見出し画像

100日後に自由を手にするアイドル

【マーケティング小説/途中で忍者軍団が出てきて皆殺しになります】

【実在の人物(マーケッター)と、その発言をモデルにしています】

 バブル期を生きた人々と、たまに打ち合わせすることがある。彼らはまだまだ現役で、新しい企画を考えて私に「どうだろう?」と尋ねるのだ。

「この子はとても歌が上手いんだが、ジャンルが一般向けじゃないんだ。もっと大衆向けの曲を用意した方がいいかもしれない。ゴールは武道館、どうかな」

 キラキラした目のベビーブーマーである彼らは、一様に八十年代の亡霊に取り憑かれている。いや、この日本そのものが八十年代の亡霊に食い尽くされている今、彼らが往時のままの発想を続けていたとしても、なんら不可解なことではない。

 腐った沼のような目をした30代後半の私が語れることなど、単なる現状確認に過ぎないのだが、それでも彼らは欲している、与えてやらねばなるまい、新しい情報を。ウェブマーケティング、企業へのアドバイスが私の主な仕事だ。いわゆる中の人を担当することもある。フォロワーを増やし、刺さるツイートをして、購買意欲を掻き立て、宣伝費の何十倍もの効果を叩き出す。今日ここに呼び出されたのも、その腕を買われてのことだ。

 依頼人はまだ、私がその職を追われたことを、知らない。

 彼は音楽プロデューサー。私とは現場で何度かすれ違ったことがある。かつては大手レコードメーカーで何枚ものレコードをヒットさせ、名を知らぬものはいなかった、と、聞こえるような大声で本人が言っていた。だがそれも昔の話だ。彼らがかつて持っていた大手メディアとの接点は世代交代によって失われ、巨額の資金を引き出せるほどの金主たちも既に鬼籍となった。いま彼らが頼りにしたいと思っているのはS NS、ソーシャルネットワークシステムが呼び込む若者たちと言う幻想だけだ。

 大きな窓のある喫茶店には、街路樹で程よく遮られた陽光が降り注いでいる。窓側に座った私からは、60代後半のでっぷり太った依頼人と、その隣に座る年齢不詳の女の得体の知れない微笑みが、印象派の点描画のようにまだらな模様を伴って見える。

「大衆なんて、いませんよ」
 私は淀みなく、押し付けがましくならないよう、柔らかい声で説明を始めた。
「いま必要なのは、確実に年間3万を使う1000人の顧客です」

 店員の運んできたコーヒーが湯気を立てている。苦く、すっぱいそのコーヒーを依頼主は苦々しげに飲むと、ため息をついた。

「この子のファンはまだ30人くらいなんだ、だからSNSでバズらせてみたいんだよ。何万人もが見れば、その中からファンになる人が出て来るんじゃないの?」

「バズでフォロワーを増やすのは簡単です、でもそれはファンじゃない、ただの観察者です。それに彼女の売りは歌でしょう?歌でバズるのは相当高いレベルが要求されますよ。もちろんまだ私は彼女の歌を聞いていないし、これから先にどんなアイディアが浮かぶかはわかりませんんが」

「どうだい、いまここで聞かせてやったら」
「あら、いいんですか?歌っても」

 まだ名前も聞いていない「コンテンツ」である女性の物腰は柔らかく、対面席の私の方まで香水の甘い香りが漂って来る。はじめに話を聞いた時は「エロジジイが若い子にイカれてんだな」と呆れたものだが、依頼主の様子を見ると、どうやら本当にその歌声には相当の自信があるようだ。

「いいだろう、ワンフレーズくらいなら」
「それじゃあ、軽く」

 スウ、と彼女が息を吸うと、あたりの空気が変わった。私はまるで海の中にいるような息苦しさと、同時に時間が引き延ばされて全ての苦痛から遠ざかっていくような奇妙な感覚を得た。

・-・ ・- --・-- ・・・ -・--・♪

 何気ないスキャットだ、メロディも凡庸で、取り立てて言うべきこともない。歌声も平凡で、うまくはあるが、特徴的ではない。声質と声量は確かなもので、プロとしての能力は備えていることがわかった。そこまで冷静に判断していながらも、私の肌は指先から総毛立ち、首筋まで泡立った。

 爛々と輝く依頼主の目が、より滑らかなガラス玉のようにぐるりと回り、私の一挙一足等を見逃すまいと動いた。

「なんと言うか、例えづらいのですが、私は高所恐怖症なんですが、以前友人達とグランドキャニオンまで旅をしましてね、鉄の柵があるにも関わらず、私は崖の端まで行くことができなかった。友人たちは平気で柵のない崖の淵まで行って、足を放り出したりしているのです。私は勇気を出して柵の近くまで行き、柵に手を伸ばし、掴み、体を引き寄せました。落ちることへの恐怖が人一倍強いのでしょうね、私は下を見ることができず、遠くの崖を見ながらそっと後ろへ戻りました。あれ、これは何の話でしたっけ」

「私の歌は、どうでしたか?」
 彼女は少し焦れったそうに、伏せた顔から私を見上げた。

「そんな、感じでした、まるで崖に引き込まれて、落ちていってしまいそうな」

 私が思わず彼女に手を伸ばそうとすると、そこへ一本のクナイが飛んできて、テーブルに刺さった。

 飛んできた方向はカウンター、バーテンの向かいにいた男が鞄から折りたたみ式の棍を取り出して回しなが組み立てる。他にも数人の客が立ち上がり、それぞれの武器を取り出して私たちを見ている。

 否、狙われているのは彼女だ。

「ニンジャです。こんなところまで私を追って来るとは」
「問答無用!」

 棍を組み立てた男が最上段から振り下ろす。向かいに座っていた依頼人が驚いて立ち上がり、結果として彼女を守ることになった。目測を誤った棍の先が依頼人の頭蓋骨を砕き、脳漿を飛び散らせた。60数年間の記憶と経験が脂肪と神経節の破片となってあたりに散らばる。私はぐっと後ろに引っ張られて2メートルほどすっ飛び、ソファに横になった。

 私の襟首を掴んで一緒に飛んできたのは、彼女だ。

「手短に話します、私の歌声は暗殺のために作られた武器なんです。でも私はこの歌声を人を助けるために使いたい。だからあの方に出会って歌声を聞いてもらって、新しい人生をやっと歩めると、そう思っていました」
「抜け忍ですか」
「そうです、ニンジャでいる限り、私は人前に出ることはできない。ニンジャは闇と共に生きるさだめですから」
「あの歌声が、暗殺用」
「催眠効果があります。自殺や、他殺、屋敷に火を放つなどの、通常ならばできないほどの催眠を相手に施すことができるんです」

 私の顔がよほど怯えて見えたのだろうか。彼女は悲しそうな顔で唇を噛んだ。

「私は人を幸せにしたい、この力を人のために役立てたいのです。ああ、だと言うのに、彼らはわかってくれない」

 ニンジャ、その正体は誰も知らない。私のような一般人が知っているのは、彼らが山奥に住み、為政者の支配のもと、暗殺のために世界中を巡っていると言ったような噂話だけだ。まさか実在するとは。

 じりじりと、ニンジャたちは近づいてきている。ふと、名案が浮かんだ、この場を脱するのに最適な案だ。だが私はその案を飲み込み、腹の中に隠す。

「どうしたんですか」
「いえ、なんでもありません」
「何かを思いついた、そのようなお顔に見受けられましたよ」
「確かに思いつきました、でもそれは、よくないことです」
「よくないこと?」

 ニンジャの気配はソファの背を通してもわかるほど近づいている。私は覚悟を決めて、彼女の耳元でささやいた。

「歌ってください、ここにいる全員が自分で自分を殺してしまうような歌を」

 私は目を伏せて、顔をそらした。人を幸せにしたいと願う抜け忍へ、その力を使って追っ手のニンジャたちを皆殺しにせよなどと、なんと残酷な仕打ちだろう。だが、彼女はふと微笑み、私に答えた。

「わかりました、耳と目を塞いでおいて、頭の中で自分が一番好きなメロディを浮かべてください」

 言われるがまま、私は目を閉じ、耳の穴に指を突っ込み、今朝も家を出る前に聞いた「聖者の行進」を頭の中で鳴らした。時折、重いものが床に落ちる音が聞こえた。金属の武器や、肉体や、宙に浮いたテーブルや、何かが落ちて、足元を揺らす。聖者が三度目の行進を始めた時に、冷たく柔らかい手が私の肩に触れた。

「終わりました、行きましょう」

 顔を上げると、そこはニンジャの屠殺場だった。巨大なハサミで両断された忍者、そのハサミを自分の首に突き立て天井に刺さったままのニンジャ、バラバラの棍を全身に突き立てて床に寝ているニンジャ。バーテンはコーヒーサーバーに頭を突っ込んでいる。

「彼もニンジャでした」

 私は彼女の言葉を信じるしかない。彼女に手を引かれながら、路地を歩く。人気の少ないところで立ち止まると、彼女は私に頭を下げた。

「お願いします、私に千人のファンを作ってください。もう他に頼れる人は一人もいません。どうかお願いします」

 私は路地の壁に背をつけると、ポケットのタバコを探った。

「できないよ、今はただの無職なんだ。ちょっと前の仕事で失敗してね、クビになった。この業界は信用が全てだ、大手をクビになったやつに、仕事はない。だいたいなんで私に?」
「歌を、あなたは歌を殺しに使うことを、ためらってくれました。今の私にはそれだけで十分なんです」

 タバコは見つからなかった。これを機会に禁煙するのもいい、一人の歌手をマネージメントする、ニンジャたちに命を狙われている、よく見れば可愛らしい顔立ちの、アイドル売りもできそうな様子じゃないか。

「年に3万と言わず、命を投げ出すようなファンを千人集めたら、君は自由になれるのかもしれない」

 コンサルタント特有の、口から出まかせが飛び出した。すると彼女は不安そうな顔から一転、何かを思いついたように笑顔になった。

「心当たりがあります、私のファンになってくれそうな人。前に殺し合ったことがあるんですけど、敵対組織のNO.2で……」

 なるほど、私が知らないだけで、この国にはニンジャの組織がいくつもあるのだな。その手の連中を千人も集めたら、それは確かに役に立ちそうだ。

「大衆なんていない、って仰ってましたもんね、私、その意味がわかりました」

 こうして、百地三美子(ももちみみこ)はデビューした、その後の血で血を洗う惨劇と、SNSでの評判、そしてYoutubeの再生数億越えは記憶に新しいところだ。結果的には彼女を守る千人の異能者たちと、敵対する世界各国のニンジャたちがフェスと称してこの夏日本へ集結することになった。

 それはまた、別の話である。


終わり


あとがき


久しぶりに何も考えないで書きました。楽しかった、本当に楽しかった。

購読会員の方は、この後に普通のあとがき日記があります。

 と言うわけで日記です。この小説の前半はほぼ実話です。ぼくはマーケティングの仕事をしているわけじゃなくて、なんかたまにバズってるし詳しいんだろう、くらいの感じで呼ばれました。

 何か特殊なことでバズっても、ぶっちゃけ何の意味もないんですよ。そのまま仕事につながることはほとんどない。たとえばぼくの本業は作家ですが、バズでフォローしてきた人はそのへん興味ないんですよ。だからむしろ、SNS経由ではない、作品から先に好きになってくれた人の方が大事。千人の異能者です。

 ルックスでバズって、ある程度の収入を得ることはできるかもしれません。今だったらチェキを売るとかね。配信で課金なんてのもある(いつもありがとうございます)。でもその先に行くには本人の中身が必要です。作品だって、おもてっつらだけよくて、中身がスカスカじゃ飽きられちゃう。

 そう言うような話をしたら、依頼人のテンションがちょっと下がってしまって申し訳ないことをしたなと思いました。でもまあ、空っぽの女の子を作家の力で売る、なんてのも、八十年代の亡霊って感じですね。

 とりとめないですが、終わります。ジンベエザメもよかったら読んでください、一つ前の小説です。こっちは真面目。じゃあ、おやすみなさい。

サポートしていただけると更新頻度とクォリティが上がります。