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「学びたいので教える」という選択肢

 私の今まで行ってきた学び方の中で一番実力をつけることができた勉強法というものが、タイトルにある通りである、「学びたいので教える」ということでした。これはどういうことか、そしてこれをどこに今まで活かしてきたのかを書いていきます。

今までの教育法や勉強法

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 今までの教育法に関して書くと、ある「先生」というその教室の雰囲気を作るリーダーがいて、そのリーダーが生徒に物事を教えるということが基本体制です。つまり、受動的なものでした。そして、それは勉強面にもありました。よく記事などで述べられていることはおそらく前者であるかと思われます。

 そこで、今回はタイトルにあると思いますが、後者の方について書いていきます。後者の方とは、勉強面におけることです。今までは、与えれた、もしくは自分で購入した教科書や参考書を読み、その通りに問題を解く、またはその本を活用して自分で勉強するということが多いかと思われます。実際に、独学というのはこのようなことです。これで本当に効率よく勉強ができているのでしょうか。

 これに関しては、できる人はできると思うのですが、ほとんどの方はこれを投げ出してしまうのではないでしょうか(勝手な想像で申し訳ないのですが)。そして、この独学では、本当に自分が理解できているのかを確認する場というものが少ないです。

 義務教育の時には、テストや模擬試験があったおかげで、自分の勉強したものへの理解度の確認を客観的に行うことができました。ですが、大学生や社会人になってくると、そのような機会は少なくなります。なんせ、受動的に、そしてずっと個人で勉強していた人にとっては尚更です。私も、昔はこのような状態でした。つまり与えられたらやるという、いわゆる機械のような勉強法でした。これでも良い人は良いかもしれないのですが、今振り返ってみるととても非効率的な勉強法でした。自分の理解度をすぐに客観的に評価してもらうことができる。この機会をどのように作れば良いかと考えた時、先生のことを思い出しました。

先生のようにして教えれば良いんだ

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 ここで、不思議に思う方も多いかと思われますが、別に教える人はその分野を完全に理解していなくても良いということです。これは、カンファレンスにおける「リーダー」の役割のようなものです。

 そのリーダーは、自分の学びたいことを、友達(仲間)との集合日を決めて、その期間(なるべく短めの方が良いかと思います)までにある程度勉強をします。そして、その期日になったら、そのメンバーの中で自分の学んだことを先生のようにして発表します(研究室の進捗発表のようなものですね)。

 ここで、もし理解できていないようでしたら、教える途中で言葉が詰まってしまいます。そして、質問に対しても答えられないようになっています。この、「わからなくなった」という時に、この瞬間や該当する部分をハイライトしておき、この部分を重点的に復習するのです。これによって、復習すべき部分を絞って学習することができ、とても効率よく学習することができます。そして、この「教える」ということによって、自分の理解度を、リアルタイムで実感することができ、その時にもしかしたら良いフィードバックを得ることができるので、一度で様々なことを学習することができます。

もし、自分しかいない状況の時はどうするか

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 もちろん、ほとんどの人は、自分一人で勉強する時間の方が多いかと思います。この時に、上に書いたことと同様なものを行うにはどのようにすれば良いのでしょうか。

 これに関しては、場所を選ぶことになりますが、同じように先生になったつもりで説明しながら復習をすると良いかと思います。つまり、実際に声を出しながら、目の前に相手がいるということを想像して授業を行うと、理解できていない部分を明らかにすることができます。「場所を選ぶ」と書きましたが、これは図書館などの比較的静かな場所では少し周りに迷惑がかかるということですね(笑)。

 また、家の中では、場合によっては家族の方が近くにいる環境でやることになるのかもしれないのですが、その時、変に出てくる羞恥心は捨てることが大切です。恥ずかしいことなど一切していないので、自分の勉強のためだと思って取り組んでみると良いです。

終わりに

 今回は、私が一番行っている勉強法についてまとめてみました。もしかしたら特殊な勉強法と思われている方も多いかと思いますが、私はこの勉強法のおかげでプログラミングスキルや大学の勉強での知識を効率よく得ることができました。今後、もしできるとするならば、実際にこの勉強法が効率が良いのかを、脳科学の観点からも研究していきたいです。

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