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短編小説「プラネテス、アイキャンディ」

今日もまた、やってしまった。

レンズの向こう側に、従順で、そこそこ有能そうに見える「女子大生」を送り出してしまった。

職業的微笑。

シャッターが切られるタイミングで、

「ウイスキー」

と、声無しに唱えると、それは不思議と出来上がる。スマイルの量産。女らしさとは。

秀でた額、艶のある肌に控えめにちょこんと乗った小さな鼻。三白眼で意志的な瞳の印象をふっくらとした頰が、和らげている。本当は、自分のアルバイト代だけで矯正した白い歯並びを見せつけたいのだけれど、歯を見せて笑うと、知的に見えないとみなされるらしいから控えておく。

財布を出して、学生証の証明写真と見比べる。洗練という文字が、様々な思考の邪魔をする。

大学名だけで落とされることは少ない。学歴が高すぎも、低すぎもしないから。そして、その大学どこにあるの?とも言われない。

団塊世代のよく分かりあえなさそうな人事の人は、大学名を聞くと即座に元野球選手で終身名誉監督の彼の名を挙げる。あるいは、音楽家、アナウンサーの名を。私は家にテレビがないから、アナウンサーの顔は思い浮かばない。日経を読むのは、義務だ。少なくとも今は、と私は思う。

午前中に受けた化粧品会社の最終面接で、私は、

「”女性”が活躍できるかどうかを軸にして、就職活動を行っております」

と答えた。その言葉に感嘆符を打つかのように、うなずく壮年男性ばかりの面接官たちに、私は萎えてしまった。

なんて舌触りの良いフレーズ。しかし、それを逆差別と言う奴は、もっと分かっていない。企業の目的は、人材の多様性を高めるひとつの契機として女性総合職の比率を増やすことであって、「男」だから、あるいは、「女ではない」からという理由で落とされることはないだろう。

それでも、眼前の人々が信用ならないのは、彼らが「美」の規範を更新しようとしないから。色白美人、触りたくなる肌、クセのない髪とは。

私は、社会学部で社会学を学び過ぎたのだろうか?と思ってしまう。もちろん全方向的に、皮肉を込めて。

もっと早くに、「山の手のお嬢さん」に擬態すればよかったのだろうか。それとも、いかにも総合職狙いの「タフな女」に?

入学したてに受けた健康診断で、前の子の住所が、田園調布で、後ろの子が麻布だった時点で舵を切るべきだったのだろうか?

彼らは人慣れしていて、とても感じの良い人たちだった。みんな堅実に内定を取っていく。地方銀行の窓口担当、大手商社の事務職、広告代理店の応対担当。

地方の公立男女共学校出の私は、すっかり怖気付いてしまった。

私は、小中高と私服登校で、高校では、髪をピンクに染めて登校していた。3ヶ月で飽きた。校則はなかった。その学校では修学旅行の行き先も毎年、生徒が決めるのだった。なかなか徹底していたと思う。思い返せば、ロリータ服で授業受けているクラスメイトが居た。また、休み時間になると一人でパソコンを作っている子もいた。机上に広げられた部品の中、唯一機能の見当がつくパーツは扇風機のような形をしていた。

「パソコンも脳みそを冷やさなきゃいけないんだ」

それは、CPUファンだった。その子は、ぶっきらぼうに言ったつもりなのだろう。

しかし、私は、情報処理で発熱してしまって冷ましてもらわないことにはどうかしてしまう部品よりもその子を愛らしく感じた。私が抱く感慨は、その子にとっては、迷惑だったとは思う。

私は、間違えたのだろうか?

地元の国立大学に行っていれば、ここまでの器用さを求められなかったのだろうか。公務員試験であれば、27歳まで受けられる。私はいつ、社会人になれるのか。

プリントされて出てきた4人の私から、私は見つめられる。3×4。背景はグレイ。血色よく見えるから。

私は、私たちをハサミで断つ。

また仲良くなれますように、と祈る。履歴書を書くたびに、嘘が増えていくような気がする。文字だけが巧くなっていく。私は必ず最終面接で落とされる。初めに見栄えで通り、次に筆記、口の強さで通過する。最後に本性を見抜かれる。

”みなさまのご健闘をお祈り致します”

貴方から祈られる筋合いは無い。お祈りメールと称して、自虐を気取るのはさらに芸が無い。

「急げませんか」

と、左から言われる。

お揃いに見える黒いハイヒール。だらしなく足の甲にゴムバンドが掛けられている。しかし、それは彼女のせいではない。だらしがないと思う私も、思わされているにすぎない。彼女と私は強要されている。髪色のコード、ストッキング、就職活動が終わったら喪服を買うまでの繋ぎにしかならないスーツ一式。

腕時計ひとつでも背伸びしたら面接官に疎まれるのか?

このままでは、軟骨のピアス穴が塞がれてしまう。右耳を4時から11時に貫くゴールドの矢状。素耳が悲しい。

写真機の中、前髪を切る。

確実に正しい音がした。

型崩れしないだけが取り柄の合皮バッグは、親切な人が忘れ物と思い違わないように肩紐を切ってパウダールームに捨て置こう。中身が入れば何でも良い。アイラインを引こう。リップラインを取らなければ七五三のようになりかねない赤黒い口紅を塗ろう。頬骨弓の少し下に葡萄色のチークを入れよう。要らないものが分かってきた。

左の人には、素直に謝った。抜け駆けというわけではないのだ。一切、引け目は感じない。

午後の面接は直前で蹴り、ツインタワーの地下で、あずき茶と、あんトーストを摂った。それは案の定、甘味以上に機能した。

私は、すっかり深刻さを失った。

誰かは、飄々とした、という日本語の形容詞を「女」に用いることに躊躇するだろう。好い気味だ。

今日は、まだ歩けそうだ。赤坂に抜けるか、それとも渋谷まで戻るか。出来るだけ遠回りをして、家に帰りたい。

この靴ともおさらばだ。どこまでならば歩いて行けるだろう。

右手に霊園、左手に公園。葬儀場には誰も居ない。今日は皆、生きているのだろうか。

見覚えのあるトンネルを回避する。陸橋の上、踵の水膨れが弾けそうだ。

しかし、駅までは持つだろう。その見当がつくほど、私は慣らされたのだ。今まで、ノーとは言わなかった。言えなかった。

通りかかった縁日で、ビーチサンダルを買った。一度靴を脱いだら入らなくなった。ベンチを探しに坂上の公園へ引き返した。爪を引っ掛けても裂けない比較的高価で強靭なつくりのストッキングだ。膝上でつまんで輪状にハサミを入れた。早口なのに聞き取りやすい声音が届く。階段を下りる。

日の入り前の境内の荘厳さは、出店の活気をいっそうに削いでいた。

”すいきんちかもくどってんかい
水兵リーベ僕の船

渡しの船は野新田
富士見 梶原 一本松

橋が架かれば廃業よ

ワタクシ親父はバナナ売り

満州帰りのバナナ売り

戦時戦中仕込まれて

生まれてみたら門司港

十五で家出 居候

ふらりふらりと下関

津山 豊岡 京田辺

流れ流れて 来たことよ”

その人が売ろうとしているのは、惑星をかたどった棒付きキャンディだった。人助けに買い取ったとのことだった。その人の周りにだけに人がいた。微笑ましく思った。

”水星火星地球飴

海王星はラムネ味 金星土星は蜜柑味

口開け一番縁起物

さぁ持ってけ持ってけ

1本 5千でどうだ”

「はい」

私は挙手した。しかし、ねえちゃん、お嬢ちゃんと呼ばれることを危惧したのも事実だ。ましてや別嬪さんだったら、もっと悲しい。

”分かってるねぇ、学生さん”

中庸を行っていて驚いた。変わっていたのは、髪型だけだったのだ。お揃いの装甲服。

私は、その人に近づいた。

”みんな、口開け一番、縁起物だって言ったろう?”

振り返って見てみると、確実に買わない人が2人いるのが分かった。その人のお友達だ。

”分かった

セットで木星火星つけちゃおう 


学生さんに拍手”

5千円払っただけで得られる控えめな喝采。

誰も私の足元を見てはいないだろう。爽快だ。

”学生さん、ちょっとワタシに教えてくれるかい?

どの星からお召し上がりになるのでしょうか?”

私は、右手に持った球体をその人の眼前にかざす。

”そうかいそうかい

学生さん、アナタ威勢が良さそうだから……

ガリガリ齧っちゃうんだろ”

その通りのような気がしてくる。悪い気はしない。

”そうだ そうだ お上品にペロペロペロ〜なんていけねえよ ガリガリいかなくっちゃな!

みんな……明日地球が粉々になっちゃうんだって 

土星も持ってけ”

私が笑っている。この場で真顔を保持しているのは、その人だけだろう。

”さ、 縁起物は売れちまった

どうだい3千円 

キャンデー3つで3千円”

私が買ったのは、飴では無いと気がついた。

鳥居の向こう、風車を手にした子どもが蝉の死骸を蹴ってはしゃいでいる。

私はタクシーを止める。

さて、これから私は何を売ろうか?

FIN





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