おう!とすぐにお返事をしました。さすがに地域的にも神経質だった時期には、残念ながら会えなかったケースもありましたが。
またzoomでのお誘いがあった時も、「いやzoomでなくて直接会うのを待ちましょうよ」とはならないので、話そうとなったご縁があれば、そのチャンスを大切にしたいなと感じています。

自分から誰かに連絡する時も、いつ会えるか分からないんだから、と思うと、相手のことを思い出した時が、私が相手に連絡すべきその時だ、と思うようになりました。
例えば、本当にささいなことなのですが、先日、福島にある山本不動尊(写真下)という素敵なお寺に旅した時は、その流れで山本という名字の友人にお寺の写真を送って元気ー?と連絡をしました。山本繋がりというだけで。ちなみに、その時に連絡をした友人(の某山本氏)とは、色々とその後話したりしていく流れで、週末に家族連れで那須エリアに遊びに来てくれることになりました。

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ここまで、地方移住をしても、色々な人とのつながりを感じ続けることができているという私の経験をお話ししました。しかし、地方移住の心配ごとは、今までの人間関係をどう続けるかではなく、移住先で新しい出会いがあるかないかなんだという人もいるかもしれません。
これに関しては、個人的には、移住先での出会いに関しては心配たからといって何かが変わることでははないから、心配しなくてもいいのではないかな、と思っています。きっと出会うべき人には出会うはずなので、そういうタイミングがやってきた時にその出会いを楽しめばいいかと。

例えば、私はかねてからこの移住先で、写真を撮る方とお知り合いになれたらいいなと願っていました。そんなある日、たまたま、あるレストランでアートの展覧会の情報を見つけたのをきっかけに、その展覧会にふらっとお伺いしたら、この移住先で活躍するプロの写真家がいることを知りました。今では、そのフォトグラファーの方に写真を習いにいくようになり、そして、その写真教室をきっかけに、写真好きな方とも知り合いになったり。

こういう出会いは自分が計画してどうにかなるものではなかったし、ましてや心配したところで何かプラスに働くことはなかったのではないかと振り返って思います。

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地方移住は、確かに多くの大切な人から物理的には離れていくことになるかもしれませんが、決してその人たちとの心の距離まで一気に離れていくことではないかと。むしろ、離れたからこそ近く感じるようになり、そして、すぐにリアルで会えないからこそ、新しい多様な形で一人一人とのつながりが生まれてくるものだと私は感じています。

今までの人生でたくさんの偶然が重なりながら築いてきた大切な人とのつながりのあたたかさをたっぷり感じながら過ごす地方暮らしの毎日は、そんなに心配するほど寂しいものではないのかなと私は思います。むしろ人とのつながりを感じる時間で溢れています。

先日、お世話になっているメンターの方からハガキでのご連絡を頂きました。その方の声も顔も話し方も長年知っていたのにも関わらず、手書きの文字を見るのは初めて。その方のおおらかさが感じられる伸びやかな文字で綴れたお手紙の一言一言にこめられた優しさが、時間と場所を超えて私の住む栃木まで届いてとても幸せな気持ちになりました。

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