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はなればなれに

【SF小説】


 長く宇宙を飛んでいると、ふと我にかえることがある。

 いったいぼくは何のために、何もない空間をまっすぐ前に進んでいるんだっけ?

 『恒星間単独飛行』なんて呼べば聞こえがいいけれど、要は星の引力圏から飛び出して、別の星の引力圏に落ちていくだけだ。

 だいたい生身の体で亜光速に長距離を移動するのだって古くさいんだよな。今時は渡航者に負担の少ないように窒素固定した状態での亜空間ジャンプが主流だし、流行りに乗るならデータ化した意識をコピーして送ったっていい。

 そう、意識をデータ化して遅れば、渡航に関わる質量はゼロだ。燃料費もいらない、スーツもいらない、肉体だって、何もなくていい。

【寝室で寝たまま深宇宙へ】なんてキャッチコピーも、嫌になるほどカタログで見た。

 そもそも、宇宙空間ってのは、基本的には何もないんだ。

 とくにぼくのような炭素型の知的生命体が知覚できるレベルでは、真空と呼んでも間違いじゃない。

 厳密に言えば「空間」があるのだし、それこそぼくはその空間を体験するために、生身の肉体で故郷のシリンダーを飛び出したのだけど、やっぱり改めて飛んでみると、何もない。

 真空だ。

 その「何もない空間」に向けて、ぼくは光点字をまたたかせる。ぼくはここにいるよ。そしてそれは自動的に未来へと残す言葉に変わる。ぼくはここにいたよ。

 ぼくはここにいた。その残骸を自分の目で見れたのは、幸運だった。

 地球は小さな岩塊になって、元々の軌道のあたりを巡っている。そこにはもう「海」も「空」も「バーガーキング」も「水虫」もない。彼らはそこにいた、そして今はもう、誰もいない。


 故郷のシリンダーで地球のことを知ったのは、ぼくが十六月齢をすぎた頃だった。無限の記憶容量を持てないシリンダーでは、ベーシックなライブラリで学べることにも限りがある。生存に不必要なことは、とくに消されがち。

 だけど、地球に関しては閲覧者が少ない割に、多くのことが残されていた。ラッキーだ。

 たとえば「信号機」。可視光のスペクトルを利用して「通れる時」と「通れない時」を知らせる装置だ。それが設置されている「交差点」や、その交差点を作るための「道」というのがよくわからなかったけど、ぼくはその「信号機」に夢中になった。

 赤信号は通れない時。青信号は通れる時。

 わからないと言えば、最もわからないのは「気をつける」という黄色信号の表示だ。

「通れる時」は、何も邪魔がない時。通れない時は、何か邪魔がある時。じゃあ「気をつける」は? どんな時を示してるんだ?

「通れる時」にだって、何が起こるのかわからない。誰だって気をつけて通るはずだ。そして「通れない時」は、その場から誰も動けないのだから、何も気をつける必要はない。

 昔の地球人はいったい何の目的でこんなものを作ったんだろうか。そう思うと次々に気になることが出てくる。

 地球って、どんなところだったんだろうか。

 まわりの兄弟たちは皆、地球のことなんてまるで興味ないみたいだった。
「ぼくたち地球人の故郷だよ」と言ったって「故郷はここだ、このシリンダーだ」って、ぼくの話なんて聞いてくれやしない。

 二十月齢を迎える頃、ぼくたちは別のシリンダーへと送られることになった。そこで別のシリンダーで育った仲間と繁殖をして、ぼくたちは宇宙へ「地球人」という種を広めていく。10本の脚、二つの目、細長い胴体。

 たくさんの選択肢があった(なにしろぼくたちは多触手的に思考するので)。
 近くのシリンダー、遠くのシリンダー、あるいは労働力として故郷のシリンダーにとどまるか、それとも開拓班に加わって新しい航路を作るために闇の中を進むか。

 どれも、魅力的で、同じように興味がなかった。ぼくは地球に夢中だったからね。

「地球への航路はありますか」と聞いたとき、監督官はエラで笑った。

「地球はもうない、残骸でも見たいのか?」
「見れるんですか?」
「ライブラリで見れるだろう」
「そうじゃなくて、この目で、肉眼で見る方法があるんですか?」
「そんなものあるわけーーいや、待てよ」

 監督官が見せてくれたのは、ゴミ捨て場の近くに放置されていたスーツの残骸だった。

 加水分解してドロドロの外皮を取り除くと、ピカピカ光るフレームが現れた。

 とても遠い昔、ぼくたちの生まれたシリンダーが作られるよりも、もっと昔。まだ地球があった頃、そのスーツのフレームは作られた。三重チタンの骨格に、ポリカーボンのチューブがまとわりついている。ぼくたち地球人の柔らかい体を、空間で固定するための丈夫な外骨格。

「これを着れば、生身で宇宙を飛べる」
「まだ使えるんですか?」
「あと2万年は使えるだろうな。丈夫すぎてシリンダーの破砕機じゃ壊せもしない。恒星投棄をするには手続きが必要だ」
「ぼくが使ってもいいんですか」
「ああ、ただのゴミだ。ただし、そのままじゃ使えない。外皮がないからな」

 有害な放射線を防ぎ、内部に水を蓄えるための外皮は高価な消耗品だ。ぼくはそのフレーム用の外皮を作るために、シリンダーへとどまることに決めた。


 外部からのシグナルを受けて、スーツのモニターが反応する。ぼくは思い出にふけるのをやめて、モニターを見る。

 救難信号だ。

 慎重にスーツを操作して、速度を落とす。救難信号の出所を探ると、その外形がモニターに表示される。

 丸い外周に、上下にバルジが出っ張っている。大きさはぼくの百倍くらいで、どうやら直角に交わる航路を等速度で飛んでいるらしい。救難信号を出してるのに等速度?

 ぼくはスーツを停止させて、有視界に切り替えると、救難信号の出所が通るのを待った。

 目の前に、大きな壊れたカプセルが現れた。バーガーキングに少し似ている。

 もう活動はしていない。乗員は脱出したのか、それとも死んだのか。ただ大きな穴を腹に開けたカプセルが、等速度で目の前を駆け抜けていく。

「赤信号だ」

 ぼくはふと「信号機」のことを思い出した。そうか、道ってのは航路のことだ。交差点は、読んで字の如く交差する点のこと。「通れない時」は、交差する道に何かが通る時。通り抜ければ通れるようになるから「通れる時」で青信号。

 ぼくは見たことのない地球の景色を思い浮かべた。

 通りをバーガーキングが直進してくる。信号は赤。ぼくは停止して、バーガーキングが通り過ぎるのを待っている。やがて信号は青くなり、ぼくはその「道」を通りすぎる。

 大きな壊れたカプセルが視界の外へと通り抜けていく。ぼくは再びスーツに火を入れる。と、その時不意に、黄色信号の意味が理解できた。

 カプセルの残骸が、慣性の法則に従って本体と同じ進路を等速度に飛んでくる。ぼくはセンサーの感度を上げて、あといくつくらいの欠片が飛んでくるのかを確かめた。

「気をつける、なるほどね」

 宇宙空間には、基本的には何もない、空っぽだ。

 ただそれでもごくまれに、信号機が必要になる時が来るかもしれない。

 頭の中で、黄色い信号が光っている。

 ぼくはしばらく、その信号機を眺めることにした。

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