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濃すぎるDNA


私には従兄弟が21人いる。

昭和の最後の方、東京生まれとしては結構珍しい話だろうと思う。しかも父方の従兄弟だけで19人だ。ただ、ほとんどの従兄弟が私よりもかなり年上なので小さい時から彼らと交流がそれ程あった訳ではない。お正月や誰かの何回忌とかに親戚一同が集まると山ほど集まった人々とご馳走があって、永遠に続くカラオケ大会(しかもみんなめちゃくちゃうまい)、大きい従兄弟達にも相手にされず、でも弟はそういう場で何かうまいことおちゃらけたりしてかわいがられていたが、私は何だかそういう弟も恥ずかしくてずっと母のそばにいたという記憶しかない。そして、女の子はみんな自分と同じ○○子という名前なので、お年玉を祖母が配る時に「お前は・・・誰だっけ?」と毎回困惑するお決まりのパターン。

一方、母方の従兄弟2人とは年があまり離れていなかったので、必ず土曜日は叔母家族がみんなでうちに遊びに来ていたし、一緒に家族旅行に行ったりもしたので、大人になっても会う機会がまあまあある。


この父方の「従兄弟多すぎ問題」は色々逸話があり、「結婚式をする時は叔父叔母、そして特に仲がいい従兄弟数人だけを招待する」という暗黙の了解がいつしかできた。というのは、うちの父は7人兄弟なので、叔父叔母だけでも10人超えている。参列者全員の記念写真を撮ると、毎回うちの親戚が相手の親戚を圧倒するように数は多いし、ともかく顔がみんなそっくりすぎてDNAの押しの強さがすごすぎるのだそうだ(私は誰の結婚式にも行ったことがないので全て両親談)。そしてまあ、伯父達はよく喋る。年を取るにつれみんな本当にそっくりの見た目になっていて、それで全員が相手の話聞いてます?なマシンガントークで喋り倒すのは、よく知らない人達から見たら相当強烈だろう。さらに、彼らはセミプロ?ってくらい演歌がうまいので、年上の従兄弟達の話によると、結婚式に衣装や小道具をきっちり揃えてやってきてワンステージするのだそうだ。母の話によると、式場の入口でみんなコートや荷物を預けるのに伯父達が紙袋を持ったまま中に入ろうとするので何かと思ったら、その袋からひょっとことおかめのお面が見えたのだとか(笑)そのワンステージをやって欲しくなかったいとこが会場側に協力をあおいだのだけれども、結局進行をさえぎって伯父達がお面着用で登場してしまったとかなんとかいう嘘だか本当だかよくわからない話まである。そういう話を高校生くらいの時に聞いた時は、自分が結婚する時は、小さなレストランとかワンステージが絶対不可能な場所でお互いの親族だけで食事して終わりにしたいと度々両親に言っていた。

結局私はイタリアで結婚式をしたので伯父達を招待できなかったのだけれども、10代の時嫌悪していた伯父達のワンステージを今は生で見たかったと思っている。もしうちの弟が結婚する時帰国出来たら見れるかな(弟は嫌がりそう)。

最初に言った通り、従兄弟達とは年が離れすぎているので交流があまりなかったし、学生時代私はピアノで忙しかったり、留学してからは益々彼らとは疎遠になっていたのだが、10年ほど前に一番上の伯父が亡くなった。その時も最初は両親だけが葬儀に行く予定だったのだが、お通夜に行った父があまりにショックだったのか会場で動けなくなるという騒ぎがあり、告別式に私が代わりに行くことになった。会場に着くと、山のように人がいる。親類だけじゃないの?と思ったが、みんなに挨拶をしだしてわかったのは、私の従兄弟達はみんな結婚し、何人かは少子化が騒がれる今まさかの子沢山家族だったという事実。確かに会場にはたくさんの子供が走り回っていた。更に衝撃的だったのは、従兄弟の子供たちに至るまで一目でうちの親戚だとわかる見た目!目元、あとみんな割と白い肌に頬が赤くなりやすい。そして自分を含めみんながみんな、まあよく喋る。おかげで告別式の後の食事も湿っぽくなるわけでもなく、みんな思い思いにマシンガントークだった。この人達との思い出は私にはたくさんあるわけではないけれど、何と言うか血が共鳴でもしてるのか(笑)ああ、私確かにこの人達と血が繋がってるわ、と初めて実感した。

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