雨音は子守唄【ショートショート】

「ねえ、私と一緒に死んで」
雨の夜、私は傘もささず歩いていた。
渉と目があった。彼は微笑んだ。
その夜、私達は闇色の海へ飛び込んだ。

私は生き残り、渉は死んだ。その日から私は心を失くした。ううん、彼と出会ったときには、私はもう失くしていたのかもしれない。
皮肉なことに、彼が死んだ日から、私はどんどん彼に恋い焦がれていった。それまでの彼なんて、何一つ知らないのに。
それと同時に、彼が藍色の帳の向こうから迎えに来ることに怯えていた。心はすでに完全に死んでいるのに。まだまだ生きたがっている自分を、認めたくなかった。

マンションの10階の窓から外を見る。碧い。きれいな空。すじ雲が浮かんでいる。
ぽつりぽつり。雨が降りだした。天気雨。こんなに明るい空なのに、誰かがこの空の向こうで泣いてるのね。
1階へ降りたら雨は強くなっていた。今日は傘を持ってる。淡いソーダ色の傘。白いワンピースを濡らしたくなかった。
通りを渡って、声をかける。
「どうしてこんなところに立っているの?」
男が一人、濡れながら立っていた。誰かを待っているふうにも見えなかった。
「うちに来ない?」

「コーヒーいれるわ」
「ありがとう」
男は何も言わず傘に入り、何も言わず付いてきた。
「あなた、名前は?」
一瞬の間があって答えた。
「……なんでもいい」
男の名前は碧(あおい)にした。

あれから一週間。碧がきてから、私には渉のことを考えない時間ができた。
碧が隣に眠るようになってから、渉が迎えに来る夢を見なくなった。白昼夢ですら見ていたのに。
碧は買い物も料理もしてくれた。私はマンションの10階に閉じこもり、空を眺めたり、眠ったりした。
私は安心して過ごした。

けれど晴れの日は続かない。雨はまた、渉を連れてきた。
「渉お願い…私を連れて行かないで…でも一人にしないで…」
矛盾したうわ言を繰り返した。

次に目覚めたときは、雨がやんで朝日が昇り始めるときだった。
ソファで寝てしまったらしい。毛布がかけられていて、傍らに碧が眠っている。
私はその横顔を見てはっとする。
「あなた…渉……!」
これはバイアス。私は渉が死んだと思い込みたかったから。渉は死ぬのに成功して望みを掴んだのだと思いたかったから。だから碧が渉だって気づきたくなかった。
けれど気づいてしまった。渉は生きていて、そばにいてくれる。
私はもう碧に逃げない。きちんと渉を見つめていく。
「渉…起きて、渉」
渉は目を覚して微笑んだ。
出会ったあの日のように。

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竹内志麻子さんの「人魚たちの子守唄」の影響を受け、書いた作品です。
昔のコバルト文庫らしく甘酸っぱく、また、透明感のある内容です。
透明感の部分だけ抜き出して描こうと思いましたが、透明感よりもリアルな表現の方が増えてしまったなあ、と思っています。

余談ですが、竹内志麻子さんは現在は岩井志麻子として活躍されていますが、この作品とはかけ離れたものをたくさん書いてらっしゃいます。ポルノやホラーなど…。AV監督もされてるらしいです。
たまに猫のメイクでテレビに出てらっしゃいます。

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