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台中浪漫


台中公園は、蒸し暑いこの地のオアシスのような場所でした。園内にある日月湖には鯉が泳ぎ、日陰をつくる木々を縫うようにリスが走り回り、鳥たちが羽を休めていました。この場所は日本統治時代の1903年に整備され、今でも日本と台湾の歴史の跡を物語る場所になっています。湖畔に浮かぶように建てられた湖心亭と書かれた休憩所に入ると、水を渡る風が心をリラックスさせてくれます。休憩所で見つけた読書バーと呼ばれる小さなブックスタンドには、「読書自由・知識漂流」と書いてありました。

湖心亭の中にあった読書バー(QRコードをかざすとドアが開くシステム)


公園を奥に進むと、地面に倒れた石の鳥居がありました。調べてみると、1911年に創建された台中神社の跡でした。戦後を統治した国民党によって本殿や参道と共に破壊されたままになったもので、現在でも倒れたまま保存されていました。それでも、そのまま保存し鳥居を立てようとする計画があったことも確かで、「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知」ろうとする人々の思いに触れる事ができました。


倒れたまま保存してある鳥居

台中駅から近く若者のランドマークとなっている建物が、1927年にレンガ作りの建物として造られた宮原眼科です。鹿児島出身の宮原武熊という眼科医が作った診療所で、終戦までは台中で最大規模の眼科でした。今は眼科病院があるわけではなく、宮原眼科と書かれた建物の中には、SNS映えするようなアイスクリームの列に並ぶ若者たちや、土産を買う人々で賑わっていました。宮原さんもまさか、病院が若者の聖地となるとは、思わなかったでしょう。


宮原眼科1927 と書かれた入口

100年以上前の建物でも丁寧に保存され、中をきれいに修復して使い続けている場所も多く、昭和を思い起こさせる喫茶店や、何か懐かしさを覚える街並みが存在しています。民主主義的な価値観も強く、デジタル技術や半導体でも注目を集めています。人々はとことん親切で、日本の人が忘れている何かがここにあるような気がしました。ニュースで懸念されるような台湾危機が存在するとは、想像もつかない平和な地だと感じました。台中公園に集まる白い鳩が、まるで自分のいるべき場所だと主張し、平和を守っているように見えました。 

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