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クリエイティブのいる場所

数年前、オンラインサロンに入った頃からクリエイティブな人たちとの出逢いが格段に増えた。

看護師として生きていくから、そういうクリエイティブとは無縁な世界で生きていくんだろうな〜デザイナーやアーティストってすごいな〜

とふんわり思い描いていた私としては、クリエイターの一挙手一投足が本当に興味深く、同時に憧れでもある。


思えば、一番身近なクリエイターは父だった。

美大を卒業し、雑誌や企画のデザインを担当していた彼は、いまだに家族の中で一番おしゃれだし、年賀状も自分の書いたイラストやフォトショで加工した家族写真の載せる始末。家具の配置や料理の盛り付けにまでうるさい。

服なんて最低限着ていればいいし、料理も食べられればいいじゃんという私からすると、彼のこだわりはちょっと病気なのでは?と思える時もある。

え?靴が服と合ってないってなに?
この料理はこの皿じゃないって言われても…じゃぁ、どの皿なのよ!
なんてやり取りは日常だった。

父と比べられるのが本当に嫌だし
子どもの頃からこういう性分だったので

間違ってもデザインやアートの世界にはいかないようにしよう
創作や創造とは無縁の仕事に就こう

という思惑もあって、医療の道へ進むことにした。


だから、クリエイティブとは無縁は人生のはずだったんだけど、今の私は書くことが仕事になりつつある、なぜだか。

そうするとたまに「あさみさんも、クリエイターですね」なんて言われることがあるんだけど、そんなわけがない。あるはずがない。

私はライターと名乗れるような力量もなければ、燃えるような熱量もない。すぐに飽きてしまう。
人に取材するのは苦手だし、相手をトレースして書くことも向いてない。

自分の書きたいことしか書けないというワガママっぷり。
だから、ライターと名乗る資格がないと思っている。

かといって、作家のように本を出したい欲もそんなにないし
これが私の作品だ!読んで欲しい〜!!なんて思いもない。

むしろ、こんな私の文章を時間と体力と電力(!)を使って読んでくれるなんて、本当にありがたい。

そのへんに咲いている花のように、目で気づいて手を伸ばしてくれる人がひとりでもいればいいと思って書いてる。むしろ、書きたいから書いているので、手を差し伸べられなくてもいい。

私の書いたものが、クリエイティブなのかと言われればまったくもって違う。あくまでも趣味の延長であって、クリエイティブではない。

SNSのある時代だからこそ、私の文章を面白がってくれる人と繋がることができて、ちょっとお金のやりとりなんかもあったりして、くらいのスタンスだ。


けれども

小さい頃から、何かを作ることは好きだった。

料理はその代表みたいなもので、もっと美味しくたくさん食べたいから作る!という、ケチの根性みたいなものが大人になった今でも続いているだけ。

自炊をしない人にはわからないかもしれないけれど、自分で作るとこれくらいの金額・材料なんだってわかる。やっぱり外食は高いよ。

そして、料理のいいところは消えモノであるということ。
食べればなくなるから、生活空間を圧迫することがない。

逆に生活空間を圧迫するシリーズとしては、編み物、手芸、刺繍、ビーズアクセサリー、レース編み、工作は一通り手を出した。ミシンはメルカリで売ってしまったけれど、ボビンだって自分で巻ける。

今も、欲しいトートバッグがなかなかないので、シンプルなバッグを買ってアップリケを貼るかお花の刺繍をしようと思っているくらい。

中学生の時には、家庭科なんて選んでも私のレベルじゃなくない?と思ったので、ほぼ男の子しかいなかった技術の授業を選択して、はんだごて(溶接みたいなスキル)をマスター。

自由工作では、木材から自分で切って折りたたみの椅子を作った。
実家ではピンチヒッターの椅子として、いまだに使われている。

他にも

美術品や美術館にいくのは好きだった。

何を血迷ったのか、大英博物館やナショナルギャラリー、ウフィツィ美術館、ベルサイユ宮殿などそういう場所へいったことがあって、ポストカードを大量に購入しては、家でにやにや見つめているようなところもあった。

(今でもにやにや見つめることがある)

購入したポストカードは、ざっと200枚はある。
これ、かなり好きレベルでは…?


デザインやクリエイティブとは無縁な人生だと思っていたのに、そういう経験をしたりプロダクトを集めていて、ちょっとびっくりしている。
しかも、このことにさっき気づいた。

きっと、みんな毎日の生活の中で何らかのクリエイティビティを発揮しているはずなんだけど、それに気づくかどうかは自覚があるかどうかだと思う。
私はさっき気づいた(2回目)

言うまでもなくプロの方は、自覚があってそれを仕事にしている。自分のクリエイティビティに、そして工数に値段をつけ、それで生活しているよね。

私みたいに、クリエイティブとは無縁の生活を送っている人は自覚もなにも、自分の創造に価値があるだなんて思考回路を辿らない。

ただの思いつきや雑誌でみたやり方の真似だったりする。そして、絶対に市場に晒さない。人の目に触れないままおわっていく。

けれど、SNSのおかげで簡単に人の目に触れるようになった。これはつまり、市場に晒すことと同義。これがクリエイティブの新しい一歩なんだと思う。

私はいまだに自分の文章に自信がないし、有料記事を買った人には心の中でハグしているくらいの心持ちだけど、これもnoteという市場があったから。

自分の中のクリエイティブに気づくきっかけは、いつも自分の外にあるのねって考えてしまった。


30歳を過ぎて、ようやくクリエイティブの扉を開けつつあるけれど、やっぱり目が眩んでしまいまだ5mmくらいしか扉を開けられない、ナースあさみが現場からお送りしました。





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