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いじめに耐え抜いた3年間

「部活の思い出」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、中学時代の剣道部。 ※長文です

入部初日から、先輩に呼び出しをくらったことは今でも忘れない。
学校から徒歩10分くらいの公園に集合するよう中学3年生の女子部員先輩達からお達しがあった。

横一列に並ばされた1年生女子の私たち。
確か、何か厳しい言葉を言われたが、言葉の内容よりも、先輩女子の圧力が怖かったとだけ覚えている。その先輩達の中に、唯一、幼い頃から仲良くしていたはずの先輩も1人いた。

「皆と同じように行動しないと
仲間外れになる」

そう思って、周りの仲間部員と同じように、私たちに圧力をかけてきたのかもしれないし、本当に私のことが嫌になったのかもしれないが、そんなことはもうどうでもいい。

やがて3年生が卒業すると、それまで配下に置かれてペコペコしていた2年生女子先輩達が権勢をふるうようになった。

その2年生の中にも、小学生の頃から可愛がってくれた優しい先輩がいたが、やはり周りと同調して私たち1年生女子部員に対して高圧的な態度になった。

昔は優しかったけど、人は変わる。

コロコロ変わる。
そう思った。

しかし、私にとって本当にキツかったのは、仲間であるはずの同級生からのいじめだった。

剣道は2人1組になって練習する。
しかし、私たち1年生女子部員の数は9人。
ペアになると、必ず1人が余るのだ。

その余り1人のポジションに多くの確率で当たったのが、私だった。みんながそれを予想し、分かっていた。当時はペアになるということが、どれほど嫌だったか! 
必ずといっていいほど、毎回私が余るからだ。

特に悲しかったのは、遠征試合。慣れない会場での練習で1人余り続けることは苦痛だった。ペアになるシチュエーションだけではない。みんなでお弁当を食べる時間も輪に入れず、1人外れた場所に座り、お母さんが作ってくれたものを寂しく食べた。

嫌がられていたのは分かっていたが、それでも、みんなに付いていこうとした。一緒に同じ行動をしようとした。
その行為がまた、メンバーからうざがられた

この時、ウザイという言葉を初めて知った。
ムカツクという言葉も知った。
自分が言われて初めて、その意味を知った。

あぁ、私の存在はウザイ、
ムカツクのだと。

私が経験したいじめは、こんな感じだった。
・通りすがりに「バーカ」「ムカつく」
などと言われる
・通りすがりに足を強く地面に打ちつけて大きな音を立てられる
・部活からの帰り道、同じ方向だが、
みんなから距離を置かれる
・無視
・聞こえる声で悪口を言われる
・当たり前のようになる、仲間外れ

これを約3年間(厳密に言えば、3年の夏まで)。

部活は毎日のことだから、放課後が嫌で嫌でたまらなかった。剣道場へ行きたくなかった。やってみたくて入った剣道部だが、まさかこんなに辛いことが待っているなんて…。見るからに除け者だったので、顧問の先生も知っていたと思うが、知らない素振り。話の輪に入る時は、先生もみんなの輪の方にいた。
いじめには「我、関せず」だったのだろう。

そんな暗黒の部活も、中3まで何とか乗り越えられたのは、いじめが部活内だけであったからだ。クラスは楽しかったし、充実していた。勉強も楽しく頑張れた。いじめの悩みを聞いてくれた親友にも感謝している。剣道場とはまるで違う世界。同じクラスに剣道部員がいたこともあったが、彼女達が主力メンバーではなかったことと、仲間部員が揃わなければクラス内では何もしてこなかったので、特に問題は無かった。

明るい自分と、暗い自分。
2つの性格が日々、形成されていった。

家に帰るとドッと疲れて、酷い自分になった。家の中では、ありのままの、自分の性格が炸裂していた。親からは「内弁慶」と言われたが、いじめにあっていることを、特に母親が理解してくれた。家ではたくさん泣いた。

中学時代に築かれたこの経験は、後の人生に大きな影響を与えることになる。

結果、
いじめによって、私は大きく成長した。

なぜそう思えるのか? 自信につながったのだ。

・約3年間、精神的苦痛に耐え抜いたという自信
・「こんな人達とは一緒にいたくない」「負けたくない」
という思いから、勉強を頑張り、志望校に入ることができた
→どんな辛い状況でも目標達成した自信
・いじめられる側の気持ちが理解できた
→他人の気持ちを理解しようと思えるようになった

卒業後、高校や大学時代、社会人になってからも、たまに、当時いじめてきた人とばったり街中やお店で会うことがある。みんな、当時の私に対しての行動とは打って変わって、普通のお友達のように話す。だから、私も普通にお話しする。

人間、誰しも成長するものだ。

いじめた側も、いじめに同調した人も、本当は弱い人間の一人ではないかと思う。だからといってこちらがその人達に同情することもないし、距離を縮めることもない。いじめた側はもしかして、いじめたことを忘れているかもしれない。
ただ、これだけは言える。

いじめられた人は、
絶対にそのことを忘れない。

恨み節を言いたいわけではない。私の場合、それは、その後の頑張りへとつなげられた。そして、思う。

きっと自分にもいじめられる要因があった
のだと。

私も知らず知らずのうちに、これまでの人生において、他人を傷つけたり嫌な気分にさせてしまったりしてきたことがあるだろう。

因果応報もあると思う。

自分がやったことは、必ず返ってくる。

だからというわけではないが、いじめは本当に相手を辛い気持ちにさせるので絶対に避けるべき。一時の感情で、最悪の結果を招くこともありうる。
そして、いじめというカテゴリーに入らずとも、他人に対して嫌な気持ちにさせない努力をしようではないか。

思春期の約3年間、
いじめを経験して、そう思う。

#部活の思い出

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