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引っ越し=遺品整理の記憶

   母の引っ越しが間近

唐突に決まり 
あとは私も手伝う…
日にちがない。
 

不登校のひきこもりヒヨコの

のびのびさへの充電80%超え

   待機中ナウ

プラスα 超絶自己中


それを
怠けていたり駄目に
時に見えてしまう
祖母としては

受け入れきれない。

直接ヒヨコに言うと嫌われるし
余計な一言も二言も言う祖母。

そして擁護する私へ
母からの攻撃は容赦無い。

時として
そんな母とヒヨコを見て

責め続けてくる母と結局
不穏な晩酌…
苦しい食事の時間…

早く自室に帰ってゆっくりしたい…

それ、私が
ヒヨコと同じじゃん笑

甘え過ぎたかな…


息苦しい…


そんな暮らしをしている中で


    私とヒヨコが
  引っ越しをしようかな…

と疲れながら
動かない心と弱った脳で
考えたこともあった。


離婚裁判が終わり
退去の日付が決まっていた
今回の引っ越し。

引っ越して来て
一年も経過してないけどな…


もともと母の荷物が
今の家で6割占領。

まだ段ボールのままの物もある。

基本的には私が
荷詰めを担っている。

ここに及んで
寂しくなる。

    いい歳…こいて。


祖父
祖母

私は数年続けて喪服を着ていた。

先頭を切って
人生のゴールに辿りついた


    一位は父だ。

   親より先にゴールした。


お父さんの遺品整理は辛かった。


お母さんに片付けをさせるなど
どう考えてもできなかった。


洋服にも
キャップにも靴にも
一つ一つ思い出がある。  

一年間の中で
      誕生日 
      父の日 
     クリスマス
     バレンタイン 
      お正月
   父と母の結婚記念日

5.6回はお父さんに
プレゼントしていた,

私のあげたゴルフグッズは
大切に使っていてくれて
たくさん残っていた。

良かったのか
悪かったのか

私も今も分からないけど

父親の物を捨てるというのは
遺品整理ではなく

   想い出になってしまう。

その現実をつきつけられ
お母さんは…

  
思い出でつぶされてしまう。

家族皆が病んだ。
それでも私が一番病んでなかった。

多分。


それを知っていた私は


心を無にした。


お父さんが
綺麗に手入れをしていた
ピカピカ靴を全て躊躇なく

  ごみコンテナに投げ入れた。


近所の人も

ああ…片づけしてるのね。

とうとう亡くなったのね…


誰もが

ベランダから
私の往復を見ていただろう。

     知らんけど。


離婚裁判後の
現在への
ヒヨコの引っ越しの荷詰めは
何より一番辛かった。

   昔の思い出が蘇る。

  どこで間違えてしまった?

私はなんてことをしてしまった?


学校購入したままの彫刻刀ケース。 
学校購入したままのエプロン裁縫。
よく使っていた習字ケース。
塾のリュック。


手縫いで可愛く作った
アルトリコーダーと袋。

一つ一つに名前が書かれた
お泊り体験の時のバンソコと薬。



ヒヨコが虐待を
されていなかった時の図工の作品


ヒヨコが虐待を
されてからの図工の作品


5年生の時の
クラス替えの自己紹介の紙から


苗字を書かなくなったヒヨコ。


嫌いなものは
養父の名前をフルネームで


好きなものは…ひみつにする。

フリースペースには

   
    ◯◯◯◯に
    死んでほしい
   ぎゃくたいはだめ


養父のフルネームと共に
書いてあった。



廊下に貼り出す事もできず

担任に呼ばれ
固まった手で私は
その紙を保管した。


そんな物もでてきた
ヒヨコの荷詰めは
泣きっぱなしだった。


今回は母の引っ越しの荷詰め。


引っ越して来たばかりだけど

  
   それぞれの人生がある。


母の物だけを
ひたすら段ボールに詰める。

父親の遺品整理をしている時と
ふと心の記憶が重なる。

    お別れではない。


お別れではないけど
ただの引っ越しとも何か違う。

でも…
  母親が住む家=実家ができる


少しだけ
ほんのりしたキモチが生まれた。


私は
ヒヨコを1番に考え生きる。

2番は母親の老いを見ようと
当たり前のように思っていた。


母親が手から離れる。


子離れを母はする。


ヒヨコを1番に考えるのが
祖母としても
それが当たり前だと私は
自分勝手に思っていたんだね…


母もそんな日々の中で


ヒヨコや私の力になれなかったと
悩み

とても孤独であったと思う。

ヒヨコに合わせる生活は

実際は相当窮屈で

     ある意味で、
    先を見ない事が
      必須。


私の母も、
のびのびとしなければいけなかった…

   それぞれの人生がある。

忘れていたのは私だ。


   今年の夏は暑すぎた。


人の命の順番なんて
思うようにいかない。

だけど
老いてく本人にしか
分からない、哀しみや悩み。


私はそこに
一切寄り添わなかった…

     ごめんね。


別にお別れではない。
ただの引っ越し。

でも、
最後の荷詰めかもしれない。


無心でやろう。


これからは
ヒヨコだけを見て
勝負していかなければいけない。


時に母の力を借りて


私は最強母親にならねばいかん。


日にちがない。


残された母との生活は
母も第1で考えよう…

同列一位で。

      余生とは…


そんなものは
誰にも分からない。


もっと優しい娘だったはずなのに

な……
私…。




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