CADⅡを受講した皆さんへ

最後の空間の課題は、皆、同じ設計の小さな建築を作っていて、作り方まで決まっていて、しかも同じレンダラーを使っていて、自由になる部分はごく僅かではあったかと思いますが、それであっても一枚として同じレンダリングがないというところに注目してもらいたいと僕は思います。

スカイシミュレーターで設定出来る項目は 西暦 月 時 分 で、365日のうち好きな時間を選べます。カメラの位置は重力にも物質にも制限されず、画角もレンズの性能に左右されません。
そういう意味でCGの空間は現実より自由な空間であると言えます。
しかし、この3つのうち1つでも決めないものがあるなら、画像としてレンダリングされる事はありません。コンピュータは、少なくとも今は、融通を利かせてくれる優秀な部下ではありません。この3つの設定において、君らは意識せざるを得なかっただろうし、より良い画像を得る為に試行錯誤した部分だろうと思います。これくらい自由であるならば、個性が表れないということはないです。

多くの票を集めた作品は個性の強いものでは必ずしもないと思います。多くの支持を得る為に最も重要な要素はクオリティです。クオリティで差がついてしまうと圧倒的です。故に、我々は設計競技などの競争の場面では、少なくとも相手と同質以上になる様にあらゆるコストをかけます。そして、クオリティというものは、上げて行く以外の道はありません。
しかし、クオリティにそれほど差がないとき、それとクオリティの方向性があまりに違うとき、個性は重要な武器です。

個性とは何か?ということを掘り下げて考える事は、CAD講師の僕にはなかなか厳しいのでご容赦願いたいですが、我々が目指すべき個性とはオリジナリティのことです。
オリジナリティ(originality )という言葉は外来語であり、輸入した価値観ではあります。この言葉の日本語訳は「独り」で「創る」と書き「独創性」と訳されます。
恥ずかしながら、僕はこの訳者が誰だかは知りません。しかし、オリジナリティを「独創性」と訳した人は、オリジナリティがなんであるかを本当に知っていた人だろうと実感します。何故ならば、僕の作品が独創的であるかは全く自信がありませんが、創作はとても孤独な行為だと僕は思うからです。
コロナの影響で、やむ得ず、独りで課題に向き合わざるを得ない状況になりました。これはまさに悲劇です。しかし、この悲劇的な状況の中で、孤独と向き合い、独創性の入り口に立った人がいるならば、最大限の敬意を表したい。僕はそう思います。

表現について

最後に、CADⅡとは少し離れますが、表現について僕の見解をお話ししておきたいと思います。皆さんがこれから表現をどう考えて行くか。その一つの参考になればと思います。

僕が皆さんの作品に評価をつける際に、迷った挙句、最後の最後に気になるのは「作者が言いたかった事、やりたかった事はなんだろうか?」ということです。故に、表現はコンセプトやデザインに忠実であるべきだと僕は考えます。見栄えの良さや派手な演出は、最後の最後のところで君らの邪魔をします。表現に極意があるとすれば「素直であること」が重要であり、素直に表現したものが美しいことが重要です。その為に「言いたいこと、やりたいこと」がブレない様にすることが大切だと僕は考えますが、それは全く簡単なことではありません。何故ならば、自分のことがよく分からないということは至極当然のことだからです。故に表現を繰り返し、試行錯誤することは、自分の作品と趣旨を探し、深くする行為でもあると僕は思います。これは出来た作品を単に記述する行為と繋がってはいますが、全く別の行為です。

努力はしたが評価に繋がらない作品の多くは「良く分からない」という言葉が評価する側の意見として良く挙がります。これは君らの考えたことや作品が面白くないという意味では全くないです。やりたいことが伝わっていないので評価が保留される=評価が低い というメカニズムです。故に、丁寧に表現すること、図面や模型やCGなど様々な手段を使い表現することは、正当な評価を得る為に必要な行為なのです。複雑なコンセプトや、深く考えたものほど、この傾向は強いですし、ただ綺麗に表現しただけでは上手く伝わらないので、様々なアイデアが必要になります。この試行錯誤は君らが作家やデザイナーや建築家として上って行けば行くほど難しくなり、迷うことは多くなると思います。しかし、迷ったときに立ち返るべきは、やはり「素直になること」だと僕は思います。

見た目に騙されない様にして下さい。表現とは地道な行為なのです。

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