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人と会ってみて


ここ10日間帰省をしていた。そこそこ色んな人にあったと思う。家族はもちろんのこと、大学の同期、先輩、後輩、高校の同期、中学のチームメイト、元バ先などなど、会えるだけあったつもりだ。

物理的に会うことの難易度が高い僕からしたら今回の帰省は会う口実もあって現実的にも会うことができる数少ないチャンスだった。会うべき人(さもなくば関係性が切れてしまいそうな人)や会いたい人に会って、なにをしたという訳ではなく飯を食った。

このnoteを書いている帰りの新幹線の中ではだいぶ落ち着いてきたが、最終日であった昨日は酷く感傷に浸った。あいつらと会えるのは何ヶ月先かぁ、やだなぁ寂しいなぁ。割と泣きそうだった。

ビール3、4杯とハイボールの所為と言ってしまえばそれまでだけど、それはそれで良いタイミングで切り替えるためのスイッチを入れられた気はする。

そういうことを言いたい訳ではないが


昨日の帰りの電車の中、寂しさを噛み締めつつ、これでずっと行くのは結構危ないなぁとも思った。

最近時間が過ぎるのが早い。月から金が過ぎるのを待って土日に何かをして平日の負担に対して帳尻を合わせているような感覚だ。何かイベントなのか試合なのかは知らないが、それだけを待って生きるのはすごくもったいない気がしていた。

同じことが当てはまる気がする。何ヶ月後か知らんけどあいつらに会うために生きる。そいつは大変結構。なかなか会えないやつに会えるんだから。じゃあそのためだけに生きるのは何か勿体無い気がする。もう少し、日常の小さな幸せに目を向けて良いんじゃないか。月から金の繰り返しの毎日の中にもね。

月から金までをそれで生きるのが悪いとかどうではなく、それならそれで月から金までにちゃんと準備をしたいなというか、その準備を楽しみたい、というか。

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