見出し画像

"ふたつのマイノリティ"を持つ私の、わざと人に聞こえるくらい大声で話す独り言

20代 女 バイセクシャル

私の複雑な心情を吐き出してみようと言う興味本位であり承認欲求という"本能"に従って文字と紡いでいる。
そして誰にも理解されないだろうと言う寂しさによる叫びとも言える。


やかましい女もいればやかましい男もいるんだから私がバイセクシャルであることは私にとっては当然。
"人間は外見じゃない"とか言っている割には、付いてるか付いていないかで一度ジャッジしているじゃんかと嘲笑うのは日常

マイノリティは"弱者"だと呼ばれるこの世の中には、もはやうんざりもしない
人の性質を括って"弱者"だと言う者ほど視野が狭くて弱いと感じるから。
もはや誰が作ったのかもよく分からない"人間"が作った"括り"でありマイノリティというただの"名称"に過ぎず、私たちは同じホモサピエンスじゃないか。
正直チンケな視野の発言がとてつもなくどうでも良い。

肌の色や国籍の違い、人間の性的指向で人を判断する人の感覚は微塵も理解できないし、そんな人が身近にいたら心で笑っている。
ムカつくことは基本的にない。
人にはそれぞれの考え方があるのに、自分と違う考え方の人はいるに決まってるだろう。
それに、マジョリティに分類される人間がマイノリティに分類される人々を気持ち悪いと思う気持ちもわかる。
だって自分とは違うから。自分とは違う人間は気持ち悪い。
私も、差別する人が心底気持ち悪いもの。
同じ気持ちでしょ?

また、自身はマイノリティだと、弱者だと嘆く人を見ていると寒気がする。
ドラマや漫画に出てくる、自分はか弱いと男に擦り寄る女の様だとすら思う。
自分に誇りを持つことは自分にしかできないのに、人間が勝手につけた"名称"や"括り"に自分が当てはまることを恐れるなんて、滑稽だ。
しかし、実際それは人による。
LGBTに分類される人間で自分に誇りを持っている人間はたくさんいる
そういう人々は気高くてとてもかっこいい。

上記だけではない。
私は基本、人に共感できない。
LGBTQ+というよくわからない括りが世の中には存在し、差別反対運動やら何やら運動している人がいる。
私の様に"なぜ、当事者じゃないのに?"と思ってしまう人は少数派の中でも少数派だろう。

私は自分に立ちはだかる壁は自分でどうにかしたいし、マジョリティの人々がマイノリティの人々を"守る"という意見なのも甚だ不思議だ。

もしかしたらここまで読んだ人で気付いてる人がいるかもしれない。
私のもうひとつのマイノリティは"反社会性パーソナリティ"
「ソシオパス」と呼ばれる障害

私が、"バイセクシャル"で生き辛いと感じない理由は"ソシオパス"だったと知ったのは2年前。診断された時だ

【共感できない】【ナルシスト】【衝動的】
どれもソシオパスの特徴
これらは性的マイノリティに分類される私には都合がいい
自分自身を愛しているからこそ、バイセクシャルに対する強い風当たりは痛くない。まぁたまに痒いけど。

私は、ふたつのマイノリティで上手くバランスを取っているのだ。

しかし、ソシオパスと診断された時、流石に戸惑った。

衝動的で行動に一貫性がないソシオパスは、サイコパスとは違い、長期的な仕事に就くことや普通の家庭生活を営むことができません。

全く当てはまらない。仕事は全然長続きする。職場が変わるなんて面倒なことは極力したくない。趣味はコロコロ変わるし飽きやすいけど。

その衝動的な一面が、自分のリスクやなりゆきを考えることなく無計画に犯罪を犯してしまいます。
スグに興奮してしまい、暴力傾向が強く、計画性がないことで犯罪を犯しても、すぐに見つかり逮捕される確率が高いといわれています。

当てはまらない...
犯罪なんてして逮捕なんてされたらとてつもなくめんどくさい。
稀に暴言は吐くけど、暴力はしない、もちろん後々めんどくさいから。

ソシオパスと聞いてどんな狂ったやつかと思ったら拍子抜けましたでしょ。
私は、拍子抜けました。自分が特殊な人間であることは幼い頃から望んでいたから。全然普通の人間です。

話がかなり脱線したけど、さっきした"マジョリティがマイノリティを守ろうと運動しているのに対し、「なぜ、当事者じゃないのに?」"と思ってしまうという話

この意見、たまに見かける。
これだけは、この場で主張したい
マイノリティであることに大してストレスがない人間にとって、"弱者"だと決めつけられ困っていて"当然"だと思われることは一周まわってストレスだ。

しかし、仮に差別反対の行動や発言に対して、"なぜ、当事者じゃないのに?"的なニュアンスの事を言われたとしたら
無視して活動を続けるべきだと私は思う。

困っていない人間より困っている人間の意見を尊重するべきだからだ。
何より、自分でどうにもできない人間は、他者が救うべきだと思うから。

全員が気持ち良い思いをしたまま、世の中をよくするなんて不可能だから、人間は自分の正義を考えて、どういう人の為になるべきかを見極める必要があると思う。

自分の"善"は誰かの"悪"
誰かの"善"は自分の"悪"
これは、おそらくずっと変わることはない

どうせ全員を納得させることができないのなら、自分の正義だけは見つめて考えて貫き通すべきだ。

差別され生活が制限される人
不当な差別により、命を落とす人
これは世の中からなくなるべきだと思う。

まぁ、私は行動しないのだけど...めんどくさいから...

けど、行動する人は
私のように、『発言できる強いマイノリティ』の意見を受け入れる必要はない
まぁ、多少耳を傾けてくれたらありがたいけど。

どれだけの人が見るかわからないけど、私の承認欲求と自己満足に付き合ってくれた方
ありがとうございました。


私の目指す所は『ノイジー・マイノリティにならない』という所

今回は少しそのポリシーを曲げて、つらつらと文を書いてみた。
"本能"に従っているから




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?