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出会った日から号泣する準備を始めた私は、きっと


この、かないくんという本は
クラスメイトが亡くなってしまうという本だ。

絵本にしては重い内容かもしれないけれど
看護師である私にとって、死は身近なもの。

ほぼ日の糸井重里さんの監修ということもあって
発売当初、迷わず購入した覚えがある。

そして、このかないくんの本の写真をとってくれたのは
写真家の幡野広志さん

縁あって、直接お会いする機会があり
写真を撮っていただいた時のものだ。


ただ皮肉にも、幡野さんは
がんの余命宣告を受けている人でもある。

先日、この記事を読んでからというもの
自分のアイデンティティを
分散させておくことの大切さ
をずっと考えている。


繰り返しになるけど私は看護師。

医療や治療によって助けられる人もいれば
何をどうやっても助けられない人もいて
そのどうにもならないジレンマを
書くことにぶつけたりしている。

もやもやが空高くのぼっていくのをみた日の話


他にも、いくつか仕事をしている。

ご飯を作ったり
こうやって文章を書いて発信したり
コミュニティ管理の仕事もそう。

それぞれの仕事で抱えるジレンマやストレスを
他の仕事にぶつけて解消できるので
かなり有機的なサイクルになっているのでは?
と、自分では思っている。


特に、幡野さんと出会ってからは
これを顕著に感じている。

もし、看護師の仕事しかせずに
幡野さんと出会っていたら

私の看護師というアイデンティティが
患者としての幡野さんに
まるごともっていかれてた。

発信なんてしてないで
家で家族との時間を過ごして欲しい
できる限りの治療を試して欲しい
クソリプに返事なんてしないで
もっとたいせつな人に時間を使ってほしい

こう思いながらジレンマを膨らませていたはずだ。



でも、今の私は
複数の仕事をしていて

それゆえ、役割や視点が増え
より多方面から問題や事象を考えられるようになった。

発信者としては、できる限り発信して欲しいし
クソリプをネタにするマインドが大好きだし
文章を書くものとしては、ずっと書き続けて欲しいし
感染症に気をつけながらも、人との繋がりを味わって欲しいし


ナースあさみとしての私は
発信者である幡野さんの活動を
ずっと応援していたい。


けれども

けれどもだ
その弊害なのか



幡野さんが近い将来
いなくなってしまうことを考えただけで
目頭が熱くなる。

患者さんが亡くなっても
一度も泣かなかった、この私が。

これは私個人の考えだけど
患者さんの逝去時に泣いてしまうのは
看護師としてプロ失格だと思ってる。

私たちの仕事は
患者さんやご家族の心に寄り添う必要があるけど
それは、その場で一緒に泣くことじゃない。

ご家族がちゃんと泣けるように
その場や関係性をマネジメントするのが
看護師の仕事だ、と思っている。


だから、目の前で起こっている事象と
感情を切り離す訓練を日頃からしている訳だけど


幡野さんの場合だけうまくいかない。

出会った時から
相手が先に死んでしまうという関係性が
そうさせるのかわからないけど

看護師・患者関係ではなく
ナースあさみ、幡野広志さんという
同じ人間として出会ってしまったからだと思う。


もう、看護師というアイデンティティは
どこか遠くにいってしまっていて

ずっと幡野さんの文章を読んでいたいし
周りの人との時間をたいせつにして欲しいし

もっと、生きていて欲しい
ずっと、生きていて欲しい。

どうか、死なないでほしい。


こう思っているから
幡野さんの発信や文章は欠かさずみている。

その時が来た時のために
あの時ああしておけば良かった、を
一つでも多く減らしたいから。

いけるイベントには全部行くし
書籍や発信は見逃さないようにリスト管理している。


本当は幡野さんだけじゃなくて
私の周りのたいせつな人全員に対して
こうあるべきだよな…

と、考えながら
幡野さんを
幡野さんの発信を
今日も味わっている。


その日のために。
その日の私のために。

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