あと20年で母の死んだ年になる

皆さま、ごきげんよう。今日は日曜日ですね。
お仕事の方もお休みの方もいい日になることを祈り記事を書いております。
さて、私が漫画家を目指すきっかけは夫のシンプル進言、
ではありましたが。今後の人生について考えて振り返ってみたからです。
精神的にはまだ二十歳位の感覚で、当時描いていた35歳とはまったくことなったから。よく友人や上司と話しております。

エブリスタで自分の半生を投下しました。
長いですが読んでいただけると嬉しいです。

私の母は55歳で天国に逝きまして、夫の母は52歳で津波に流されてしまい天国に。
そう考えたら、私はあと20年で母の年になるわけです。
私は子供ができないからだで、妊活とやらをしないと子供ができません。
でも複雑な生い立ちからか、子供を無理やりにでも欲しいと思わないのです。夫も同じ意見です。子供は授かりものだと教わってきたことが共通点でしたので、無理やりにでも、そこに執着しするのは結構な心労だし。
鬱をかかえての私に人間の子供を育てられる自信もない。一度妊娠したっぽい反応が出たとき、背筋が凍り付きました。
血糖コントロールも今正直いいわけじゃないし、自分らの世話で手一杯
1型糖尿病の主治医に相談し、泣きついてしまったことがあります。私に人間を育てられる資格も権利も自身もありません、と。いつまでもお母さんお母さんと泣いている私には無理だと。
主治医にはいろいろと諭されました。

結果妊娠しておらず切れ痔の大量出血というオチ。

妊活という行為じたいに否定はしていませんが、
私と夫の思いは「赤ちゃんは神からのさずかりもの」のため妊活はしない子供いなくてもいいよねという考えなのです。
でも100人100色の人生がありますのでそこはご勘弁を。
私たちは、残り少ない人生をかけるならば二人で有意義な人生にしたいよねと。
夫は体力もあり運動神経もいい私と真逆なタイプなので建築現場での仕事を頑張っています、でもそれは俺にはあってないからいずれ居酒屋をひらきたいとか言っています。
でも私には現場で働く体力もなければノウハウもないし、
さて、死ぬ前にせめて後悔なく母のように死ねるにはと考えたわけですよ。
不適合な接客業を続け、会社員で事務職を続け、今まで培った語学を使う仕事だとしても合わなかったんですよね。
人間関係もあると思いますけど。
それは、画業を生業として生きること。
漫画家になるのが小さい頃からの夢で、高校も美術コースにしたんじゃん。(苦手な体育や数学の授業が少なかったっていうヨコシマな理由もあるけど)
だから、なるはやでスピードあげなきゃって思って今必死です。
物語も泉のようにあふれ出してきてしまい逆に周りが見えなくなってしまっている感じは危険かも。
そんな時、以前からyoutubeでみていたごとう隼平先生の動画からたどり着き、受講しようか悩んでいた「ネームできる講座」をついに受講スタートしました!

今まではイレギュラー対応などや休日出勤が相次いだのですが、職場に退職する旨を申し出ているのであとは有給消化と貯金にいそしみ、創作に力を注ぐこと。商業漫画家として作家になること。
目標がないと抜け殻になってしまいがち体質の私の目標がようやくできました。

ただ、悩みがね、ネームは紙にかけるんだけどデジタル慣れしてないのが悩み。
IT企業で働いてるのにね、っていう。
クリスタの理論はようやく理解できたんだけど、アナログと違って味が出せない感(駆使してる人はデジタルでアナログ味を出せる人もいるんだろうけど)

20年前、私は中学2年生でした。35歳なんてこんなに早く来ると思わなかった。
だから今ある力で限界突破したい。私と似たような作品が出る前に早く生み出したいという焦りもあったり・・・

鬱抜けもできてないし、まだ社畜だし。
世界中の創作する方に敬意をはらいながら、今日も可能な限りがんばります。

そして創作でお悩みの方はぜひ東京ネームタンクさんの動画やサイトをご覧いただくことをお勧めします。
(当の私は動画受講の時間でてこずっており、個別サービスすらまだ申し込めてないですがこれがかなりの評判です。目からうろこな。ぜひリサーチしてみてください。

ではでは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?