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なぜ小津安二郎の映画は世界で称賛を集めるのか?

東京物語

1972年 公開 

オススメ度 9.9/10点中


映画感想文タグで検索すると様々な方が小津安二郎監督の映画に触れたエッセイを書いている。日本で生きていて映画がそこそこ好きなら必ず出会う名前のひとつが「小津安二郎」である。「おづやすじろう」と読む。日本の映画監督だ。残っている作品、特に評価の高いものは白黒が多く若年層の人々から「なんだか分からないけどメチャクチャ評価の高い昔の映画監督」というイメージだろう。まあ、概ねその通りである。

小津安二郎の作品を好きな人は今は国内では減少しつつある。しかし世界ではいまだに根強い人気を誇っており、有名な海外の映画監督が小津安二郎の名前を出すことは珍しくない。

チラッと読ませていただいたとあるnoteの記事に面白い書き方をされている人がいた。

「10代から20代はよく分からなくて30代から少し好きになり、40代に入ってとても好きになった」

これは大変分かり易い例えである。私自身、小津安二郎の映画にハマったのはここ最近の事である。三十手前で結婚し家庭を持った。そこから色々あって少しずつ精神が成熟していった結果、ある時ふと手にとった小津映画の良さが不思議と理解出来たのである。精神が成熟した、と書いたがそれを自ら感じたきっかけが小津映画である。

私の親は小津映画が大好きで飽きもせず同じ映画を何度も何度も見ていた。若い頃はまるで理解出来きなかった。断っておくと、私の親はいわゆる一般的な嗜好の持ち主ではなく大分偏った人間であると言っていい。友達の親たちが見ている様な物を好きだと言っている記憶がない。音楽はピータートッシュとポリスを好み、スタンリーキューブリックとクエンティンタランティーノの映画をこよなく愛する人だ。そんな親がいかにも古臭いモノクロの日本映画を観ている場面に遭遇して何故かガッカリした記憶がある。エッジのきいた物を好きだというのは虚勢で存外普通の人間だったのか、と。だがそうではなかった。


東京物語は広島の尾道に暮らす老夫婦が東京に暮らす子どもたちを訪ねて一世一代の長旅をするという内容である。

当時は飛行機での旅行は一般的ではなく汽車で長時間かけ出掛けていたので老人でなくとも文字通り一生に一度の機会であったことが多かった。戦争が終わりようやく落ち着きを見せ始めた頃の時代。まだまだ経済的にも余裕のない人は多かった。

長男は東京の端で町医者、長女は同じく東京で美容院を営んでいる。次男は若くして亡くなっているがその嫁である義理の娘も東京の商社で働いており狭い団地で慎ましやかに暮らしながら嫁としてよく尽くしてくれる。立派になった子どもたちと老いていても丈夫な夫婦。一見すると幸せに恵まれた家族の様に見受けるがその実はやや複雑である。

長男は町医者と言えど立派な人間であり孫にも恵まれ郊外で一軒家を構えている。長女も小さいながら人を使っている美容院でなかなかに流行っている様子。しかし、大人になった子どもたちは自分の生活に忙しく、せっかく両親が訪ねてきてもなかなか構うことが出来ない上にやや疎ましくさえ思っている。亡くなった息子の嫁である義理の娘だけがまるで実の子の様に献身的に夫婦を歓待して尽くしてくれるが夫婦はどこか寂しい気持ちで東京の日々を過ごす。

それどころか子どもたちは忙しさから両親を熱海旅行に行かせてしまう。もちろん良かれと思っての行動だが、まず何しろ子どもたちに会いに来ているのに二人だけで熱海に行ってもしょうがないし、第一に熱海は東京ではない。静岡だ。

時代背景として説明しなければならないのが当時の熱海は若い人向けの場所だった。若者のリゾートで温泉や旅館はごった返していたそうだ。

騒がしさに疲れきった老夫婦は予定より早く切り上げ東京に戻ってくる。自分たちの都合で熱海に厄介払いした兄弟は困ってしまい、最終的に父は友人のところへ母は義理の娘の狭いアパートへ一夜の宿を頼みに行く。色々あって父は結局娘の家に行くが母は義理の娘と二人きりの夜を過ごす。その際、母は義理の娘に死んだ息子の事はもう忘れて一日も早く幸せになってくれと切り出す。しかし義理の娘は頑なにそれをはぐらかし自分は好きでこうしてるから気にしないでくれと母を労わり手厚く持て成す。母はその晩、狭い寝床で涙を流しながら静かに義理の娘に感謝する。

この後も様々なことが起き続け老夫婦と彼らの子どもたちは怒涛の展開を迎えるのだがそれは是非本編を見てほしい。

さて、表題の回収だがなぜ今日まで小津映画は世界で賞賛され続けるのか。

個人的な見解だが小津映画の素晴らしさ、時代や国を隔てても決して揺らぐことのない評価は人間描写の巧みさにあると考える。こと人間の根本にある本質を描かせたら小津は右に出る物がないくらいである。

若い頃に観た小津映画の印象はやたらと棒読みっぽい人が多いなと思った。なんというか作られた様な喋り方をするのだ。しかしそうではなかった。現代の我々が目にしている作品の登場人物たち、彼らの喋り方こそ逆に芝居がかっていると言っていい。よく考えてみたら人間はあんなにハキハキと聞きやすく喋る人間ばかりではないのだ。小津映画の人々こそ自然であるのだ。その自然の中に時々ある感情の揺れ。それを演技で表現しているからこそ、ああここで感情が動いたのだなとはっきり分かる様になっている。

例えばである。ネタバレになってしまうが尾道に帰ってきた母が病に倒れる。医者である息子が駆けつけて母をみる。そして父と妹を別室に呼び母の容態がよくないこと、明日の朝まで持てばいいという事を伝える。

その時父親は涙を流すわけでもなくただ空を一点に見つめ「そうかもういかんか」と繰り返す。息子が何か言うが目線だけ合わせ「そうかもういかんか」とだけ。これは長年連れ添った妻がもうダメだと息子から知らされた反応としてはごく自然であり、その動揺の描き方としてはこれ以上ないほどの見せ方である。人間本当に受け入れ難いことを言われた次の瞬間はきっと誰でもこんな表情になるのだ。

小津がこの映画で描きたかったのは家族だ。そしてそれを見事にやり切っている。

私も夫になり親になり死にゆく親と老い行く親を見て初めてこの作品の素晴らしさを理解した。先述した方の様に私自身の言葉で表すならばその環境に置かれてみてはじめて理解出来る良さがある。身を引き裂かれる失恋を経験したことのない人間に悲恋の映画がなかなか理解出来ないようにこの映画は家族と向き合って初めて理解できる作品なのかもしれない。今では漠然とそう思う。


最後に一番好きなシーンの紹介をして締めくくりたい。

月並みだがラスト7分あたりの短いシーン。そしてあまりにも有名な義理の娘と父親の対話である。父親がアンタほどの良い人ならいくらでも幸せになれる。だからもう息子の事は忘れて幸せになってくれ、そうしないと自分たちがアンタを縛っているようで苦しい。と頼む。しかし義理の娘は言う。自分は父や母が思うような良い人間ではない。自分はズルいのだと。そして最近では亡くなった夫のことを忘れ初めている。何事もなく過ごす日々が増えている。それが辛いのだと。その告白を受けて父は義理の娘にニッコリと笑いかける。「やっぱりアンタは良い人じゃ。正直でええ人じゃて」

現代において言えば万人受けするとは言い難い映画だが、誰しもが確実に老いていく。そして時間を経てこの作品に触れた時、その良さを理解することになる。そういう意味ではこれこそが本当の意味で万人受けする作品、と言えるのかもしれない。











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