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独り言が多いことに今更気がついた。

 喉の外側の筋肉が痛い。風邪でひどく咳をしたのでもなく、寝違えたのでもない。ただなんとなく痛い。不思議だなと思いながら四日間、喋る仕事をした。うち三日間は昼と夜。ずーっと喋りっぱなし。

 夜、唐揚げを食べると、飲み込むのに痛みが伴った。よく噛まないでのどごしを楽しむために、熱くてデカい唐揚げは最適なのに。

 どうやら、声帯のまわりが腫れているらしい。原因はたぶん、夜中に小声で歌い続けたせいだ。喉を絞って小さな声で、ハイトーンの歌に挑戦した。編集作業をしながら延々と、気づけば朝まで歌っていた。

 歌は禁止になった。喋るときも痛みを避けると妙に低い音になる。あまり人と話さないように、と釘を刺された。もともと電話が得意な方ではない。仕事の打ち合わせなどは一種のショーで、自分から請うこともなければ話すことなどない。そうたかをくくっていた。

 まさか、自分がこんなにも独り言を発しているとは思わなかった。

 気がつけば、書いている文章を音読している。書いた文章への反論を口に出し、推敲した文章をまた口にする。冷蔵庫から牛乳を取り出すのにも何事かを言おうとし、コップを洗うのにも一言付け足して、挙句の果てには買い物に行ったスーパーの陳列棚を前にどれを買うかの脳内打ち合わせだ。

 冷や汗が出た。今まで私はこの独り言を、最後まで口にしていたのか。この量は異常者だ、そうでない人の、独り言の量は知らないが、こんなに話してる人はおそらくなにかの疾病を抱えている。そう自分が感じていた人と同じように、私は喋り続けていた。

 胃の腑が縮むとは、このことか。

 2日が経ち、独り言を言わない生活に少しだけ慣れてきた。独り言には3種類ある。ひとつは書いている文章の音読。これはなんとか脳内で留めることに成功した。

 普段、私は文章を黙読する。これは頭の中でも音を鳴らさず、文字をそのまま読むことを指す。だが、書くときには読み味を考えて、音に出しながら書くようにしている。頭の中で音読することには慣れが必要だが、少なくとも無意識に口から音が出ることはなくなった。

 ふたつめは、行動の確認。今から自分が何をするのかを、自分へ伝えているらしい。これは本当に無意識で、気づいたときには鳥肌がたった。ベッドに寝ている、足元のタオルケットを手繰り寄せる。「タオルケットの角はどこに」と言いながら、長方形の角を整える。ふと、トイレに行きたいと思う。「トイレ、トイレ、と」ベッドから降りる「足元に気をつけて」親切なことだ。書き記せばキリがない。とにかく行動のひとつひとつにナレーションがつく。

 みっつめは脳内会議だ。スーパーの陳列棚で、何を選んでいるときに、そいつらは現れた。「野菜もたまには食べないとねぇ」「キャベツは半玉でも余らせるくせに」「カット野菜は割高なんだよな〜」「ケールいいんじゃない?」

 頭の中でなら、何を言ってもいい。内心の自由は保証されている。だがここは外だ、 口の外だ。マスクの中で気が緩んだか、否、私はずっとこの調子で喋っていたのだ。

 コワ〜 

 家に帰り、Twitterを覗く。面白いツイートを見て「面白いな〜」と口に出す。思わず口元を抑えた。まるで何者かが体内にいて、勝手に感想を漏らしているみたいだ。

 違う。自分の感想だ。自分の感じたことを、自分で口にしているのだ。とにかくこれには閉口した(口なだけに)。

 しばらくは、喉を通して音を出すことを禁じられている。だから独り言ともおさらばだ。喉が正常になったら、また話し出すのだろうか、それとも留めることに慣れるだろうか。

「長い一人暮らしの在宅仕事で誰とも話さずにいて、久しぶり行ったコンビニで声の出し方を思い出せなかった」なんてのを読んだときに、共感できなかったのはなぜか。いまはわかる。私はずっと、喋り続けていたからだ。

独りで、ずっと。

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