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ほどよい「村」を探して ▽▼「東京嫌い」スピンオフ作品▽▼

横の繋がりがなく人々は冷たく孤立し合って生活をしている。東京とは、都会とは殺伐とした恐ろしい土地である。そんな過酷な場所に、どうして大勢の人が移住して行くのだろう。

「東京はなんでもある」それはそうかも知れない。それにしてもそのためにわざわざ移住するか?と私なら言う。有名バントのライブ、海外からやってくる劇団、交響楽団、展覧会。コミケや映画試写会、有名レストランに人気のスポット。それは確かにそう。メディアが集中する流行の発信地。もし友達が東京に住んでいたなら聞いてみて欲しい。

「いいなー、東京に住んでると毎日あちこちの飲食店やイベント行くんでしょ」
「いや、そんな行かないから」

東京の人間だって遊んでばかりいるのではない。普通に働いているのだ。

「だって東京はなんでもあるから」に関して言えばそれはもうその通りなんだが、どっちにしても自分の体は一個しかない。自分の人生にそんなに「なんでも」必要だろうか。もし、東京に住んでいる友人がいたら聞いてみるといい。

「いいよなー、東京はなんでもあって」
「それはそうだけど…」

そう、そんなことで羨ましがられても困る。だったら東京へくればいいのに。東京は人を拒まない。とにかく住む場所と働くところがあれば明日からでも住める。いつでもウェルカムな町。それが魅力だ。煩わしい隣近所もない。

いや待てよ。本当に隣近所ないのか?

私の東京の知り合いのことをちょっと考えてみる。今はもうみんなまあまあいい年齢の人たちだ。彼らが地方から移住し始めたころはおそらく隣近所とかなかっただろう。アパートに住んで気ままに若者ライフを送っていたはずだ。やがて恋をして結婚。住まいを持ち、子供たちは成長して学校へ。そこから学校行事、PTA、集団登校など。あれ?それって私の田舎と同じでは??

実は渋谷にも町内会がある。それを知ったのハロウィーンのニュースを見たときだ。町にゴミが捨てられて問題になって自治会の会長さんがインタビューを受けていた。

渋谷に!

自治会!

人の住む土地に自治会あり。渋谷にも自治会はあって、多分子供たちももしかすると集団登校したり、あるいはまあ、電車で行くのかも知れないけど、住んでいる人たちは我が町をよくしようと日々奮闘している。多分月イチとか公民館で会議している。私たちが墓や神社の掃除をするように、駅前とか通りとかで早朝清掃とかやっているはずなのだ。それにマンションがあればマンションの中にも自治会がある。つまりマンション自体も「村」というわけだ。

行政区画が大きいからと言って、都会に住む人間の身長が5メートルあるわけじゃない。住民のサイズはだいたいみな同じで、行動だって似たようなものだ。寝て起きて、ご飯を食べて働いて、ときどき遊んでまた食べて寝る。結婚したりしなかったり。子どもがいたりいなかったりだけど、それでも突き詰めれば東京だって小さな共同体の集合でてきている。

長年住めば顔見知りもできるし、隣近所で世間話もするだろう。そうなると冒頭に言ったような殺伐とした冷たい都会と言うイメージがだんだん薄れていく。そりゃ確かにドデカイ東京のことだから、殺伐とした場所はあるかも知れない。治安の悪い所やなんかもあるだろう。だとしても、そんなところですら多分人の繋がりはある。

かつて武司くんが住んでいたニューヨークへ行ったとき、世界の都会で私は大変興奮したものだ。けど、彼は言った「ここはマンハッタン村だから」。いやいや摩天楼の林立するニューヨークが村であるわけないやろ、そう思った私なのだが、ちょっと歩けば自転車に乗った知り合いが「ヘイ!タケシ~!」と手を振っていく。まるで田舎の近所のおばちゃんが「あれまあYukiちゃん田んぼ行くの~」とでも言うように。

行きつけの近所のレストランには顔見知りが集まっている。お前最近どう?どんな絵描いてんの?母さん元気か?

実を言えば、リアルな「村」の場合こうはいかない。集まった時の話題と言えば誰かの噂、それもだいたいが悪口や告げ口の類。村と言っても閉鎖的で進歩を拒む村は先がない。程よい「村」というのはなかなかないものだ。

自分たちの住む場所をよくしたいという思いは後世へのバトンとなる。ここで私の言う「村」とは行政地区としての村ではなくて人が暮らす地区の最小単位である「村」で、それが寄せ集まって町となり、都市となっていく。そう考えると都市の中に村があるのも当然だ。どんな大きな生き物だってひとつひとつの細胞が集まってできている。

植物の種は落ちた場所で懸命に繁殖を試みるけれど、人は移住できる生き物だ。都会でも、田舎でも、最適な場所を探したっていいし、今の場所を最適にする活動をしたっていいだろう。特になにもしなくたっていい。ほどよい村と言うのはなかなか存在しないし、おそらく住む人の気力がなければ出来上がらないと思う。けれど、日本の中にはそういう場所があるし、これからもできていくように思う。

完全な村などというもの存在しないし、何が優秀な村なのか、という答えは永遠にない。ほどよい村はとんでもない山奥にあるか、あるいは超高層のタワーマンションの中にあるか。しかしそんなのは住んでみないと分からない。だったら村を探しに出るよりも、自分の今いる場所を暮らしやすくするほう案外手っ取り早いのかも知れない。

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※これは昨年作った同人誌「東京嫌い」の私の記事におけるスピンオフ作品です。「土木学会」のコンテスト「暮らしたい未来のまち」応募作品でもあります。


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