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看護師を目指したきっかけに、ストーリーを求めている人へ

看護師というだけで

奉仕の精神をもった人だ
優しい人だ
自他非分離(じたひぶんり)の精神性の強い人だ

と、勘違いされることが多くて
心にじんましんが出そうになる時がある。



こう言ったらトゲがあるかもしれないけれど
看護の仕事は、お給金が発生するからやっている。

ボランティアや善意だけじゃ
私は続けられない。

これは、私の両親とも話していることだけれど
医療的な介入が必要になった場合
施設や療養病棟に入ってもらうからね

タダで自宅で私に面倒をみてもらえるなんて
死んでも思わないで、と伝えてある。


看護は仕事なの。
趣味や好きなことの延長じゃない。


看護師を目指したきっかけについては
このnoteで少し触れているけれど
(有料だけどそこそこPVのいい記事です…
読みたい人は買ってくれ!)

私の場合、看護師を目指したきっかけは
看護師にお世話になった経験や
病気をした経験も関係しているけれど
直接的な理由ではない。

実際は

女性であってもひとりで生きていける職種
であること

そして

これから40年、市場価値の変化が少ない仕事
であること

この2つの基準で選んだ。
マーケットインの感覚というのかな。

アイドルになりたいからなる!ではなく

高齢社会のうちはそれなりに需要があって
AIが出てきても人間のホスピタリティを活かせる部門だから
いきなりクビになることはないのでは?という理由。

あとは、血液とか体液とか全然平気だったし
体力もそこそこあったし
不規則なシフトや勤務体制の方が
平日に遊べるじゃん!って思ったのもある。


このnoteを書こうと思ったのは

みなみちゃんのこのnoteの

この部分(一部抜粋)

人のためになる仕事をしなさい。看護師とか。

おばあちゃんに昔、そう言われてから、なんとなくそれが美学だと思っていた。
そして同時に「ごめんね」と思った。

東日本大地震を経験した東北で育ったせいか、周りも医療に進む友達が多かった。
だから「もの作りがしたい」と思う進路に罪悪感を感じていたし、「看護師になりたい」と微塵も思えなかった自分を、冷たい人間だと思った。

これを読んで
やっぱり多くの人が

人の役にたつ仕事、だとか
自分を犠牲にして働く人
というイメージを持っているんだなと再認識したから。


実際は、違う。


私の周りだけじゃない。
実際、みんな現実主義で割り切っている人こそ
この仕事を続けている気がする。

人を支えるには
まずは自立していないとダメだもの。
お互いもたれかかったら、共倒れしてしまう。

ジャンルは全然違うけれど
ハイブランドの社員募集の際、ファンは雇わない
というマインドに近いというのかな。

病院や看護、白衣に憧れを持っている人こそ
早々に淘汰されてしまう。

こんなはずじゃなかった、って。


実際、私の周りにいる多くの看護師も
そういうマインドは割と控えめで

・生活のため
・旦那の稼ぎがイマイチだから
・人の底辺の姿がみれておもしろい
・お母さんがナースだったからなんとく
・とりあえず、生きていく上でネガティヴな要素にはならないでしょ?

という理由で看護の道を選んでいる。

患者のために、自分のすべてを捧げる…!
みたいな人はほぼいない。
むしろ、この傾向は医師に多い気がする。

ナイチンゲールでさえ
もともと貴族の出身で
教養と資金があったから
看護を学問として極めることができた。

しかも、実際に臨床にいた期間は3年と短いしね。


人に伝えるには物語が適しているだろうけど
自分自身の動機としては超現実主義でもいい気がしている。

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