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ミスをする覚悟というか 

碌でもなくまとまりのない文章、我ながらお勧めできません。

人生のテーマというか、プレーモデルって作ったり見つけたりするの難しいよねって話。


どうしても失敗を恐れるというか周りから何か言われるのを恐れる自分がいる。何やってもなんか言われるやん!だったり、別になんかやったってごめんで済む、というか大したことないって思えるとすごく決断がしやすくなる。

でも、とりあえず今はそれを恐れてしまう自分がいることは認めないといけない。なんかその吹っ切れる瞬間を待ち望んでも仕方がないし、その自分の習性に習って生きて得したこと、ということよりかは損したことが少ないのは確かなので。最近この性格が損、というかなんかもっと自分を出していいんだと言った瞬間が多い。

こればっかりは本当に暗がりチャレンジを普段から少しずつ続けて行けたらなぁと思う。


我というか、自分を出すとはどういうことなんだろうか

俺はあれが好き、あれが嫌い、あれがいいと思う、あれは良くないそういった好みを持つことだとして。

好き嫌いをロジックを伴って判断するためにはある程度の情報が必要だ。どんなものなのか、丸いのか、トゲトゲしているのか、柔らかいのか、硬いのか、どんな形をしているのか、喋るのか、おとなしいのか、いろんな情報を仕入れた上でやっと判断ができる。もしくは判断を続けて行った結果、かんとして、少ない情報量の中で判断ができるようになる。のだと思う。

だからサッカーに関して僕はある程度好き嫌いがいえる。はずなんだ。でも最近気づいたんだが、この好き嫌いに関して、は決断を濁すことがよくある。

例えば、あの選手はここにいいところがあるけど、ここがダメで。その一方であの選手はアーダコーダで、じゃあ結局どうなんだよ。どっちが好きなんだ。それは場合によってあってる選手がいる。みたいな結論。

になると思っていた。けど、そうでもなかった。

サッカー選手に関しては、若くて、ワクワクするようなプレーする奴が好きだ。じゃあ誰ですかっていうと、針谷とか、伊藤博樹とか、そこらへんのマイナーな選手になってしまうから、そこら辺は省こうと思う。

個人的には自分には我がないと思っていた。ああした方がいい、これがすき、そんな意見がない人間だと思っていたけど、ジャンルをしぼらず考えてみれば自分は我がある気がしてきた。し、人に対してハッキリ言わない、いえないというのも、立派な我な気もする。

んーでも自分としては情報を得たからこそ、好き嫌いを言えなくなることもあると思う。



このnoteを2ヶ月くらい寝かせて気付いたが、今の僕が言えるのは、たとえ持っている情報が多かろうと、つまり多くの側面が見えて判断が難しくなったとしても、とそれを理解して、優先順位をつけた上で踏ん切りをつけられるとそれは判断というか、決断というか、最終的には我というものに繋がる気がする。

めっちゃ簡単にいったら、あのパンはクソ高いけど、それでも美味しいから買う、的な。
自分に対する裏付けはこれまでの自分が持っているんだと思う。

なんでこんな話になったっていうと、どんどん周りの上司が発言だったり、自分の意見を持っている中で、なんか癖あるやつというか、我を持ってる人しか自分の会社でやっていけないんじゃねえかって思ったから。

自分の人生の座右の銘くらい作っておきたい今日この頃です。


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