【1型糖尿病】ナイスコントロール

秋に今の家に越してきたのですが、「さかえ」という月刊誌を見つけました。
高校生の時、主治医と出版社の方とのつながりがあり二年少し文章を掲載させてもらっていた時期がありました。
その「さかえ」と、ビル・ガリクソン投手(1型糖尿病でメジャーリーガー、旧巨人軍)の本を読み返し、今の自分があります。
あいにく、この本は絶版になってしまいましたが令和の今の若い方達にも通用する内容です。
ガリクソン氏の本は絶版でも、気になるようでしたら、もし私に連絡くれれば貸すかとはできませんが内容をお伝えする事はできます。

今のご時世、1型糖尿病の方で悩みがあるときこの本をお勧めします。
令和の今でも通用しますのである程度セルフコントロールで悩んでるときアレンジにとても参考になります。
古本でもあるようですね。今は女子医大の本屋さんでもないのかも。



現在「さかえ」は医歯薬出版ではなく、時事通信社から出ており、購読料を支払えれば読める雑誌。
関係者しか知らない雑誌ですが1型糖尿病、2型糖尿病になり間もない方にはとてもいい雑誌だと思います。
私自身、1994年より1型糖尿病ですがそのコミュニケーションというかその内輪だけ的なグループに属していも答えや参考が見つからない、
先輩の話聞いても
「こいつどこの御曹司?お嬢?何して生きとるんか?」って思うときが現れます。
もとい、自分のやり方を見出さなければ的な、自分オリジナル人生!をクリエイトしてかなあかん!的な、状況が生まれてきます。

例えば・・・

  • 生理不順のとき、などのホルモンバランスの乱れ関係

  • 片頭痛、腰痛、腹痛の頻度が増えた

  • 体重の増減

  • 呼吸困難(理由は各々ありますがバセドウ病や橋本病の可能性もあるので気になる方はt1d主治医の先生に必ずご相談を。)

  • 足のつり

  • 生活環境の変化(親や配偶者、身近で親身な人の死など)

  • 震災、国際結婚、戦争などによる環境変化によるストレス

  • 仕事関係の変化

上記の際はためらいなく主治医の先生にご相談を願います。
私は1型糖尿病になり主治医が3人目の先生、
内潟先生出会うことができ今元気に生きることができています。
人によるけど、私は精神科の主治医以外皆女医さんにしています。
自分は男性のお医者さんで自分と合う先生は精神科の先生と地元の耳鼻科の先生位でした。
知り合いでもLGBTQはいます。
でも私はたまたま心体、女で、はじめて行った局部のかゆみで行っただけの婦人科で嫌な思いをしたから。

  1. え、高校生が婦人科にきてる!?きたねぇーみたいな待合中での白い目

  2. 男性医師に無理やりマタをひらかされ(ウィーンっていう椅子がなかったのよ昔)カンジダだねって言われた何とも言えない感。

  3. 今では亡き、強き母が瞬間「あたしの娘の太ももにあんたが触るんか!聖路加ではこんなのなかったわよ」ってキレてしまった。看護士さんたちに取り押さえられながら結果会計の時に文句をオブラートに包まずに発言。

母、強かったです。(ここまで)
なので、現婦人科の先生には1型主治医の先生から紹介された女医さんで都内キラキラ目黒地域。うちから通院1時間ちょいかかる。
生理不順でカウフマン療法を受けており高校時代からの仲です。
鬱の薬飲み始めたら生理が婦人科の薬なくても自然に来るようになりましたのでしばらくお会いしてないのですが、まじで長生きしてほしい女医さんです。

お医者さんとの相性も心の健康に影響しますし下手すれば何個も病院にいって疲弊することもあるので。

今は内潟先生のおかげで体調も整い健常者とともに暮らし就職し、結婚し、出産は難しくとも今生きることができています。
先生は基本的には中学過ぎたころから「一人で病院に来なさい」「キャンプは不要」「インスリン(薬)の量は自分で調整してナイスコントロールせー」と言われたかな。

そんな中、個人的に気になったことを書こうと思います。
1型だからこそ患者さんの気持ちによりそえる職業、医療関係です。
結果、私は無理だぁ命預かるのきつぃ、すげえ職業だわ
バカな私にはできないって小4位から確定してました。
自分も小さい頃はインスリンの打ち方を教えてくれた看護士さんにあこがれたことがありましたが理系ではなかったので右往左往し文系とし生きてきました。

今はコロナでキャンプはないと思いますが、サマーキャンプ。
今ではとてもいい思い出だけれど会社と同じよう卒業の時期来ます。
私はもともと集団行動が苦手だったのであえて訓練になったかなっていうイメージで、中3夏まで参加はしましたが、
「デッサン練習に時間を増やしたい」気持ちと、もし絵がダメだった場合、就職材料になるよう親にも言われ、勉強が苦手な私が比較的得意だった語学の勉強に時間を割きたくなりました。外国に住むことを視野に入れたのもこの頃でした。
中1の時はあまり知り合いいなかったのに、唯一話しかけてくれた友達にも背中を押されて絵を描きたい気持ちが強かったです。

普通科、美術、デザイン、調理コースがある高校でした。調理コースは高校三年間で調理師免許を取得できるカリキュラムだったので美術デザインより人気が高かったな。
そんな中で学園祭とかあるわけで、他コースのメンバーと話す機会が増えたり業者とのやりとり、陰でバイトをしたりと。(母校の先生、今なら罰を受けます)

なので結果1型のコミュってそんなに必要ないのかなって。
だって体調みんな違いますからね、同じ1型でも。
年齢によって価値観も環境も変化するので自然現象と認識しております。

高3の三者面談の後に母がくも膜下出血で倒れ3日後に急逝。
高校生の時のその時の私はとにかく自立したい気持ちが強すぎて、お金第一に。
生理不順もこの頃から。
当時、長兄のお嫁さん、お義姉さんと不仲になってしまったんですよ。
なのでとにかく自立して実家を離れたい主義で生きてきて25歳までCAを追い求め、結果挫折、というか諦め。
30歳になり語学で食っていくという夢は叶えられましたが、人間関係と激務で人生を考えるようになった。
胃潰瘍と鬱、不眠症にもなったし、
え、自分の人生なんなの?って。

色々考えなおして、自分の人生、決断を迫るとき最終承認をするのは自分なんです。
生きてると「承認」しなきゃ場面が何度も来ます。

相談に乗ってもらったり、年長者の方の話を伺ったりするのは大事ですが
それより本を読んだりして自分でどうするのがbestかを決める方さっぱりします。
他人の意見をそのまま鵜呑みにして、そのまま動くと、他人軸となり、
もやもやして納得いきません。

自分軸で常に動けば、失敗しても、イラついたり無駄なエネルギーを使わずに済む、という事が理由になります。

なので自分軸で動いてみることをおすすめします。
成長するたびに選択の難しさや難題が訪れるのは、きっと変化の機会
自分も年を重ねそう思い常日頃生きています。

尊敬するデヴィ夫人の名言を記載したいと思います。
(納得がいかない方はメンタリストDaigoさんのyoutubeも参考になるかも)

  1. 私、興味ない人全然覚えないの。

  2. ゼロから始まった人生、ここでゼロになっても構わない。

  3. 長く生きていたら、人はミステイクなんていくらでもあるわ。

  4. 幸せになるヒントは、いつもあなたの心にあるのです。

  5. 私の敵がすべて死ぬまで生きます。

以上!
長くなりここまでお読みいただきありがとうございます!

「個」の人生でも生きていくことは可能です!

他人をないがしろにしてもいいってわけじゃないです。
他人をリスペクトし、そして自分軸で生きること、俯瞰して一息ついてみることも大切だという思いを込めてます。
(ただ私は集団とか飲み会とか昔めちゃ無理して参加してたけど本当に今は無理ぽです)

答えは自分が知っている!
私自身もわからないし!?そのうちでてくるんじゃないかな
状況、と、年相応な!

ナイスコントロール!はあなたが持っています。
もしかしたら現状維持もナイスコントロールかもしれないし、
一息おいてベランダでひといき無になるのもいいですよ!?
(頭に酸素行渡ります)

Thank you so muchです!

ナイスコントロールはあなたが持っています!


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