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季節の窓【エッセイ】

とあるショッピングサイトでスノウマンのブランケットを見つけて思い出したことがある。

小学校に上がる頃、私は勉強机を買ってもらった。
勉強机の正面には、かわいいポスターのようなものが飾ってあったり、ものを置けるスペースがあるのを、ご存知だろうか。
私はそのスペースにはペン立てなど置かず、色々なもので飾っていた。
思い出せる限りでは、色紙大に印刷されたクリスマス風景のポスター、法隆寺の夢殿をかたどった土鈴、伊勢志摩で買ってもらったパール風のビーズで飾られた宝石箱、星の砂や貝殻の入ったボトルなんかを飾っていた。毎年両親はあちこちへ連れていってくれたので、そのお土産を飾っていた。
私のこだわりは、それらを季節ごとに変えることだった。
夏には海をイメージさせるものを飾ったり、冬には件の冬景色のポスターを飾ったり。それは私にとってはとても楽しいことだった。私は自分のことをいちいち人に話す子供でなかったから、このことを知る人は誰もいない。
だから私自身も、自分がそんなことをしていたのをすっかり忘れていた。

私の飾りつけは、大人になってからも続いていた。
私はフィンランドのサンタクロース村に行きたいほどクリスマスが好きだったので、クリスマスの飾りつけを春先まで外せずにいたりしたが、もうその頃にはだいぶ疲れていたのだと思う。本来なら春には春の飾りつけにしたかったのにできなかったのだと思われる。

私は望むべくしてデザイン職へ導かれたのだなあと思う。
ホームページを作るのは私の趣味なのだが、私はプログラムすることに惹かれたわけでなく、デザインする楽しさにハマり、そのためにプログラムを覚えた。

デザインというのは、何か作ることだけではないと最近思う。
洋服のコーディネートだってそうだし、子供の頃やっていた机を飾るというのもそうだと思う。音声配信も自己表現の1つと私は考えている。耳から聞くデザインである。
私の考えるデザインとは、実用的なものである。それをなくしての自己表現はアートであると私は捉える。

私は根っからデザインすることが好きだったのだなと、今日痛感した。
子供の頃自発的にやっていたことが嫌いなはずないだろう。
要はそれをやってお金を頂いていたということなのだから、楽しいに決まっている。

思い出の勉強机はもうないが、今の部屋には出窓があるので、そこを季節の窓にしようかと思う。

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