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言葉という道具があれば集まる情報が変わる

※冒頭写真はオスロの取材先で撮影したお花のマフィン。

思ったことをメモに残しておきます。

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今週はノルウェーでオスロ・イノベーション・ウィークが開催中。

毎年恒例のイベントですが今年はデジタルで開催。

70以上のイベントがあり(そんなにあるようには感じないが)、私はジャーナリストとしてニュースネタを探しています。

オンラインでディスカッションなどが配信されるのですが、想像以上にオンラインのイベントって不便という発見。

本登録は済ませても、各イベントにまたサブ登録などをしないといけず、結局ひとつのセッションを見るために、自分のメールアドレス、名前、職業、電話番号を3回くらいは入力しないといけません。

Zoomとかの配信でも、何かしらトラブルも起きる。

登録作業とデジタルならではのハプニングに、時間と脳力を吸い取られている気分の2日目です。

「このご時世のオンラインイベントの課題」っていう記事になっちゃうかもしれない。

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このイベントはゲストやターゲットが国際市場でもあるので、多くのトークショーは英語でおこなわれています。

しかし、ノルウェーの人々はノルウェー語の訛りを残したまま英語を話すので、かなり独特な英語を聞くことになります。

私も日本語やフランス語訛りのある英語なので、なんも偉そうなことはいえないけどね。

ノルウェーの人ばかりの対談なのに言葉が英語ということは、その情報を伝えたい相手が「ノルウェーの外」、つまり世界。

「ノルウェーの基本情報を何も知らないであろう」、「ノルウェーのメディアみたいに批判的な記者とかもあまりいないだろう」という前提で作られる会場ということになります。


テーマが同じでも、

☆英語で話す対談

☆ノルウェー語で話す対談

これは放たれる情報が異なることを意味します。


ノルウェー人が観客という設定なら、もっとその国の政策や政治家との関わり、補助政策、現地の課題、市民が感じるフラストレーションなどの話が増えます。

ノルウェーの外に対して発せられている対談なら、ノルウェーの綺麗なところを切り抜いた基本情報やPR情報が増えます。

「ノルウェーの人は英語が得意だから、英語でも生きていける」という人もいるかもしれないけれど、その場合は「ノルウェー語ができれば、どれほどたくさんの違う情報が入ってくるか」を体感していない可能性もある。

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初日は英語の対談が多く、オンラインで見ていた私は紙のメモになにも書き込まず、気になったことをツイッターでつぶやいているだけでした。

私が紙のノートにどんどん書き込んでいないということは、ニュースとしてヒントになる、ピンとくる情報が入っていないということ。

反対に2日目の今日はノルウェー人ばかりのノルウェー語の対談があり、そこではメモをがんがんしていました。

私の場合はノルウェー語の舞台で生み出される対話から、ニュースのネタを拾うことが多いんですね。

観客がノルウェー人だと、「綺麗な北欧話」は飛ばして、その土地の社会課題や解決方法の議論、政治の話が増えてくる。

日本ではあまり聞かないような現地の内輪ネタが増加します。

「日本ではほとんど知られていない情報」でもあるので、ジャーナリストである私にはアンテナがぴんッと反応するタイミングが急増する。

だから政府の記者会見とかは私にとってはネタの宝庫だったりします。

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今回の取材期間は「そこで使われている言語がなにか」で得られる情報が圧倒的に違うことを改めて感じています。

やはり自分の道具箱に外国語があると、見えてくる新しい世界や情報があって、その可能性にわくわくする。


以上、メモ終わり。

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