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何かをやめる時

 何かをやめる時、それは時には、いやむしろそれはその時に毎回、大きな覚悟をしなくてはいけない。というかむしろ大きな覚悟はマックのチキンナゲットの付属ソースぐらいつくものです。そのやめる時には様々な感情が交錯することもあればそうでもない。最近質問箱でも送ってくださったのですが、私が何かをやめる時(例えば、サークルなど)に関する質問が少しばかりあったので、今回はそのことに関して書きますね。

やめる

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 ここで、敢えて「やめる」という言葉を平仮名で書いていることには理由があって、これに当てはまる漢字によって全く異なってニュアンスを持つからです。そこが日本語のすごいところでもあり時に残酷になることだと思っています。例えば、やめるといえば「止める、辞める、退める」などが感じで変換されますが、これらは最初の単漢字部分にて区別することができます。最初はSTOPの意味で、何かをおこなってきてその途中段階で「やめる」ということですよね。次の「辞める」に関しては、これはRESIGNの意味で、これも途中段階のようにも思えるのですが、何か「役割」的なものがあってそこを退くということでしょうか。そう考えると、最後の「退める」ということに関しても同じような感じですね。

 こんな「やめる」という経験は、もちろん、皆さんであれば経験済みであるかと思われます。そんな時、どんな感情を持っているのでしょうか。そんなことを気にしたことがない、という方も数多くいらっしゃるかと思われます。

 でも、実際に向き合ってみると、意外と「思考していなかった」自分がいたり、将又、「よく考えていたな」という自分を見つけることができます。

 そこでの思考というものは次を生きるためのヒントになる。これは日立の「Inspire the next」のようにして、次の原動力にするためのヒントがよく詰まっているように思えるのです。実はやめるという行動も次のための行動、実際に注意深くみてみると実はそれも宝物になるかもしれないと。

やめなかった時とやめた時について考えてみる

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 となると、やはりまず着目することとしては、「やめた時」と「やめなかった時」の比較かなと考えるかもしれないです。まあ良くやることですよね、これは「対照実験」の思考的なものですよね。人はすぐに比較をしたがる動物です。すぐに、「あの人の方が可愛い」、「お前はあいつなんかよりかっこよくねえしな」と言いたがる。すぐに人気者がいればそれにはアンチというものが攻撃してくる。何事にもその裏事象がついてくるからこそ、比較して実験をすることが自然となる。

少し脱線しましたので、元の軌道に戻ります。

 やめた時に関しては、何か「やめる理由」がついてくるはずであるので、まずそれを探してみます。意外とすぐに見つかることもあれば、そう簡単に見つからないこともあります。

 もし見つからなければ、あまり思考せず考えていないで決断したのかもしれないですね。別にそれが悪いことではないと思うのですが、果たしてそれで良いのでしょうか。

 もしかしたら自然と感情に任せて、選んだ決断なのかもしれないですね。何か「飽きたな」と感じていたら、それが理由になるはずであるので。

 そしてその「やめる理由」が見つかったら、次に「その理由の元になった原因を、次の道が解消してくれるのか」について考えています。そうしなければ永遠の負のスパイラルに巻き込まれてしまうかもしれないです。ですので、そこに関しては深くチェックしています。

 適当に決めるのではなく、そこでしっかりと覚悟ができること、つまり「今いる環境を捨てて次の環境に移った方が自分のためになる」のような覚悟が必要であるということです。意外と無意識になっているとキツくなりそうですね。

 例えば、大学の研究室選びに関しても、その研究室を選ぶ理由が適当では配属されたとしてもうまくいきませんし。まだ、あまり経験したことないのですが、就活に関してであっても、「とりあえず就職すれば良いか」のようにして考えていると、いつか方向性を失って生きている理由さえも暗闇の中に溶け込んでいくように感じているのです(もちろん、そういう選択肢の方が良いという方に関しては別に文句なんてありません、それがここの生き方ですから)。

 そして覚悟を決めたら、私であればとりあえず貫いてみるということですね。私の体力が持つ限りとりあえず頑張って、成果が出るまでひたすらピッケルでトンネルを掘るような感じです。どれを頑張るにしても、そのようなピッケル作業はつきものであると思いますので、それなりの「覚悟」というものがないと継続できないと思うのです。覚悟の不足によって、悔いのないやめるのではなくて、悔いのある「やめる」ということになってしまうの思うのです。それは本当に勿体ないなと客観的にも私が感じることは多いです。

そして、またやめる時は必ずくる

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 もちろん、そのシフトチェンジしたところも、月日が経てば、またやめるという日が必ずくるはずです。

 またその時がきたらもう一度自分の心に向き合って相談してみる。そして自分のやめて次に行くという強い覚悟を持ってまた翼をつけて羽ばたいていく。こんなことをやっていれば人生悔いないのかなって感じます。

 よく、「あんな時、○○やっておけばよかったな」などの言葉を頻繁に聞きますが、そこで思考を変えればよく、今、そんな欲望があるのであれば、今やれば良いと思うのです。それを「時間がない」や、先日のnoteでも書いたように、何事も他のおこなっていることを理由にしてやめてしまうということは本当にもったいないです(無理にその理由で押し通そうとする時)。

 「やりたい」と思った時にそれを形にしてみる。「百聞は一見に如かず」ということわざがありますが、私はそれよりももう少し深部に入って、「百見は一動に如かず」であると思っているのです。

 つまり、とりあえず見てみることも大切ではありますが、それよりもまずは行動に移して形にするということです。その形ができて、それがもう成長しないくらいに達成したらやめて次に進む。そのような感じで良いのでしょうか。

 とてもシンプルなことですが、このシンプルさが最近大切であるなと感じているのです。日本の方って、比較的難しく考えすぎているところが多いと常日頃感じています(私も日本人ですけど)。もう少しシンプルに考えて、シンプルに行動に移す、そのようなことができている方って、しっかりと活躍されている方に多いと思うのですよね。

終わりに

 今回は「やめるとき」に関することを私の脳の一部をここに記録するような形で書いてみました。やめる時、それは次への重要なステップ。大切にしよ...

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