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特別な誰かになれなくても

プライベートでPCを久しぶりに触った。

仕事では使ってはいるけど、自宅に自分専用のPCは無い。今日も夫の仕事用のPCを借りている。

スマホよりも考えているスピードに近い速さで文字が打てるのでとても楽で、楽しい。あんまり楽しくて、本日2記事目のnoteだ。

スマホで長い文章を打つのは、夢の中で走りたいのに走れなくて水中をもがいているかのように体が前に進まない、あの感覚に似ている。

だから、今は、まるで羽が生えたみたいにかろやかに文章が並んでゆくのがとても心地いい。PCがあれば、note更新のハードルはもっと下がるんだろうな。あれも、これも、意味のない独り言をひたすら吐き出せる。

ここしばらく、アウトプットが苦痛だったのは、単に「スマホでのアウトプット」が苦痛なだけだったのかも。

noteが書きたくなって借りたPCだけど、昼間はPCでTwitterも見ていた。

PCからだとアナリティクスが見られることを思い出したのだ。

わくわくしながら見た初めてのアナリティクス。月ごとに自分のトップツイートがわかる。ちなみに1月のトップツイートはこれ。

引用RTであって自分のオリジナルツイートじゃないのが悲しい所。

普通の人がどうなのか知らないけど、私は昔から他者からの反応をとても、気にしすぎてしまう。HPやブログを運営していた時も、アクセスランキングとか、コメントの数とか。

Twitterだとフォロワーの数やいいね、リツイートの数。

似たような立場の人と比べては、ああ私は人気がない、とがっかりする。まぁ、病気みたいなものなんでしょう。

フォロワーが多くなって何をしたいの?と問われても特に何があるわけでもない。頻繁にコメントのやり取りがしたいのかと言えば、あまりコメントが多すぎてもきっと返信に悩み過ぎてぐったりしてしまいそうな気もする。

オフ会とか良いなと思うけど、会話上手でもなく、おしゃれでもない自分はオフ会でもきっと他の人と自分を比べて、ダサかったなとか、気の利いたこと何も言えなかったなとか落ち込みそうだ。

じゃあ、何のためにフォロワーが増やしたいんだろう。

何のためにフォロワーを増やしたいのか自分でわからない限りは、増えたところで多分本当の意味では、意味がないのだ。フォロワーを増やすことは手段であって目的じゃない。

わからないまま、とりあえず毎日つぶやいてる。立派なツイ廃なのでつぶやかずには生きていけないのだ。

そんな私でも、ちょっとしたつぶやきを目にとめて、リプをくれる人がいる。いいねを押してくれる人がいる。フォロワー何万人とか言ってなくても風邪をひいていたら「お大事に」と声をかけてくれる人がいる(正確には文字だけど)。

まぁ、いいか。

全てのつぶやきにいいねが付くわけでもないし、リツイートもされないし、フォロワー増えたと思ったら副業垢か政治垢だけど(即ブロだけど)。

誰かにとっての、「特別な誰か」になれなくてもきっと、「今日もみんな元気で楽しく過ごせるといいな~」とぼんやり願う「みんな」のうちのひとりになれたら、それでいい。それがいい。そうなれますように。

ってこんなこと書いてたらこんな記事見つけました。

「くらべる」ことに注意が向いてしまうと劣等感を刺激されるから、そっとフォローを外すなり、対策しましょって。

私だけじゃなかったね!

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