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レッチリのライブ最高だった

 「大学なんか意味ないから行きたくない!」
17歳の頃、思春期真っ盛りの、オリジナリティのかけらも無いセリフを恥ずかしげもなく全力で発していた私を、最終的に論破したのは、父の「大学なんて勉強しに行かなくて良いから、友達作りに行ったら良いんだよ。」という、めちゃくちゃ甘々な教えだった。

 父は言った。「社会に出ると、利害関係のある人間関係しか存在しないから、そういうものが一切ない学生時代の繋がりって、将来本当に有難いんだよ。楽しんじゃえば良いんだよ」と。未熟な私は完全にノックアウトされた。「承知です!はい、あさこ大学行きまーす!」みたいな感じだった。今更ながら、いろんな意味で恵まれ過ぎた環境に育ったが故の、超spoiledな10代だったなと思う。

 父の教えの通り、大学に入った私は、利害関係どころか、まるでユートピアを本気で実現しようとしているんじゃないかと思うような自由な世界を友人たちと構築し、お互いの恥部をこれでもかと曝け出し合いながら、のびのびと楽しく人間関係を謳歌した。彼、彼女らとの想い出が今の私の人生の財産の一つであるのは言うまでもない。

 父の教えはそれ以外にも沢山あって、いわゆる巷で叫ばれる「親の言うことは正しい」という都市伝説通り、今振り返ると大抵の発言は的を得ている。なぜあの時それに気づかなかったんだろう、という、超ありがちな大人になった私が今、それでも一つだけ父に「これは違ったよ」と伝えたいのは、社会人になってからも利害関係なしの友人が出来たことだ。

 今日これから六本木でランチをする相手は、25歳くらいの頃、私がJ-Waveのレポーターの活動をしていた時に知り合った友人Nだ。一つ年下の彼女は、いかにも「女子高女子大育ち!お酒は飲みません!玄米しか食べません!」みたいな感じで、J-Waveのスタッフさんにこっそり「あさこちゃんとNちゃん、上手くやっていけそう、、??」と心配されたほど、当時の私とはタイプを異にしていた。

 人間っていうのは、自分にないものを持っている人に惹かれるというけど、本当にその通りだ。私はNの、いかにも女子、みたいな部分にとても魅力を感じ、その超ぶりっ子な話し方が甚くツボにはまって、ある日自ら「ねえ、私をNの親友にしてくれない?」と、交際を申し込んだ。今思うと、昨今「彼氏彼女」の棲み分けも曖昧な世の中で、よくもまあそんな告白できたなあと思うんだけど、そんな私たちの出会いから、かれこれあっという間に13年が経ちます。

 この13年間、誰しもの人生がそうであるように、私とNの人生にも人並みに色々あって、いろんな人と出会い、いろんな場所へ行き、いろんな人が去っていった。その間Nとは数えきれないほどレストランを開拓し(最終的には開拓が面倒になったので一つのレストランにしか通わなくなった)、国内外問わず沢山旅行に行き、13年間毎年誕生日プレゼントを交換し合っている。(ここ数年はあげるものがなくなって、お互いにお花を贈り合うことで落ち着いた。)祖母が亡くなった直後、真っ先に立派なお花を送ってくれたのもNだ。

 ここ2週間くらい、図らずも、高校時代の友人と再会したり、青春を共にしたTheRedHotChilipeppersのライブに行ったり、会計士予備校時代の友人とご飯に行ったり、昔の会社の社長と会ったりと、自分の過去と向き合う機会が多くあったので、精神的にだいぶ時空を超越した生活をしていた。自分の人生を振り返る時期に、少し心がざわつくのは、きっと私だけではなかろう。

 とはいえ、やっぱり大切なのは、まぎれもない今、英語でいうところのpresentなわけで、13年間ずっと、「私の今」に居続けてくれる親友Nとのランチを楽しんでこよう、と幸せな気持ちになっております。いかなる状況にあろうとも、常にそこにいて私の人生を見守ってくれる家族や友人の存在は、本当に有難いですね。

 というわけで、父の「社会に出ると、利害関係のある人間関係しか存在しない」という考えに対して、私は、「そんなことありませーん!どや!」と、結論付けています。つまり私は、17歳の頃と変わらず、いまだに父親の言うことに歯向かい続けるSpoiled daughterであり、きっと当時の父も、そういう意味で言ったわけじゃないんだろうけど、その辺はまあ、ご愛嬌。


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