頭のいい人と話すということ
昨日は、cotreeのひらやまさんをはじめ、社員のみなさまと雑談させてもらった。雑談バンザイ!
中でも、際立っていたのはこの人。
プロフィールをみたらおわかりいただけると思うが、いわゆる頭のいい方である。
それに、タチが悪いといったら失礼かもしれないが、哲学や倫理に関することがお好きで仕事にもなさっているので
日本語なのに何を言っているかわからない…!
とか
その言葉、いまはじめて聞いたんですが…
とか
その脚注、いまのこの会話に必要ですか…?
というようなことをふっかけてくる。
頭のいい人あるあるである。
昨日は、さすがに私も理解できない部分があって
ちょっと、それどういうことですか…?
と、聞いてしまった。
横にいたひらやまさんもうんうんと頷いていたので、みんなもそう思っていたに違いない。
岩波新書や研究論文をたくさん読んできたであろう語彙力。
理論や枠組みから事象を思考する思考力。
論理的で的確な語彙を選択したかと思えば、いろんな概念や事象を包括したような語彙を使うときもあって、わたしは話していてとても楽しい。
頭の中フル回転。
(これに備えてラーメンをチャージしていったわたし、エライ)
なんだけど
こういう人と話している時、自分が馬鹿にされているように感じる人も一定数いる。
知らない語彙や言い回しをされることで、自尊心を傷つけられたと勘違いしてしまう人が。
そんな意図、まったくないのに。
いい例が、医師と患者だ。
医師は、わかりやすく伝えようという配慮よりも、的確に正しいことを伝えようという傾向が強いので(あさみ調べ)、専門用語を使ってしまったり、断定できずにやんわりとしか伝えられないことが、どうしてもある。
これを受けた患者は
・何をいっているかわからなかった
・はい、しか言ってはいけない気がした
・医師のほうが優位であると感じた
・はぐらかされる感じがした
・子どもをあやしてるような感覚を受けた
という感想を抱きがちだ。
そのため、わたしたち看護師の仕事のひとつに、医師からの説明を患者がどれくらい理解しているのか確認すること、理解が乏しい場合には噛み砕いて再度説明し理解を促すこと、がある。
つまり、頭のいい人と普通の人の会話のあいだでは、使っている言葉のレベルがそのまま理解のレベルに影響し差異が生じやすいため、ここを埋める必要があるということだ。
じゃないと、医師−患者関係が良好なものにならない。
それはそのまま、治療の経過や結果に直結する。
おそらく、普段からこういう役割を担っていること、そして、べとりんさんの専門分野と私の専門分野がやや被っていること、このふたつのおかげでなんとか会話が成立しているんだと思う。
お互いに理解のレベルを合わせましょう
そして、そのプロセスを楽しみましょう
という共通認識があることが大切。
繰り返しになるが、べとりんさんはわたしを馬鹿にするような意図は絶対にないだろうし、わたしも馬鹿にされているような感覚はない。
わからないときはわからないと言えばいいし
比喩や例えばイマイチなときは
これってこういうことですか?と置き換えてみればいい。
お互いが会話を楽しもうとすること
そして
相手を理解したいと努力し続けることができれば
頭のいい人との関わりは、楽しいものになる。
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